三国志平話卷上を全文書き下し文

江東の呉土、蜀地の川、曹操英勇にして中原を占む。

三人天下を分かつにあらず、来りて高祖の斬首の冤を報いん。

昔日、南陽鄧州白水村の劉秀、字は文叔、帝号は漢光武皇帝なり。光とは、日月の光にして、天下を照らすの明なり。武とは、天下を得るなり。此の者を光武と号す。洛陽に都を建て、在位五載。当日、駕閒遊を因りて、御園に至る。園内に至りて、花木奇異にして、之を観るに足らず。駕、大臣に問いて曰く:「此の花園は王莽の修むるに虧くるか?」近臣奏して曰く:「王莽の事に非ず、乃ち黎民を逼迫して移買栽接せしむるなり、東都洛陽の民を虧殺す。」光武曰く:「急ぎ寡人の聖旨を伝えしめよ、来日三月三日の清明節にして、之を黄榜に假り、寡人黎民と共に一處にて花を賞せん。」

次の日に至りて、百姓皆御園内にて花を賞し、各亭館を占む。忽ち一書生あり、白襴角帯紗帽烏靴、左手に酒一壺を攜え、右手に瓦缽一副を將ち、琴劍書箱を背負いて、御園中に遊賞す。来ること遅れたる些か、皆亭館を占めて、坐する處無し。秀才前に行くこと數十步、屏風柏の株を見て、緑茸茸たる莎茵の上に向かい、酒壺、瓦缽を放ち、琴劍書箱を解く。秀才坐定し、酒を瓦缽に傾け、一飲して竭く、連飲三缽、指を捻りて早くも酒半酣を帶ぶ。

一杯竹葉心を穿ち過ぎ、二朵桃花顔に上り来たる。

この秀才姓は何ぞ?復姓は司馬、字は仲相。坐間悶を因りて、琴を撫して一操を畢え、書箱を揭きて、一卷の文書を取り出し、展開して亡秦の南に五嶺を修め、北に長城を築き、東に大海を填め、西に訶房を建て、儒を坑し書を焚くを見る。仲相之を観て、大いに怒り止まず、毀罵して曰く:「始皇は無道の君なり!若し仲相君と為らば、豈に天下の黎民をして快樂ならしめざらんや!」又言いて曰く:「始皇人民を逼りて十死八九と為し、亦埋殯無く、天地を熏觸す。天公も亦見えざる處有り、却りて始皇をして君と為さしむ!今南に瑯玡を畏れ、項籍に反し、北に徐州豐沛の劉三起義す。天下刀兵忽ち起り、軍は帶甲の勞を受け、民は塗炭の苦を遭う!」才然にして道罷むや、荼■架の邊に向かい、厭地に錦衣花帽五十餘人を轉じ、當頭兩行八人、紫袍金帶、象簡烏靴、官の大小を知らず、紫金魚を懸帶す:「巨玉皇の敕を奉じて陛下に六般の大禮を受けしむ。」一人を見て金鳳盤內に托定し、六般の物件を放つ、是れ平天冠、袞龍服、無憂履、白玉圭、玉束帶、誓劍なり。仲相見て言いて、盡く皆受く。即時にして畢え穿ち、坐定し、手に白玉圭を執る。

八人奏して曰く:「ここは駕坐の處にあらず。」道罷むや、五十花帽人中に向かい、厭地に龍鳳轎子を抬過し、當面に放ち下す:「請う陛下上轎せよ。」仲相黃袍を綽起し、轎子に上り端然として坐す。八人兩壁前に分かれて引き、後の五十花帽圍簇す。琉璃殿一座に行き至りて:「請う我王轎子を下れ。」

殿に上りて、九龍金椅を見る。仲相椅に上りて端坐し、其の山呼萬歳を受くこと畢え、八人奏して曰く:「陛下王莽の罪を知りて、薬酒にて平帝を鴆殺し、子嬰を誅し、皇后を害し、其の宮室を淨め、宮娥を殺すこと其の數を知らず。此の如き罪あり。後に新室を建て、皇帝と為り、字は巨君なり。十八年の後、南陽鄧州白水村の劉秀起義して、其の王莽を破り、後に天下を奪い、王莽を廢して、交舍院に見ゆ。如今光武皇帝即位し、宰相兼て二十八宿四斗侯を有りて將帥輔從す。光武は紫微大帝なり、天に二日無く、民に二主無し。我王ここに其の牒を授く、兵無く將無く、又智謀無く、又雞を縛るの力無し。光武若し知り、其の兵將を領し、元帥に拜起し、どうして干休すべし!」仲相曰く:「卿寡人をどうする?」八人奏して曰く:「陛下試みに九龍椅を下り來りて、我王簷底に向かい頭を抬げて見る、須く是れ凡間の長朝殿に非ず。」

仲相頭を抬げて、紅漆牌上を見るに、簸箕來る大四個の金字に書し:「報冤之殿」と。仲相頭を低れて半晌を尋思し、終に其の意を曉えず。仲相問いて曰く:「卿等、朕其の意を知らず。」八人奏して曰く:「陛下、ここは陽間に非ず、乃ち陰司なり。適來御園中に亡秦之書を見、始皇を毀罵し、天地之心に怨む。陛下道得ず個隨佛上生、隨佛者下生。陛下堯舜禹湯之民を看て、即ち合に賞を與ふ;桀紂之民を看て、即ち合に誅殺す。我王其の意を曉ず、無道之主作孽之民有り、皆是れ天公之意なり。始皇を毀罵し、天公之心に怨む有り。天公我をして陛下を宣し、報冤殿中に我王陰司をして君と為さしむ。陰間無私を断つこと得て、汝陽間天子を做す。断つこと得ず、陰山の背後に貶され、永く人と為らず。」仲相言いて曰く:「朕甚公事を断かせん?」八人奏して曰く:「陛下當に聖旨を傳うべし、自り呈詞告状の人を有り。」「卿の所奏に依る。」其の聖旨を傳えて、果して一人高叫して曰く:「小臣負屈!」手に詞狀一紙を執る。

仲相之を觀て、一人頭頂金盔、身穿金鎖甲、絳紅袍、抹綠靴、血其領に流れ、其袍を下に汚し、屈を叫び冤を伸ばし止まず。帝文狀を接し、御案上に展開して之を見るに、乃ち二百單五年の事なり。「朕をして如何に断たしむ?」案下を拂う。狀を告ぐる人言いて曰く:「小人韓信、冤屈前漢高祖の手中に死す、淮陰の人なり。官三齊王を帶び、十大功勞有り、明道を修め、暗に陳倉を渡り、項籍を逐い、烏江にて自刎す。信漢朝天下を創立するに如く大功を有り、高祖全然として想わず、軸を捧げ輪を推し、誓言雲夢に詐游し、呂太后をして信を未央宮に賺し、鈍劍を以て死す。臣冤枉に死し、臣のために主を做せしめよ!」

仲相驚いて曰く:「如何にして?」八人奏して曰く:「陛下、この公事卻早きこと斷得ず、如何にして陽間天子を做し得んか?」言い未だ絶たず、又一人高き声にて曰く:「小臣もまた冤屈なり!」一人を覷るに、髮を披き紅の抹額を有り、細柳葉の嵌青袍を身に穿ち、抹綠靴、手に文狀を執り、屈を叫び冤を聲にする。帝姓名を問いて、曰く:「姓は彭、名は越、官大梁王を授かる、漢高祖の手中の諸侯なり、韓信と共に漢を立てる。天下太平、亦臣を不用するに、臣を賺して肉醬となす、天下の諸侯に食わしむ。これが小臣の冤枉なり。」帝その狀を接す。

又一人高き声にて屈を叫び、手に文狀を執るを見る。帝一人を見て、狻猊磕腦を帶び、龍鱗の嵌青戰袍、抹綠靴を穿つ。帝姓名を問う。布曰く:「臣は漢高祖の臣なり、姓は英、名は布、官九江王を封ず。臣韓信、彭越と共に漢の天下を創立し、十二帝、二百餘年、如く大功なり。太平、亦臣を用いず、高祖謀を執り我三人を背反し、宮中に賺し、其性命を害す、これに冤屈有り。陛下臣等三人のために主を做せ!」

帝大いに怒り、八人に問いて曰く:「漢高祖何處に在りや?」八人奏して曰く:「我王傳宣詔を當にすべし。」帝曰く:「卿の所奏に依る。」八人聖旨を傳して、漢高祖を宣するや、時を移さず、階下に至りて、俯伏し地にあり。帝高祖に問う:「三人狀告皆同じ。韓信、彭越、英布、漢朝天下を立て、三人造反を執り、其性命を害す、是何の道理ぞ?」高祖奏して曰く:「雲夢山に萬千の景有り、遊玩し來る。呂后權國にして、三人並びて反か不反かを知らず。乞い太后を宣して、即ち端的を見るべし。」

太后を宣して、殿下に至り山呼畢りて、帝太后に問う:「汝權國、三人造反を執り、故に功臣を殺し、爾當に何の罪ぞ?」太后高祖に看住して曰く:「陛下、爾君と為りて、山河社稷を掌握し、子童陛下に奏す:『今日太平なり、何ぞ歡樂せざるや?』高祖聖旨に言いて曰く:『卿もまた就裡の事を知らず。霸王喑鳴咤咤の聲有り、三人烏江に逼るに自刎す。三人睡虎の如し、若し覺れば、寡人奈何せん?寡人雲夢を遊び、子童を交して皇帝となす、三人宮中に賺し、其性命を害す。』今陛下何ぞ承認せず、推して賤妾に及ぼさしむるや?」帝高祖に問いて曰く:「三人反らず、故に性命を害し、何ぞ招伏せざるや?」呂后奏して曰く:「陛下、子童の言に非ず、更に照明有り。」帝曰く:「照明とは誰ぞ?」「姓は蒯、名は撤、字は文通なり。陛下之を宣して、即ち端的を見るべし。」

蒯文通を宣して殿下に至り、臣禮畢り。帝曰く:「三人反か不反か、爾證見為り。」文通奏して曰く:「詩有りて證と為る。詩曰:

可惜淮陰侯、高祖の憂ひを分かつを能う。

三秦席を捲く如し、燕趙一齊に休む。

夜偃沙囊水、晝盜臣の頭を斬る。

高祖正定無し、呂后諸侯を斬る。」

各人招伏を取訖し、表を書して天公に聞奏す。天公即ち金甲神人を差し、天佛の牒を齎擎す。玉皇敕道:「仲相に記を與えよ。漢高祖其の功を負いて巨なり、却りて三人に其の漢朝天下を分かたしむ。韓信をして中原を曹操と為し、彭越を蜀川劉備と為し、英布を江東長沙の呉王孫權と為し、漢高祖を許昌に生じて獻帝と為し、呂后を伏皇后と為す。曹操天時を占いて、其の獻帝を囚し、伏皇后を殺して報仇す。江東の孫權地利を占いて、十山九水。蜀川の劉備人和を占む。劉備關、張の勇を索取り、却りて謀略の人無く、蒯通をして濟州に生じて、瑯玡郡、復姓は諸葛、名は亮、字は孔明、道號は臥龍先生、南陽鄧州臥龍岡に庵を建てて居住す、此の處は君臣聚會の處なり。共に天下を立ち、西川益州に都を建てて皇帝と為り、約五十餘年。仲相をして陽間に生じ、復姓は司馬、字は仲達、三國並びて收め、獨り天下を霸す。」天公斷畢して、話分かち兩說す。

今漢靈帝即位の當年、銅鐵皆鳴る。駕大臣に問いて曰く:「從前古往に、如此の事有りや?」宰相皇甫嵩班を出でて奏曰く:「盤古より今に至るまで、此の事兩次なり。昔日の春秋、齊王天子即位し、銅鐵皆鳴ること三晝夜。齊王大臣に問いて、銅鐵鳴るは何の吉凶を主とするや。三次問いて、大臣語る無し。齊王大いに怒り、大夫冉卿を宣して曰く:『汝上大夫として、如何に此の事を解せずや?卿に三日の限有り、須らく吉凶を見るべし!』齊王三日朝せず。冉卿宅に歸り、悶悶として不悅なり。門館の先生有り、冉卿大夫の面に憂容を帶びるを見て、遂に大夫に問いて曰く:『如何にして不樂ならんや。』冉大夫曰く:『先生不知、今天下の銅鐵皆鳴ること有り、君王我に問いて曰く、何の吉凶を主とするや、我委實不知。今齊王我に三日の限を與え、然らずば責罪す。』先生曰く:『此の事小可なり。』大夫曰く:『先生知得す、有る官重賞す、此の事吉凶如何。』先生曰く:『吉凶を主とせず、ただ山摧を主とす。』『如何にして得るを見んや。』先生曰く:『銅鐵は乃ち山の子孫なり、山は乃ち鋼鐵の祖なり。』冉大夫其の意を得て、即時に朝に入りて齊王に奏す。齊王朝を設けて、冉大夫班を出でて奏曰く:『銅鐵皆鳴る、吉凶を主とせず。』王曰く:『如何なるや。』奏曰く:『山摧を主とす。』帝曰く:『卿如何にして知るか。』奏曰く:『銅鐵は山の子孫;山は銅鐵の祖なり。已に吉凶無し。』齊王大いに喜び、冉卿に官職を加え、子子孫孫斷えず。奏畢して、數日に過ぎずして、華山其の一峰を摧く。陛下此の事、無吉無凶。」道罷むや、鄆州表章有りて至り、太山の腳下に一穴地塌ち、車輪の大さ約、不知深淺。使命を差して其の吉凶を探らしむ。

話分かち兩說す。地穴を離るること約有りて一山莊、乃ち孫太公の莊なり。太公二子を生む:長子農と為る;次子書を讀み、將に孫學究と為らんとす;忽ち癩疾を患いて、發有ること皆落ち、遍身膿血止まず;父母を熏觸す。以此を莊の後百十步に蓋して一茅庵獨り居す。妻子每日飯を送る。

當日の早辰、妻子飯を送る有り。時は春三月の間、庵門に到り、學究の疾病を見て、見ず忍びず、手を用いて口鼻を掩い、斜身して學究に飯を與え吃む。學究歎じて曰く:「妻子活する時は同室し、死後は同槨す、妻兒生れながら我を嫌い、況んや他人をや?我一日活きて如何に待たん。」道罷むや、妻子去ること訖。

學究自ら思いて曰く:死處を尋むに如かず。常に拄する病拐を取って、腳膿血の鞋を跌ち、庵を離れて正北数十步、地穴を見る、病拐を放ち下し、鞋を脫ぎ、地穴を望みて便ち跳ぶ。穴中便ち人有るが如く托して、地下に倒れ、昏迷として不省。多時忽ち醒め、目を開いて望むに、直ちに上りて一點兒の青天を見つ。學究曰く:「當時待ち覓めて死すること來たらんとす、誰知らん死せざるを!」

移る時黑暗、却りて正北に明處有るを見、遂に明處に往き行き、十餘步約して、白玉拄杖一條を見、手を用いて拿し、却りて一門縫を推し開いて洞門に至り、白日の如し。石席を見、坐す、多時氣を歇め、身困り、石席の上に臥して睡る。忽ち身を舒し、腳を登りて軟忽の一塊に觸る。學究驚き起きて、何を見んや?學究此の處に到るや、單に漢家四百年天下の合休を注す!

學究一條の巨蟒を見、呆の粗細して一塊を做し、約高三尺。即時、巨蟒走りて洞に入る。學究蟒に隨いて洞に入るや、其の蟒を見ること無し、却りて一石匣を見る。學究手を用いて匣蓋を揭きて起こし、文書一卷有るを見、取出して看て罷まるや、即ち四百四病を醫治する之書なり、神農の八般八草を用いること無し、修合炮煉を為すこと無く、丸散を為すこと無く、引子を用いて送下すること無く、各面上治法有り、諸般證候、咒水一盞、吃むこと便ち可なり。風疾の處を看るに、元來此の法即ち學究病疾を醫する名方なり。學究之を見て、喜氣盈腮、天書を收得して、便ち洞門を出して石席上に坐す。

話分かち兩說す。學究妻子又來て飯を送る、學究の歸り來らざるを見て、告して公公に知り、即時に長子を將いて等しく去りて尋ぬ。地穴の邊に行き、病拐一條と膿血の鞋を見つ。父母兄長妻子、皆地穴を繞いて多時悲哭す。却りて地穴内に人の叫喚するを聽き得。遂に繩子を取り、枝を懸して穴中に放ち、學究を救い出して、穴上に至り、父子相見えて、大いに慟き、泣き畢まれば、學究道く:「父親煩惱を休めよ、我一卷天書を得、單に我この病證を醫せん。」即時に同に莊に歸り、淨水一盞を取出し、咒いて、腹中に咽めば、風疾即ち愈え、毛髮皮膚復して舊のごとし。自後遠近を論わず、皆來りて醫を求むる、癒えざる者無し。送獻の錢物二萬餘貫に約り、徒弟を度すこと約五百餘人なり。

内に一人有り、姓は張名は角、當日師父に辭し:「奈家中に一老母年邁有り、假侍母を乞う。」學究曰く:「汝去る時、一卷名方を與う、來らざるも妨げず。」學究張角に名方を吩咐し、天下の患疾を醫治し、並びに錢物を人に要し休む:「我が言語に依る者!」

張角師父に辭して家に歸る。經過處を遇い病を治す、癒えざる無し、並びに錢物を要せず。張角言いて曰く:「如し醫可なれば、少壯の男子我を隨いて徒弟と為り、老者は休む!」

張角四方を游し、徒弟を度すること約十萬有り、名姓鄉貫を寫し、年甲月日生時。「若し我が爾を用度するを要せば、文字到る時、火速に前來れ。但し徒弟有るは、皆省會に依る。如し文字到りて、來らざる者有れば、絶死す。如し我を隨わざる者有れば、禍事身に臨む!」

忽ち一日有り、黃巾反漢す。其の張角文字天下を遍行し、數日にして、徒眾皆至りて揚州廣寧郡東三十里張家莊。張角姑表三人、此の莊上に聚まり、眾皆齊呼す:「二弟將りて來る者!」二弟四包袱を提ぎ、面前に解き開くるは、皆黃巾なり、眾人に散與え、皆黃巾を色帶す。張角眾人に省諭して曰く:「今日漢朝天下合休なり、我合興すなり。若し我日に君と為り有らば、爾每大者王に封ず、次者侯に封ず、小者刺史に封ず。」省會畢して、皆衣甲器仗無し。先に軟纏を皆して、禾木の棍棒を手持す。為首者張角等三人、遂に十萬壯士を引き、先ず揚州を取らんとし、即ち衣甲弓刀鞍馬器械を得。

當日に起軍し、揚州廣寧郡を頭と為して、村に逢いて、一村を收む;縣に逢いて、一縣を收む;州府を收むこと其の數を知らず。處に隨いて到る、家を竭し起を盡くす。從わざる者、殺伐討虜す。漢家天下、三停二停を占む。黃巾三十六萬に并聚す。

話分かち兩說す。當日漢靈帝朝を設け、大臣を聚めて議して曰く:「今黃巾賊三十六萬に并聚す、之を如何せん!」皇甫嵩班を出でて奏して曰く:「臣陛下に啟す、臣の三件事に依れば、黃巾賊自ずから滅ぶ也。」帝曰く:甚三件事ぞ。奏して曰く:「第一件事、天下に詔赦を遍行し、如し凶徒謀反有り、山林に聚集し、城池を打劫す;第二件官を殺害し、倉庫を討虜し、黎民を傷害す;第三件、如し自ら願いて黃巾を去らば、便ち國家の良民と為し、如し黃巾を去らざれば、全家誅殺す。」帝曰く:「卿の所奏に依う、赦書到る日に、盡く赦免を行う。」又奏して曰く:「今漢朝の兵は微少にして將寡く、黃巾は浩大にして、破ること能わず。陛下天下の義軍に詔して、高官重賞すべし;一元帥を拜し、空頭宣誥、重賞三軍を將すべし。重賞の下、必ず勇夫有り。」帝曰く:「誰か元帥と為るべき。」奏して曰く:「如し有人元帥と為らば、便ち印を掛け;如し人無ければ、小臣親しく去る。」帝曰く:「卿便ち印を掛けよ。」空宣誥珍寶を吩咐し、御林軍一十萬を將す。聖旨を得て曰く:「雖い鑾駕無く、朕親しく行く如し、便宜に行事す。」皇甫嵩金印を掛けて、元帥となり、帝を辭して兵を領いて朝を離る。話分かち兩說す。詩曰く:

漢室傾危として當たる可らず、黃巾反亂して東方を遍し。

賊子胡の行事に因わずして、擎天の真棟樑を顯す合なり。

話一人を說いて、姓關名羽、字は雲長、乃ち平陽蒲州解良人也、神眉鳳目、虯髯にして、面紫玉の如く、身長九尺二寸、生れて「春秋左傳」を喜看す。「亂臣賊子傳」を觀て、便ち怒惡を生ず。本縣の官員財を貪り賄を好み、酷しく黎民を害し、縣令を殺し、亡命して遁れ、前往涿郡す。

難を躲れ身漂泊に因わずば、如何に金を分け義を重んじ知るを遇う。

却りて一人有り、姓張名飛、字は翼德、乃ち燕邦涿郡范陽人也;豹頭環眼、燕頷虎鬚にして、身長九尺餘、聲巨鐘の若し。家豪大富。門首に立ち閒するに因りて、關公の街前を過るを見、狀貌非凡にして、衣服藍縷、本處の人に非ず。步を縱いて前に向かい、關公に禮を施し。關公禮を還す。

飛曰く:「君子何往ぞ?甚州の人氏ぞ?」關公飛の問うを見、飛の貌亦非凡なるを觀て;曰く:「念某河東解州の人氏、因りて本縣の官民を虐めること不公にして、吾之を殺す。鄉中に住むを敢えず、故に此の處に來りて難を避く。」飛曰く:「關公話畢、乃ち大丈夫の志と見なり。遂に關公を邀えて於酒店中に邀ぐ。飛酒量を叫び、二百錢の酒を將う。主人應聲にて至る。

關公飛非草次の人を見、話言談を說き、氣和えて酒を盡く。關公還杯を待たんと欲し、乃ち身邊無錢、艱難の意有り。飛曰く:「豈に是れ理有らん!」再び主人を叫びて酒を將う。二人盞を把りて相勸し、言語相投し、契舊の如し。正に是れ:

龍虎相逢の日、君臣慶會の時。

一人を說き、姓劉名備、字玄德、涿郡范陽縣の人氏、乃ち漢景帝十七代賢孫、中山靖王劉勝の後なり、生れ龍準鳳目、禹背湯肩、身長七尺五寸、垂手膝を過ぎ、語言喜怒色に形さず、英豪を結ぶを好み、少孤、母と織席編履を生と為す。東南角籬の上に一桑樹有り、生高五丈餘、重重に進望して小車蓋の如し、往來の者皆此の樹非凡なり、必ず貴人を出すことを怪しむ。玄德少時、家中の諸小兒と樹下に戲び:「吾天子と為し、此長朝殿なり。」其の叔父劉德然玄德の此の語を發するを見る、曰く:「汝語戲して吾門を滅すること勿。」德然の父元起す。起の妻曰く:「彼は自り一家にして、門戶を趕離す。」元起曰く:「吾家中に此の兒有り、非常人也、汝此の語を發すること勿!」年十五、母行學を使し、九江太守盧植處に事故して學業す。德公甚だ書を樂み讀むこと無し、犬馬を好み、美衣服、音樂を愛す。

當日、因りて履を販賣於市、訖を賣る、亦酒店中に來りて酒を買い吃む。關、張二人德公生れ狀貌非凡を見、福氣千般有り底に說き盡くさず。關公遂に德公に酒を進む。德公二人の狀貌亦非凡なるを見る、甚だ喜び;亦推辭せず、盞を接けて便ち飲む。飲罷、張飛盞を把り、德公又接けて飲罷。飛德公同坐を邀ぎ、三杯酒罷、三人同宿し、昔交便ち氣合す。

張飛言いて曰く:「此の處は咱坐處に非ず。二公棄てず、就ち敞宅に聊か一杯を飲せん。」二公飛の言を見る、便ち飛に隨いて宅中に至る。後に一桃園有り、園内に一小亭有り。飛遂に二公を邀ぎ、亭上に酒を置き、三人歡飲す。飲間、三人各年甲を序す:德公最も長く、關公次たり、飛最も小さし。以って此の大者兄と為り、小者弟と為す。白馬を宰し天に祭り、烏牛を殺し地に祭る。同日に生ることを求めず、只願くは同日に死せんことを。三人同行同坐同眠、誓いて兄弟と為る。

德公有り、漢朝危ふし纍卵の如し、盜賊蠭起し、黎庶荒荒として、歎じて曰く:「大丈夫生を世にして、當に此の如くするか!」時時共に議して、黎民を塗炭の中に救わんと欲し、天子倒懸の急を解かん。奸臣命を竊むを見る、賊子權を弄す、常に不平の心有り。

不爭龍虎仁義を興し、賊子讒臣睡裡に驚く。

張飛却りて、一日二兄を告いて曰く:「今黃巾賊遍に州郡し、民財を劫掠し、人妻女を奪う、倘若賊來らば、飛雖家財有りて、主と為すこと能わず。」玄德曰く:「此の若し如何せん。」飛曰く:「咱燕主を告するに若かず、些の義兵を招く、便ち賊來りて何ぞ懼れん。」玄德並びに關公曰く:「此の舉に理有り。」即便ち馬に上り、家を離れて燕主に來りて事を議す。

指を捻して燕主の階前に到り、馬を下り、門人に攔住される。飛曰く:「念某特に主公を見んと欲し、有る商議的事。」門人曰く:「少し待て某主公に報知す。」門人廳前に至りて稱いて曰く:「一人衙前に有り、主公と議すること有りと欲す。」燕主曰く:「交りて請來れ。」飛即ち門吏人に隨いて廳上に至る。燕主飛に賜坐す。燕主曰く:「公何の干有りや。」飛曰く:「今有る黃巾賊遍に天下す、倘若此に來り都す、此中備無く、却りて燕京を踏碎せずや?」燕主曰く:「雖然此の如し、府庫錢無く、倉廩粟無く、甚の糧草も軍人を養濟すること無し。誰人をして其の頭目と為らしむ。」飛曰く:「某雖上部下民有り、略ほ些小家財有りて、軍人を贍すこと可なり。」燕主曰く:「便ち些の義兵を招くこと得ん、誰か其の頭目と為らしむべき。」飛曰く:「某家に一人有り、姓劉名備、字玄德、乃ち中山靖王劉勝の後、其の人龍準鳳目を生れ、耳肩に過ぎ、手膝に過ぎ、頭目と為ること可なり。」燕主即時に令を出し、義旗を立て起す。為首者乃ち劉玄德、次に關雲長、張翼德、糜芳、簡獻和、孫虔。不滿一月、義軍三千五百を招く。

燕主當日、劉備と共に教場内に於いて其の軍を教演す。燕主看る時、所招の軍將、人人力有り、個個威雄。燕主甚だ喜ぶ。正門中間に人有りて報いて曰く:「禍事也!」

幽郡勇を聚めて戈甲を興し、反亂黃巾死を覓め來る。

燕主言いて曰く:「有何禍事ぞ?」答えて曰く:「今有る黃巾賊、城を離るること百里、來りて幽州を取らんとす。」燕主曰く:「義軍頭目如何にせん?」玄德曰く:「主公憂いを免れよ、備願い軍を領いて去り黃巾を破らん。」道罷むや、玄德燕主を辭し了えて、所招の軍將を領いて、城を出て三十里に下寨す。

玄德帳上に坐して、曰く:「誰人か敢えて去りて賊兵多少を探らん。」一聲を道して未だ了えずして、張飛帳前に報喏す曰く:「飛自り往くを願う。」玄德曰く:「兄弟よ去れ、小心なる者!」道罷むや、張飛馬に上り寨を出でて行く。多くの時を経ずして、飛復た回り、馬を下りて帳前に至り告げて曰く:「今有る漢天子、元帥皇甫嵩を差し、詔敕を持し、如し罪人を作し下し、軍を招き馬を買い、敢えて黃巾賊を破らんとする者有らば、便ち先鋒の印を掛けしめん。若し黃巾賊を滅し了らば、官を封じて賜賞せん。告ぐること哥哥:咱此の處に在りて、只一郡の主ならん、漢元帥に投ずるに若かず、國家に與して力を出さしめ、東蕩西除、南征北伐、今に功を顯し、後に名を揚げん。」玄德張飛の道罷を聽得して、甚だ喜び;即時に手下の人を引きて寨を出て元帥を迎接す。

元帥帳上に至りて言いて曰く:「今天子汝每の義軍を招く罪を赦す、若し黃巾を破り了らば、即ち高官重賞を賜わん。」道罷むや、元帥玄德を賜坐す。關、張並びに眾人侍立す。元帥玄德、關、張の狀貌威雄を覷き、大いに喜び:「此の英雄を據て、黃巾賊を視ること草芥の如し!」元帥即時玄德に先鋒の印を掛けしめ、遂に快騎を差して往きて黃巾の數目を探らしむ。

探事人回りて言いて曰く:「賊兵の大勢、袞州昔慶府最多く、賊軍五十萬、二處に在り。袞州三十萬の賊軍有り;袞州を離るること三十里、杏林莊に二頭目有り、一名は張寶、一名は張表、兵二十萬を領す。」元帥先鋒將に軍五萬を交えて、往きて昔慶府の虛實を探らしむ。劉備曰く:「五萬の軍を用いるを須いず、止んで本部の三千五百の軍を用いん。」先ず任城縣に往きて寨を下す。元帥の大軍後に隨いて亦任城縣に到りて寨を下す。

元帥又諸將に問いて、誰人か再び賊人の虛實を探り、賊人を招安せん。劉備曰く:「備先鋒と為りて往かんことを願う。」即時に詔赦を吩咐す。劉備詔赦を齎擎して、元帥を辭し了え、本部下の軍を引いて、任城縣東門に往き、跳び河に打ち入りて過ぐ。前に班村に去る。玄德曰く:「ここより杏林莊遠近如何ぞ?」曰く:「約十五里。」玄德眾軍に問いて曰く:「誰か詔赦を將いて杏林莊に往き張表を招安せんか?」道罷むや、張飛曰く:「飛往かんことを願う。」曰く:「爾軍を用いること如何ぞ?」飛曰く:「軍兵を用いるを須いず。飛獨り往きて詔赦を將いて杏林莊に行き張表を招安せん。」

張飛獨り一騎して、便ち杏林莊に至る。有りて門を把る軍卒遮當するも住まず、直ちに中軍帳下に至り、馬を立てて槍を橫たる。帳上に五十餘人坐して、中間に張表坐す。帳下に五百餘人皸槍す。張表等眾人皆驚く。張表問いて曰く:「甚人ぞ?探馬に非ざるか?」張飛曰く:「我探馬に非ず、我漢元帥手下先鋒軍内の一卒なり。我私として來らず、我皇帝の聖旨並びに詔赦有り。我謀反大逆有るも、天子命官を殺すも、盡く皆赦免せらる。若し漢に投ずる者は、其の黃巾を去りて、國家の旗號を打ち、子を蔭い妻を封じ、高官重賞せらる。如し投ぜざる者は、盡く皆誅戮せられん!」

張表聞くに大いに怒り、左右を呼び即時に下手せしむ。眾軍は齊に前に向かいて張飛を刺す。張飛望まずして、丈八長槍撮梢兒を用いて把定輪轉せしむ。眾軍前に向かうこと能わず。賊軍の槍桿を打ち折り、其の數を知らず。寨中の賊兵發喊して驚恐自ら開く。張飛一騎の馬にして、賊軍中に於いて縱橫來往し、人敢えて當たる無し。賊軍自ら鑼鼓の聲を聞く。

張表一人を見て、帳下に報喏して曰く:「大王禍事ぞ!」張表曰く:「如何にして禍事ぞ!」曰く:「今有る漢先鋒軍六隊に分かち、各兵五百を領して、金鼓亂鳴し、旗を搖いて發喊し、門を奪い寨中に撞入す!」張表急速に賊兵を領して、一發に袞州に奔りて走る。漢軍後に隨いて追趕し、五十餘里に到る。

玄德軍を收め、杏林莊に往きて寨を下す。玄德軍を令して寨門を把らしめ、諸將を點視す。軍に問いて曰く:「賊を趕いて那裡に去るか?」答えて曰く:「皆袞州城に入る、老小を拋棄し、盡く皆殺さる。」玄德即ち元帥に申して、交りて杏林莊に來る。元帥申狀を見て、大いに喜ぶ。即時軍を領いて杏林莊に至る。劉備元帥に接して、共に帳上に於いて坐定し、筵宴す。元帥降令し、先鋒軍兵並びに帥府下の諸將頭目等、盡く皆賜賞す。

正に筵宴の間、探馬一人帳前に至り報喏して曰く:「今張表袞州に入り、張寶と兵を合して一處甚だ大なり。」道罷むや、元帥降令して曰く:「誰か袞州を取り取らん?」玄德曰く:「劉備往かんことを願う。」元帥大いに喜び:「賊兵勢大に據るも、寡は眾に敵せず、汝多くの軍を將いて去るべし。」備曰く:「軍多くを用いず、本部下の雜虎軍を將くを足る。」元帥曰く:「爾去り、意を在る者!」

玄德即時元帥を辭し了え、詔赦を將いて兵を領いて袞州に奔り來る。前に袞州十餘里を離れて、寨を下す。玄德曰く:「誰人か詔赦を將いて張表並びに張寶を招安せん?」張飛曰く:「某往かんことを願う。」玄德曰く:「爾兵を用いること如何ぞ?」飛曰く:「一卒を用いること須いず、飛獨り自ら去る。」玄德曰く:「失うことを防ぐこと恐る、爾五百軍を將いて去る可し。」飛連聲に叫いて曰く:「須いず、須いず!」玄德曰く:「爾少し軍を將いて去る可し。」飛曰く:「我少し自願の軍を將いて去る、我に隨いて行くを如し、功を得る者子孫永く國祿を享けん!」第一聲に、七人七騎を招く;第二聲に、三人三騎を招く;第三聲に、二人二騎を招く。共に十三人を招き得たり。飛曰く:「足る!」

張飛十三人を領いて、詔赦を齎擎して、前往袞州に至り、城下に到る。張飛城池を觀瞻し、敵樓戰棚、深く鹿角を埋め、壕塹を開掘し、城上に檑木炮石を廣くし、吊橋を拽き起こし、棧板を放ち下す。張飛城壕外に在りて高聲に叫いて曰く:「城上に甚の人來りて話を打ち則個するぞ!」道罷むや、一簇の軍城上に來りて話を打ち、問いて曰く:「爾來るの軍卒は誰ぞ?」張飛曰く:「我漢元帥手內の先鋒將下の張飛なり。」却りて城上に問いて曰く:「爾は誰ぞ?」「我は袞州頭目の張寶なり。」飛曰く:「我今漢朝の詔赦を齎擎し來る、若し汝赦に投ずれば、盡く皆罪を免れ、職を封じ官を加えて重賞せられん;如し投ぜざれば、並びに誅戮せられん!」張寶聽得大いに怒り、即時門を開きて之を迎えんと待つ。

張表曰く:「不可なり。表杏林莊に在りて、這の漢獨り馬にして直ちに寨中に至り、眾軍抵當すること能わず、以って此の杏林莊を失う。」張寶曰く:「此の如くして如何ぞ?」表曰く:「堅く閉して出で休め、恐らくは張飛計有らん。乞うて揚州に申して救いを求めん。」張飛城下に大いに叫び、城上の人語る無し。張飛大いに怒り、城を繞いて大いに罵り、人應ず。再び轉じて南門城下に到りて高く叫いて曰く:「門を守る者は誰ぞ?」又人應ぜず。

張飛人應ぜざるを見て、乃ち眾軍に對して曰く:「咱は漢軍を為して、鞍は馬を離れず、甲は軀を離れず、弓を枕にして沙印月、甲に臥して地に鱗を生じ、苦く惡戰を征し、相持ち廝殺し、多少生に受け來たる。咱今日便ち壕塹の前に著して、柳樹甚だ多し、柳陰下に甲を卸し、壕中に澡洗し、馬を樹下に於いて氣歇す。」中間に、張飛城上を指して再び罵る。張表大いに怒り、張飛城壕に於いて澡洗し、人馬備無きことを見る。張表兄に對して言いて曰く:「我今この漢を殺さずして、能く辱を死せず!」兄寶曰く:「咱軍約五十餘萬、將有千員。咱軍十萬首と為りて、天下を縱橫し、人敢えて敵う無し。咱漢朝の世界三停を把りて二停を占む、地都を屬し咱るを看看す。今日張飛來りて一小寨を失し、この杏林莊を早くして恐懼の心有り。上將下至の散軍を論わず、如し張飛に敵すること敢う者有らば、兄長に問わず、便ち重賞せん。」張表曰く:「當日に天時昏暗く、我軍甲に慣れず、馬鞍に被かず;後に大勢軍來りて、以ってこの杏林莊寨を失う。今張飛十三人有り、張表五千軍を將いて、必ず張飛を捉えん!」張寶曰く:「吾弟の言甚だ當る。」

即時に五千軍兵を領いて、吊橋を放ち下し城を出で來る。張飛兵の城を出づるを見るや、一發に馬に上り、衣甲を著し、各自の器を執り、南に往きて便ち走る。前に姚家莊に至り、袞州を離るること約四十餘里、張表後に追う。杏林莊に至りて、一隊軍を見ること約千餘人、首將は前部先鋒の劉備にして、雙股劍を提げ、錦征袍を身に穿き、馬を門旗下に立てて叫びて曰く:「賊軍頭目は誰ぞ?」「我乃ち張表なり!」玄德見て道き、坐下の馬を兜轉し、二人便ち鬥う。約二十餘合、後に五百軍覺えずして襲う、殿後に首將は簡獻和、混戰して張表大いに敗る。

張表軍を回らし、袞州に往きて便ち走る、後に玄德襲う。前に一大林有り、林中に一隊軍出ること約千餘人、馬を立てて刀を橫たる。張表急ぎ問いて曰く:「來る者は誰ぞ?」「我漢先鋒手下の一卒、關某字雲長。」言いて曰く:「賊將何ぞ馬を下りて降を受けざるや!」張表大いに驚く。雲長刀を橫たえて前に向かい、張表更に迎敵すること敢えず、斜に棄ちて便ち走る。

玄德の軍亦趕上し、關公と共に一發に張表の軍を將いて其の九分を殺す、百十餘人を無くし、晚に相戰して、前に袞州城下に至る。張表急ぎ聲高く叫いて曰く:「門を開けよ!後に伏兵ありて甚だ急を趕う!」城上の張寶火急に門を開け、張表の軍皆無五七十人城に入る。壕塹の外、柳林中に、張飛埋伏する軍一發に城に撞入し、張表の軍を水に落す者數を知らず。張飛百十餘人を領いて高く叫びて曰く:「吊橋の索を斲斷せよ!」後の軍皆城に入る。夤夜の間、張寶、張表又漢軍の多少を知らず、急に北門に往きて便ち走る。復た袞州を奪う。次の日に至りて、元帥筵宴を排して、商議の間、探軍人有りて回報して曰く:「敗軍皆廣寧郡に入る。」元帥曰く:「來朝先鋒軍を領いて先行す、隨いて後大軍寨を撥して皆揚州に赴け。」勝州路を取り、海州を過ぎ、漣水を並び、淮河を渡り、泰州を過ぎ、西揚州に至る。先鋒劉備並びに到り、城を離るること一射地下に寨を下す。

張表を說いて、軍を點し張寶を見ず、亂軍中に死す。張角大いに怒る。探馬を見て至りて、報いて曰く:「探得漢軍至りて近く、先鋒劉備城を離るること一射地下に寨を下す。」張角諸將を召いて省會し、來朝大軍須らく傾城皆起ちて、前みて劉備を迎う。

次日の天明に至りて、張角軍を領いて出る。劉備軍を分かつこと三隊、關、張二人各一隊を將く。兩軍相交するに至るに頭する。關公其の殿後を襲い、張飛橫脅便ち撞く。劉備小校を教えて高く叫びて曰く:「若し賊軍其の黃巾を去り、兵器を棄てば、便ち赦下に在り!張角を捉えし者は、五霸諸侯に封ぜん!」道罷むや、元帥軍至る有り。賊人見て、戈を投げ甲を棄て、黃巾を去り、拜降する者その數を知らず。張角、張表亂軍中に死す。

劉備揚州を得、漢元帥軍を領いて揚州に入る。元帥降令し、百姓を安撫し、秋毫犯すこと無し、如し違う者は軍令に依う。百姓皆喜ぶ。元帥降令し、自ら先鋒首と為り、以下諸將軍卒來る日筵宴に赴く。

次の日に至り、皆席に赴く。元帥言いて曰く:「大小眾官、黃巾賊を破りて生を受く!」各人賜賞畢り、表を書して朝に申し、日を選びて軍を回す。長安に至りて、元帥眾軍に令して東門外に寨を下す。元帥劉備に對して曰く:「黃巾賊を破りしは、功勞皆玄德なり。我今帝に見え、黃巾を破る一事を奏し、君王錯たず。劉備曰く:「東門外に寨を下し、二三日を等べ。」

當日、劉備正に諸侯と坐する有り、小校一人來りて報ずる有り、漢宣使先鋒を見んと來る。劉備言いて曰く:「道くを見て、宮門を迎えて出で、至り中軍帳に坐定す。劉備禮畢り、問いて曰く常侍官何來る。」「汝我を識らずや?我乃ち十常侍中一人。」段珪讓道く:「俺眾人商議して來り、玄德公黃巾賊寇を破り、金珠寶物多收して廣を極め、汝好し三十萬貫金珠を俺に獻じ、便ち交して汝建節封侯、腰金衣紫。」劉備曰く:「城池營寨を得るのみ、金珠緞疋を得ること皆元帥收り了え、劉備分毫無し。」段珪聽言、忽ち起ち、數步離るる可し、回り頭を覷いて劉備を定め、罵りて曰く:「上桑村に乞食する餓夫、汝金珠有り、肯えて他人に與う!」張飛大いに怒り、拳を揮いて直ちに段珪根前に至る。劉備、關公二人扯拽して住まず、拳中唇齒綻落し、牙を兩個打ち下し、滿口流血。段珪口を掩いて歸る。劉備道く:「汝軍卒を帶累す!」

次日に至りて天曉く、元帥來りて劉備を請す:「表章已に帝に奏し了る也、功勞全て是れ汝也!」綠袍槐簡を吩咐し、來る日朝門外に聖旨を聽け。

劉備朝門外に至り、約半月、宣さず。宣詔を見て、元帥下諸將皆官賞を得て任に赴く。外に劉備有り、一月餘を守るを等しくし、並びに宣詔無し。三人本寨に至り、劉備心悶し、目張飛に視り、一拳打ち段珪讓眾軍を帶びて苦を受く。尋思を罷り、雜虎旗軍一齊に來りて劉備に告ぐ、張飛を辭して曰く:「眾將功有るを見て問わず、功無き者賞を得、能く守るを等ばず。俺各自り家に歸り去らん。」劉備言いて曰く:「功勞皆是れ咱の軍、功無き軍賞を得、況んや咱軍をや?漢帝錯たず、須らく是れ功勞大小を斟量し、任便に更に三五日を等ばしむるなり。」

來る日に、劉備又朝門外に行きて聖旨を聽け。正に朝退き、文武出て內門來る有り。四馬銀鐸車、金浮圖、茶褐傘を見る。劉備冤屈を叫ぶ三聲。車中の官人問う:「冤屈を叫ぶ者は何人ぞ?」劉備車前に立ちて曰く:「某黃巾賊先鋒劉備を破るなり。」「如何に冤の聲を叫ぶぞ?」劉備曰く:「元帥下諸將皆賞賜を得、官に加えて任に赴く。唯だ劉備の諸軍のみ、朝に隨いて月餘、並びに宣詔無く、軍兵盡く皆餓えて散ず。」車中の者、乃ち皇親國舅董承、言いて曰く:「又是れ十常侍官亂を作す。先鋒使內門外に去りて、我を復回して帝に奏せしむ。」

兩個時辰到ること約り、復出內來りて曰く:「先鋒我に隨いて前來れ。」國舅宅に至り、劉備に茶飯を請す。劉備躬身、叉手にして禮を施して曰く:「上りて國舅に復し、元帥何の表章を奏するかを知る能わず。」董承曰く:「今日已に晩し、來る日に早朝に、大臣商議し、與え汝官賞をなさん。來る日に聖旨を聽け。」劉備辭して、營中に到り、眾軍將に對して知るを說き、大いに喜ぶ。

次日に至りて、再び朝門外に行きて聖旨を聽け、十常侍官宣詔を將いて曰く:「先鋒劉備を喚いて聖旨を聽け!」 劉備拜し了えて、俯伏して地に在り。「長安に至りて多少時節に官糧を得ずや?」劉備曰く:「三十七日。」「長安至定州幾程、若し定州に到らば、計を打ちて幾日に、都を交して打ち請けて前都交し糧草を補訖し、劉備定州附郭安喜縣の縣尉に赴け、太山賊寇極めて多く、汝本部下の軍兵を將いて鎮壓せよ。」劉備前去し、定州に至り、安喜縣を禮上し、州吏參榜を讀むを見て、定州の官員:「今安喜縣縣尉謹參。」廳前に至り、時に禮を施して、太守大いに怒り、喝して曰く:「劉備休拜せよ!」左右人を呼んで劉備を捉え、曰く:「今黃巾賊を破り盡くさず、山野に潛藏し、百姓を討擄す。」太守問いて曰く:「汝ここの至りて長安に近遠、如何にして限を違えて半月餘か?汝酒を拖り功を慢じ、官の小を嫌い、故に意を遲慢せんとす!」劉備曰く:「太守を告す、三千五百人、少きを連ね約して一萬二千餘口、盡く車を推し擔を擔い、女を抱き男を提げ、老弱急進すること能わず。大人寬恕を告し、官糧を多く請ず。」太守怒り、再び問いて曰く:「汝如何にして軍兵を先に交えて來り、老小後に在り、汝分說を休めよ!」左右人に令して監下し、遲慢招伏を取り。筆を落して狀を判ぜんと欲し、左右勸元嶠を取る有り、縣尉黃巾賊の功勞を破るを看て、權に罪を杖かるを免れ、左右人を令して廳を繞り三遭を拖る。左右二官又勸了。太守喝して曰く:「縣尉、汝本衙に歸り、意を勾當に在せよ!」

劉備衙に到り、關、張眾將を見て、前廳に邀いて坐間に置く。張飛遂に玄德に問いて曰く:「哥哥如何にして煩惱するや?」劉備曰く:「今某縣尉に上り、九品の官爵なり。關、張眾將、黃巾賊五百餘萬を前に破り。某官為し、弟兄二人無官、以って此の煩惱。」張飛曰く:「哥哥錯れ矣。長安至定州に從りて、十日行く、煩惱せず;何の為に參州回り來りて便ち煩惱するか?必ず是れ州主甚の不好を有す。哥哥兄弟に對して說け!」玄德說かず。

張飛玄德を離れ、言いて曰く:「端的を知るを要す、除して根を問いて去る!」後槽根底に至り、親隨二人を見て、便ち問うも、實に說くことを肯ぜず。張飛之を問いて、大いに怒る。晚二更に天に向かいて、手に尖刀を提げ、即時に尉司衙を出で、州衙後に至り、牆を越えて過ぐ。後花園に至り、一婦人を見る。張飛婦人に問いて曰く:「太守那裡に宿睡せん?汝若し道かずんば、我便ち汝を殺さん!」婦人戰戰兢兢として怖ることを怕り、言いて曰く:「太守後堂内に宿睡す。」「汝は太守甚の人ぞ?」「我は太守牀を拂う人なり。」張飛曰く:「汝我を後堂中に引きて去らしめよ。」

婦人張飛を引きて後堂に至る。張飛婦人を把り殺し、又太守元嶠を把り殺す。燈下の夫人忙しく叫いて曰く:「殺人賊!」又夫人を把り殺し訖。以って此に衙内上宿の兵卒を驚き起こし、約三十餘人迭し、前に向かいて張飛を拿んと來る。飛獨り弓手二十餘人を殺し、牆を越えて出で、却りて本衙に歸る。

次日に天曉く、大小眾官縣尉を請いて商議し、如何にして殺人賊を捉拿せん。劉備情願して根を捉う。即時に朝廷に申報して知るを得。十常侍言いて曰く:「這の殺太守賊人、別人に非ず、多くは縣尉手内の人殺し了る。」

朝廷使命を發して督郵を問いて、姓は崔名は廉、御史台走馬、前に定州館驛内に至りて安下す。大小眾官使命を見に來り、公事を有することを使命に問う。督郵曰く:「殺し了る本處の太守を為す、以って此に我を差して來て問う汝眾官人毎に、ここに縣尉有りや?」「縣尉門外に在り、敢えて便ち來り見ず。」使命隨に縣尉を喚き叫ぶ。

縣尉兵三百餘人を引き、内に關、張、左右縣尉に隨う二十三人有りて、使命を見に來る。使命曰く:「汝縣尉か?」劉備曰く然り。使命曰く:「太守を殺し了るは汝か?」劉備曰く:「太守後堂中に在り、明燈燭有り、上宿する者三五十人、太守二十餘人を殺し、燈下脫げ走る者、須らく劉備と認知するなり。それ劉備に非ず。」督郵怒り曰く:「往日に段圭讓汝弟張飛をして兩個大牙を打たしむ、是れ汝來たり!今日聖旨我を差して來たり汝太守を殺す賊を問う。前に參州限を違え、本合罪を斷ぜられ、眾官面を看て、汝を斷ずる不を曾ず。これに因りて仇を挾み、太守を殺し了る。汝分說を休め!」左右人を喝して拿下せしむ。

傍に關、張大いに怒り、各刀を帶びて廳上に走り來りて、眾官皆奔走することを唬し、使命を拿住し、衣服を剝ぐ。張飛劉備を扶けて交椅上に坐し、廳前の繫馬樁上に使命を綁縛す。張飛督郵の邊胸を鞭し、大棒百を打ち、身死して、分屍して六段とし、頭を北門に弔い、腳を四隅角上に弔う。劉備、關、張眾將軍兵有りて、皆太山に往きて落草す。

朝廷知るを得。當日、帝朝を設け、文武百官に問いて曰く:「如今黃巾賊を破らず、尚自ずから極めて多し。又劉備反す、如し一處を相合せば、怎生奈何せん?」國舅董成班を出て帝に奏して曰く:「陛下萬歲、今劉備反せず、皆是れ十常侍官、秤を懸け官を賣り、財寶有る者官を做し、功有る者賞無く。陛下若し小臣に依れば、劉備反せず。」帝曰く:「如何にして劉備を招安するか?」「今十常侍等を殺し訖し、七人の首級を太行山に往き、便ち弟兄三人の招安得ん。」帝曰く:「卿の所奏に依う。」問う:「誰人か去るべき?」董成奏して曰く:「小臣住まんことを願う。」

董成七人の首級を將いて太行山に前往す。彪軍兵一を見る。董成軍兵と打話して曰く:「我聖旨を奉じて招安し、汝は十常侍等朝野内に於いて財貪賄を好み、秤を懸け官を賣り、以って此れ誅殺す。今首級を將いて汝弟兄に交えて知るを。」劉備俯伏して地に在り、聽訖赦書。劉備恩を謝して畢り、便ち國舅に隨いて前に長安に入りて帝を見す。帝喜び、賞を賜い官を加え、德州平原縣の縣丞に遷し、左右の二官賜賞して畢り。

以って此れ帝崩す、即時に漢獻帝を立てて君と為し、長安を離れて、前に東都洛陽に來りて都を建つ。宰相王允、蔡邕、丁建陽有り。帝當日に朝を設け、王允班を出て帝に奏して曰く:「西涼府申報有り、黃巾賊張李四大寇、有ること三十餘萬、既に西涼府を占む。」帝曰く:「如何ぞ?」帝王允に問いて曰く:「誰人か去るに敢う?」王允奏して曰く:「董卓を宣して元帥と為す。董卓萬夫當らざるの勇有り、身長八尺五寸、肌肥肉厚腹大にして、討王を作し上陣して重鎧を披き、走ること奔騎の如く、坐するに綽飛燕、元帥と為るに堪う。手下に戰將千員有り、雄兵五十餘萬長有り。」帝所奏に依い、董卓を宣して朝に入り、官を加え職を封じ、封じて太師天下都元帥と為す。

帝董卓に問いて曰く:「今西涼府申報有り、黃巾賊三十餘萬亂を作す、誰人か破るに可き?」董卓奏して曰く:「小臣願い往く。」兵を興さんと欲して、忽ち城内に大喊聲有ることを聽き、城門を閉じ、急に軍兵數千餘人を點し、前街後巷、羅紋結角、軍兵皆把らしむ。一人の馬將に坐するを見、猛虎の如く有り、軍兵を蕩散し、殺死する者數を知らず。即ち漸く軍を添え將を添え、多を得ること極めて多く、此の人を困住す。太師高く叫び、何人かを問う。此の人語らず。百姓皆高聲にして曰く:「這の漢は丁建陽家奴、丁丞相を殺し、丁丞相馬を騎して走らんと待つ!」軍兵困住し、太師軍多く將廣にして、以って此を拿住し、縛り了え、帥府に將いて來る。

董卓坐定し、遂に捉住して何人かを問いて曰く、姓甚名誰かを言う。言いて曰く:「某乃ち姓呂名布、字奉先。」「汝何の為に街上に戟を持して人を殺す?」詢問せんと欲するに、丁丞相家人言いて曰く:「此の人別事と為さず、丁丞相の一疋馬を為し、故に丁丞相を殺し了る。」董卓問いて曰く:「這の馬如何なる良馬ぞ?」其の家奴再覆して曰く:「這の馬非ず俗、渾身上下血點の鮮紅に似て、鬃尾火の如く、名を赤兔馬と為す。丞相道き、紅にして赤兔馬と為さず、是れ射兔馬、旱地を行く時、兔子を見ざること無き、不曾未だ走らざる、馬關に用いずして踏住せしむこと、以って此れ赤兔馬と謂う。又言いて曰く、この馬若し江河に遇えば、平地に登るが如く、水に涉りて過ぐ。若し水中に至れば、草料を吃むこと無く、魚鱉を食む。この馬日に千里を行き、重八百餘斤を負い、この馬凡馬に非ず。」道罷むや、呂布言いて曰く:「馬の為に主公を殺すに非ず。」布曰く:「屢長主公常に我を辱しめ、以って此れ丁丞相を殺し了ること實なり。」

董卓呂布を見る、身長一丈、腰闊七圍、獨り百十餘人を殺し、如此英雄、方に今天下少し有り。「正に是れ人を用いるの時、我汝の罪を免さんこと如何ぞ?」呂布言いて曰く:「情願して太師と與に鞭墜鐙を過ぎ、拜して太師を父と為さん。」太師甚だ喜び、遂に呂布を放ち了る。

當日、太師軍兵五十餘萬を領いて、戰將千員、左に義兒呂布有り。布赤兔馬を騎し、身金鎧を披き、頭に獬豸冠を帶び、丈二方天戟を使い、上面黃幡豹尾を掛け、步奔過騎して左將軍為す。右邊に漢李廣の後李肅有り、銀頭盔を戴き、身銀鎖甲白袍を披き、丈五倒須悟鉤槍を使い、弓を叉し箭を帶ぶ。文を用いる者、大夫李儒有り;武を用いる者、呂布、李肅有り、三人董卓を輔佐す。

董卓軍を領いて西涼府に到り、一鼓にして收め、四大寇張李等三十餘萬の大軍を招安し、前東都洛陽に來る。洛陽西北を離るること約二十餘里、夫を差して城一座を修し、號して郿塢城と曰う。張李を令して軍兵を屯住し、官糧を打請せしむ。董卓亂を作し、常に漢天下の心を謀ること有り。

董卓李儒に問いて曰く:「今四大寇西涼府を離れ、誰か西涼府を把ること可き?」李儒言いて曰く:「太師の女婿牛信を把するに可し。」太師牛信を叫び、十萬軍を將いて西涼府に往き鎮守して訖す。

漢獻帝、後殿中に於いて默に國舅董成に詔を降す。成至り、獻帝聖旨:「今董卓弄權有り、如何にせん?」董成奏して曰く:「我王天下諸侯に詔し、我王長安に往きて都を建つ、今天下諸侯並びに董卓を殺し、以って此れ天下太平。」帝問いて曰く:「誰人か去るに可き?」「臣手下に一人典庫校尉有り、その人去りて、心膽を有す。若し乾了るこの大事、元帥と為ること可し。」詔冀王袁紹、鎮淮王袁術を以って軍を監し、長沙郡王太守孫堅を使す。

一人階下に至り、山呼萬歲して畢る。帝問いて曰く:「卿姓名?」曰く:「某姓曹名操、字孟德。」獻帝この漢を覷いて、二十個董卓に敵する可し、今漢天下計無く策は無く、須く此の人を用いるべし。獻帝曹操に賞を賜いて■目使と為す。「若し大事畢れなば、加えて天下都元帥と做す、汝勾當に意在れ;卿若し功を獲る者あらば、卿を加えて左丞相と為す。」

曹操帝を辭して出城し、天下諸侯に會う。前に定州に至り、公孫瓚太守を見す。正に行うの次、裡堠整齊を見、橋道平整し、人煙稠密にして、牛馬繁盛し、荒地全く無く、田禾多きを有す。曹操農夫一人を呼びて問いて曰く:「此は乃ち何の方ぞ?」農夫言いて曰く:「啟告官人、此の處は德州平原縣の界なり。」曹操驚き農夫に問いて曰く:「此の處の縣官は誰ぞ?」農夫曰く:「縣令は事を管ず、只有縣丞管事。」縣丞は誰ぞと問う。農夫曰く:「是れ往日に黃巾賊を破りし劉備なり。」曹操大いに驚き:「天下諸侯に會するを得ん、この處には董卓を斬るの劊子あり!」

曹操三十騎馬を曾ちて縣衙門外に往き、左右人有りて玄德に報ず。門吏曰く:「今漢天使有りて衙門外に在り、縣官火速に出迎して使命を見よ!」眾官衙内に迎えて、廳上に到りて坐定し、參拜禮畢り、各筵宴に坐す。酒數巡を行いて、操曰く:「我聖旨を奉じて、天下二十八鎮諸侯を宣す。今董卓弄權有り、長有りて漢天下の心を謀ること、眾諸侯を宣して駕を保し天下を定めしめ、董卓を破る。及び呂布、李肅有り、各萬夫當らざるの勇有り、人敵すること可き無し。因りて滄州洪海郡の韓甫を宣す、輕過平原縣、却りて玄德公此に在りて聞く、特に來りて相謁す、玄德公阻むを休めよ。漢天下の面を看れ、若し玄德公虎牢關に到りて、董卓、呂布を破り了るを、操保薦して玄德公萬戶侯に封じ、相府院に入らしめん。」

曹操盞を執りて劉備に進む。備曰く:「小官武藝を會せず、弓馬熟せず、恐らくは國事を失わん。」張飛曰く:「哥哥、桃園結義に從い、共に黃巾を破り、名を後に圖らん。今國家正に人を用いるの際、眾諸侯に隨いて虎牢關に到り、董卓、呂布と交戰し、皇帝の洪福に托賴して、董卓、呂布を殺し了らば、凌煙閣上に名を標し、平原縣に宰となりて、腰金衣紫を得て、子を蔭い妻を封ずるに強し。哥哥若し去らずんば、小弟張飛願いて往かん。」曹操應聲にして謝す。宴罷むや、曹操再三囑付して曰く:「張將軍の許したりや、若し到りて遲し、必ず使命を交えて來りて汝三人を請さん。」曹操別辭して上路す。

玄德宅に歸り、二弟と評議し、言いて曰く:「咱去り、那裡に到るを爭わずして汝を用いず、何處歸止する?」張飛言いて曰く:「弟兄放心せよ、我獨り自ら去りて董卓を破り、呂布を誅せん。」玄德曰く:「使命有るを候して却りて去らん。」

獻帝洛陽に在り、君に為るに懦弱なり。太師董卓弄權し、身三百斤を重ね、篡國の心有り、劍を帶びて殿に上り、文武皆懼る。手下の義兒呂布を倚り、白袍李肅、四盜寇、八健將、常に天下諸侯を欺壓す。

譙郡太守曹操を却りて、再び朝に入りて帝を見す。董卓の氣勢人を欺すを見るや、越えずして忿の心を有す。朝罷むや、曹操再び帝に奏して曰く、暗行密詔を商議し、天下諸侯を虎牢關前に會せしめ、共に董卓を破らん。詔約中平五年三月三日、眾虎牢關前に會する。即ち便ち詔を行う諸鎮天下諸侯、早く關前に到る可し。長沙子弟最も先と為る。長沙太守孫堅先ず關前に到る。青州袁譚至らず。天下軍馬皆關前に在り、糧草闕少す。曹操糧を催すに因りて、青州袁譚を催して去る。數日にして、前平原縣に至り、玄德禮畢るを見て、操曰く:「諸侯皆虎牢關に在り、三將軍若何ぞ?」玄德語らず。張飛曰く:「漢天下主無きを看て、太師賊臣を殺し、再び漢室を扶けん。」先主方に許す。操曰く:「冀王袁紹元帥と為り、三將軍書を袁紹に將いて去る可し。」丞相即ち便ち書を修め、先主に付與す。曹公別れて了り、青州に去る。

關、張、劉備三人、手下三千の雜虎騎を點し、日を選びて登程し、西南を望みて上り行く。路に數日有り、前に虎牢關に至り、大寨を五七里相離れて帳を下し、次の日に至り、三人衣裝を整頓し、先ず元帥を探覷し、轅門に至る。

冀王袁紹を說いて、諸侯帳上に會集し、曰く:「今漢室主無く、賊臣權を弄し、獻帝洛陽に在り、君に為るに懦弱なり;董卓虎牢關に在りて、百員名將を有し、首と為る者は溫侯呂布、身長九尺二寸、方天干を使い、人當たる可き無し。汝眾諸侯如何に計を定めて賊臣を誅殺し、朝廷に報答し、名を後に圖らん?」眾官語る無し。

忽ち寨門外鬧することを聽く。門吏報じて曰く:「轅門外に三將軍來り見んと欲す。」冀王速かに令して當面に至らしむ、眾官皆覷いて首と為る者は一將、面滿月の如く、耳肩に過ぎ、雙手膝を過ぎ、龍准龍顏、乃ち帝王の貌なり。左手下に一將、身長九尺二寸、蒲州解良人也、姓關名羽、字雲長。右手下に一將、幽州涿郡人也、姓張名飛、字翼德、豹頭環眼、燕頜虎鬚。冀王問いて曰く:「三將軍何人也?」先主曰く:「無能の幽州涿郡大桑村人也、姓劉名備、見任平原縣令。」冀王曰く:「是れ綠袍槐簡か?」先主曰く:「然り。譙郡太守の過ぎる路に因りて、書を備に留め、敬して關前に來り、共に董卓を破らん。」冀王大いに喜ぶ。

先主書を取りて袁紹に與う。袁紹書を看し畢り、遂に眾諸侯に問いて曰く:「此の事如何にぞ?」帳上の一將振威として叫び曰く:「諸侯虎牢關下に會合し、剋日に賊臣董卓、呂布を斬らん!」眾官これが長沙太守孫堅なることを覷く。宋文舉曰く:「關前に董卓を誅せん、何ぞ綠衣郎を用いるに及ばん!」眾官聽道して皆喜ぶ。冀王又問うも、眾官皆語る無し。

三將冀王を辭し、寨東北の五七里に出でて、本寨に到る。張飛曰く:「倘若し平原に在らば、豈に他人の患を受けん!」來る日天曉く、又袁紹を見し、眾官又喜ばず。三將復た回り、來る日、上路直ちに平原に去る。數里行くを約して、曹操を迎え見て、實の其の事を說す。曹操笑いて曰く:「我を趕いて復た回れ!賊臣を破るに倘ならば、大功を建立し、何の官を做さざらん?」來る日軍回り、袁紹大寨に到る。

後の二日、曹操寨内に言いて曰く:「蕭何三たび韓信を薦め、漢四百餘年を興す。」冀王筵を排して會し、曹丞相を諸侯同に請す。正に宴の次に、人虎牢關有る溫侯呂布の搦戰を報ず。冀王曰く:「誰人か敢えて呂布と決戰せん?」言未だ盡きざるに、一將の出ずるを見る、認むるは徐州太守陶謙手中の步隊將曹豹、自ら言いて曰く:「我呂布と決戰し、呂布を捉えんと欲す!」眾皆喜ぶ。馬に上り對陣し、呂布曹豹を捉う。時を一個も沒くること無く、敗軍回り、言いて曰く溫侯一合にして曹豹を捉えたり。冀王大いに驚く。又人言有り:「卻りて曹豹を放回して來る也!」曹豹寨に入り、眾官呂布其の鋒に當る可からざることを聞きて、呂布ただ十八鎮諸侯を捉えんと待つことを言う。眾官無くして憂えざる者無し。

次の日天曉に至り、探事人告げて曰く:「呂布三萬軍を將いて、虎牢關を下りて搦戰す。」冀王眾官に問いて曰く:「誰か溫侯と決戰するや?」言未だ盡きざるに、長沙太守孫堅有り、軍を引いて馬を出し、呂布と對陣す。馬を交えて都て三合無く、孫堅大いに敗る。呂布大林に趕入す。呂布箭を發して孫堅を射す、孫堅金蟬蛻殼の計を使う。孫堅却りて袍甲を樹上に掛けて走る。呂布孫堅の頭盔戰袍を將いて、健將楊奉をして虎牢關に上り、太師董卓に與う。正行くの次、路に張飛に逢い、頭盔戰袍を奪う。

天明に至り、張飛袁紹大寨轅門に至りて馬を下り、先主と關公に見す。玄德言いて曰く:「孫堅言いて咱們は貓狗之徒、飯囊衣架と為す。」先主曰く:「彼は長沙太守と為し、我は綠衣郎、豈に能く為に爭気せんや?」張飛笑いて叫びて曰く:「大丈夫死生を顧みず、名を後に圖らん!」先主、關公勸むること住まず、張飛直ちに冀王帳前に至る。張飛頭盔袍甲を獻じて冀王に與う。太守孫堅、眾官語らず。聲巨鐘の若くして曰く:「前者太守言いて我皆貓狗之徒と為し、呂布關を下り、太守袍を棄てて脫す!」孫堅これを聞いて大いに怒り、張飛を推して斬らんと欲す。諸侯皆起つ。冀王袁紹、荊王劉表、譙郡曹操有りて告げて曰く:「呂布之勢當たる可からず、若し張飛を斬らば、誰か董卓を破らん?」孫堅語らず。張飛自ら言いて曰く:「呂布關を下り、我兄弟三人必ず家奴を斬らん!」眾官皆喜び、張飛脫るるを得。

第三日、呂布又搦戰し、眾諸侯寨を出で、品布と對陣す。張飛馬を出し槍を持す。張飛呂布と交戰して二十合、勝敗を分かたず。關公忿怒し、馬を縱いて刀を輪とし、二將呂布と戰う。先主忍びずして、雙股劍を使い、三騎呂布と戰いて、大敗して走り、西北虎牢關に上る。

次の日、呂布關を下り、叫びて曰く:「大眼漢馬を出せ!」張飛大いに怒り、馬を出し、丈八神矛を手持し、雙圓眼を睜き、直ちに呂布を取る。二馬相交し、三十合、勝敗を分かたず。張飛平生廝殺を好み、對手を撞著し、又三十合戰い、呂布絣旗掩面を殺す。張飛如神、呂布心怯し、馬を拔き關に上り、堅く閉じて出でず。呂布四盜寇を使いて其の關を緊守す。四人者、李傕、郭汜、張濟、樊稠の四人なり。

董太師、洛陽駕を邀き、西に長安に入る。帝萬安殿に坐し、太師に命じて宴を設けしむ。至晚、帝亦酒を帶びて後宮に歸る。董卓四妃を見て、言を以て相戲ぶ。宰相王允有り、忿の心無く、密かに言いて曰く:「天下主無きなり。」

王允宅に歸りて馬を下り、信步して後花園内に到り、小庭に悶坐す。獨り言いて獻帝懦弱にして、董卓權を弄し、天下危うし。忽ち一婦人香を燒くを見る、得て鄉に歸らずと自ら言い、故家長面を見えず。香を焚いて再拜す。王允自ら言いて曰く、吾國事を憂う、この婦人因りて甚の禱祝ぞ?王允免れずして庭を出でて問いて曰く:「汝何の為に香を燒く?我に對して實を言え。」唬れて貂蟬連忙跪下し、敢えて諱を抵せず、實に其の由を訴えて曰く:「賤妾本姓任、小字貂蟬、家長は呂布、臨洮府自ら相失いて、至今未だ面を見ず、以って此れ香を燒く。」丞相大いに喜び:「漢天下を安んずるは、この婦人也!」丞相堂に歸り、貂蟬を叫びて曰く:「吾汝を看ること親女の一般の看待の如くなり。」即ち金珠緞疋を貂蟬に將いて、謝して去る。

數日にして、丞相太師董卓筵會に請す。至晚、太師酒を帶び、燈燭熒煌を見る。王允數十個美色婦人を令し、内に貂蟬を簇し、髻碧玉短金釵を插し、身に縷金絳綃衣を穿く、那堪傾國傾城!董卓大いに驚き、覷移して時を自ら言いて曰く:「吾室亦此の婦人無し!」王允謳唱を教え、太師大いに喜ぶ。王允曰く:「關西臨洮の人也、姓は任、小字は貂蟬。」太師深く顧戀し、丞相これを許す。宴罷むれば、太師亦起つ。

來日天曉に至り、宰相自ら思いて曰く:我君祿を食いて相と為し、今計を定めて再び漢室を安んぜん。如し我成さずんば、我死するも、名を圖らん也。即ち便ち呂布を請いて會に赴かしむ、筵宴晚に至り、丞相又貂蟬をして筵に上り謳曲せしむ。呂布之を視るに、自ら思いて曰く:昔日丁建陽臨洮亂を作し、吾妻貂蟬所在を知らず。今日此に在り!王允盞を把りて言いて曰く:「溫侯面に憂容を帶ぶ、意何ぞ知らず?」呂布欠伸して具に說く。丞相大いに喜び:「漢家天下に主有り也!」丞相再び言いて曰く:「不知らん是れ溫侯の妻か、天下の喜事、夫妻團圓に如かず。」又言いて曰く:「老漢亦親女の看待に如し。吉日良時を選び、貂蟬を太師府に送って、溫侯に聚を完しむ。」呂布大いに喜び、晚に天告して歸る。

五七日無くして、丫環侍女を使し、駟馬重重として、貂蟬を太師宅内に送る。中平七年春三月三日、太師正に默坐する間、人報じて曰く:「丞相王允、駟馬重重、知らず何の人を送る來る送る。」太師急ぎ出で、遂に王允を正堂に邀ぎ、自ら言いて曰く:「莫しらん貂蟬か?」允曰く然り。太師人をして酒を置かしむ。王允言いて曰く:「今小疾有り、敢えて久しく停まらず。」太師を辭して去る。

當夜天晚、董卓與貂蟬酒を飲む。董卓是一酒色之徒。前後二日に、呂布因りて自ら曲江に回り來り、宅前に到りて馬を下り、八健將皆散ず。當夜天晚、溫侯宅中に樂音嘹亮するを聽き、遂に左右人に問いて何と為す。眾人具に曰く:「丞相一婦人、乃ち貂蟬也!」呂布大いに驚き、廊下に行き、由して見えること無し。猛然として貂蟬推衣して出づるを見す。呂布大いに怒り:「逆賊何處に在る?」貂蟬曰く:「已に醉える矣。」呂布劍を提げて堂に入り、董卓鼻氣雷の如く、臥して肉山の如しを見て、罵りて曰く:「老賊無道!」一劍其の頸を斷ち、鮮血湧流す。董卓を刺して身死す。

呂布速やかに忙しく宅を出で、奔走して丞相宅内に至る。王允急に問いて為何ぞ。呂布具に其の由を說く。丞相大いに喜び曰く:「溫侯世の名人、若し董卓を殺さずんば、漢天下纍卵の如く危うし!」說話の間、門人報じて曰く:「外に李肅劍を提げて呂布を尋ぬる來る有り。」丞相火速に宅を出で、李肅至るを見るや曰く:「呂布太師を殺して身死す、我若し呂布を見ば、屍を碎き萬斷せん!」王允曰く:「將軍錯れり。今漢天下四百餘年、爾の祖李廣漢室を扶持す。今董卓弄權し、呂布之を除き、爾言いて呂布を殺さば、天下罵名し、爾の上祖に類せず。昏を除き明を立つる可し、是れ大丈夫也。」李肅劍を擲ちて地に在り、叉手に曰く:「丞相所言當たり也、請う溫侯說話を。」二人相見え、呂布具に董卓無道を說く。李肅大いに怒り:「吾其是れを知らず!」

呂布遂に王允を辭して宅内に歸る。門人報じて曰く:「殿前太尉吳子蘭、兵一萬を引きて、宅を圍み了る也!」呂布自ら思いて曰く:長安に久住す可からず!八健將を點し、三萬軍と同に、東門を奪いて出づ。太尉吳子蘭上に趕う。前に萬軍攔住する有り、乃ち死者董卓四元帥李傕、郭汜、樊稠、張濟等、家奴を罵る。對する言無くして、溫侯陣を撞過す。

前に潼關に至り、譙郡太守曹操攔住する有り、兩軍を使いて相擊す。呂布關を奪いて出づ。東行して數里、前に睢陽太守郭潛言いて曰く:「溫侯城に入るを休め、汝に金珠を與えん!」呂布東北にして進む。數日、桑麻地土特別を見る。呂布問いて曰く:「此の處は那裡ぞ?」人告げて曰く:「是れ徐州地面なり。」呂布問いて曰く:「徐州太守何人なりや?」言いて曰く:「老將陶謙有り、臨死して三たび徐州を玄德に讓る。」呂布自ら思いて曰く:虎牢關下に深く結び冤有り。又思いて吾置錐の地無きを思う。傍に陳宮言いて曰く:「關、張、劉備、俱に虎之將なり。」溫侯語らず。陳宮又言いて曰く:「劉備仁德の人なり、溫侯書を寫して玄德に與うる可し。」

呂布即時に書を寫して徐州に入れ、玄德を見る。玄德陳宮を邀いて坐せしむ。陳宮書を將いて玄德に與え、書中の意を見る:

「辱弟呂布頓首拜上徐州牧玄德公將軍麾下:即辰孟夏清和、梅雨初晴、伏して維に台候動止遷加を拜し、虎帳悠治す、仰ぎて勞う神明護佑。自り虎牢關一戰、呂布の罪に非ず、皆董卓の過なり。自り知り罪を負いて、懷に掛け下す有り。本合わざりて闈屏に詣り參見し、少しく往日に過愆を酬ゆ。長安以來、人困馬乏し、前進すること能わず。倘し責を恕すを蒙れば、勝げて幸甚。比及して相會し、善く尊顏を保ちて不宣。」

玄德書を讀了し、甚だ喜び、酒食を管待して陳宮に畢り、宮辭して去る。有り將一人玄德に出て告ぐ、乃ち簡獻和、告いて曰く:「主公臨洮丁建陽太守を聞かずんば、呂布父と為すを叫び、赤兔馬を為し、丁建陽を殺し了る。前に長安貂蟬を看て、董卓を誅し了る。先ず關、張二將軍城中に在らずんば、若し呂布心を變じ、其の徐州を奪わば、如何に奈何せん?」先主曰く:「呂布雖然不仁、今牙爪無く;又書を將いて哀しみを告げ、權に城中に略歇す。」眾官勸むること住まず。

來日天曉に至り、先主鼓樂を使いて呂布を邀いて城に入れ、大衙筵會に至りて數日す。玄德呂布を拜して兄と為し、唬殺す眾官を。簡獻和慌てて心腹の人を使して暗に關、張を勾して城に入れしむ。

來日天曉に至り、玄德二弟呂布と相見え。前後數日、呂布眾官に問いて曰く:「西出潼關より自り、亦置錐の地無き也。」陳宮曰く:「溫侯天分九州を聞かざるや、徐州乃ち上郡也、是れ王を興すの地也。若し徐州を得ば、今觀て天下易きを可す也。」呂布笑いて曰く:「徐州を圖る意有り、玄德我に甚だ厚し。又關、張二將乃ち虎狼之將、若し不的なるを倘すれば、如何に奈何せん?」

數日、呂布、玄德坐間、先主言いて曰く:「奉先亦住處無し。是れ兄弟の拙見に非ず、西北八十里小沛有り、軍を屯して銳を養う可し若何。」呂布甚だ喜ぶ。當日先生を辭して、本部の軍兵を引きて前に小沛に去る。

前後半載に至り、人先主を告げて曰く:「南四百里地壽春袁術有り、太子袁襄を使して兵を引きて徐州を取らんとす。」先主即時に張飛を使して接伴使と為し、南に袁襄を迎えん。行くこと三十里地を約して、一亭名を石亭驛に曰い、袁襄に接し、二人相見して禮を畢り、張飛酒三杯を置く。酒罷むや、袁襄徐州の事を言う。張飛從わず、慢に罵りて曰く:「玄德織席編履の村夫!」張飛大いに怒り罵りて曰く:「我家兄祖代帝王の子、漢景帝十七代玄孫、乃ち中山靖王の後。汝織席編履の村夫を罵り、我家兄を毀す。爾祖乃ち田夫の人なるを諒す!」張飛即時に還りんと欲し。袁襄打たんと欲す。張飛袁襄を拿住して、手を用いて舉げて、石亭上に於いて便ち摔る。左右眾官勸まず、遂に袁襄を摔殺す。

從人皆回る。數日無くして、袁術を見す。術哭きて曰く:「叵耐張飛!」即時に大將紀靈を使して三萬軍を將いて徐州を取らんとす。先主張飛を留めて徐州に權らしむ。先主、關公並びに眾官等、南に紀靈を迎う。前後一月に回らず。

張飛曰く:「毎日に酒を帶びて醒めず、正事を理えず。左右の二官曹豹有り、死者陶謙を慢に罵り、徐州何ぞ我に吩咐せず、却りて劉備に讓る!劉備南に紀靈を迎う、戰事未だ定まらず、却りて小兒に徐州を權らす!百姓皆怨心有り。曹豹誘いて張飛を勸む。張飛從わず。又張飛を罵る。張飛大いに怒りて、言いて曰く:「我弟一人國家に出力する。家兄已に徐州を得、權らして正と為す。」曹豹を鞭撻す。曹豹東宅に到り、自ら計を思いて、其の冤を報する可し。女婿張本を使して、私地に書を修め、小沛に前往して呂布を見す、亦酒食之を待ち、又金珠を與う。張本復た回る。呂布眾官に問いて曰く:「此の事如何ぞ?」陳宮曰く:「玄德南に紀靈を迎う、張飛毎日に酒を帶ぶ。」

溫侯軍を引きて徐州に到り、頃刻にして、西門を曹豹獻す。呂布城に入り、張飛大醉す、人告げて曰く:「夫人來る也。」乃ち玄德の妻なり。夫人曰く:「小叔、汝の哥哥南に紀靈を破るも、輸贏未だ知れず。汝却りて毎日に酒を帶ぶ、若し徐州に失うこと有らば、怎生して奈何せん?」張飛言いて曰く:「誰か敢えて正に徐州を覷かん!」言未だ盡きざるに、忽ち聽いて喊聲振地する有り、人張飛に報じて言いて曰く:「曹豹將いて呂布を勾引して城に入らしむ!」張飛大いに驚き、夫人仰面して而して哭く。張飛馬に上りて呂布と交戰し、晚に混鬥して、張飛門を奪いて出づ。南に二百里地有り、先主を見す、具に其の事を說く。關公大いに張飛を怒る。

先主來る日班師軍を回らし、徐州を離るること約二十里地下に寨を下す。玄德又言いて曰く:「我が妻兒必ず呂布の爲に殺すと為し、書を寫して呂布を見すべく、家族を保つ可し。」即ち書を修め、簡獻和を使して書を城に持ち入れ、呂布に將い與う。呂布書中の意を見るや、劉備願いて徐州を棄ち、即ち小沛に閒居す。呂布大いに喜び、糜夫人並びに太子阿鬥を將いて、城を出でて玄德を見る。玄德即ち眾軍を引きて前に小沛に去り閒居す。

人報じて曰く:「紀靈軍三萬を領いて來りて徐州を要す。」紀靈乃ち袁術の名將也。先主即ち軍を領いて西に寨を下す。紀靈南に在りて寨を下し、待ちて徐州を困しむ。呂布亦軍を領いて城を出で、東に在りて寨を下す。呂布書を寫して紀靈と劉玄德に與え、刻日筵を排し、汝兩家を請う。

呂布附高處に向いて幾帳に坐し、筵會を罷むれば、呂布言いて曰く:「漢帝懦弱にして、天下未だ寧ず。壽春袁術東鎮を守る可し。徐州陶謙在りし時、本玄德公に讓る。袁術以って近し、待ちて徐州を要す。吾今解して汝兩家之危をなさん。」人をして南一百五十步に向かいて方天戟を搠立せしむ。呂布曰く:「我一箭を發す、戟上の錢眼に射る可し。若し中たらば、兩家各罷戰せよ;若し中たらずんば、紀靈亦班師す、如し班師せざれば、吾玄德を助けて紀靈を殺す。若し玄德の軍回らざれば、吾紀靈を助けて劉備を殺さん。」二將皆從う。呂布箭を發す。

詩曰く:

一箭功成りて太平を定む、雄兵三萬戈庭を罷む。

當時驍勇人の及ぶ無く、至りて使す清名後世稱す。

呂布一箭、金錢眼に中たる。紀靈軍を回らす。先主筵を排して呂布を管待し、三日却りて小沛に歸る。呂布徐州に歸る。

前後半載。當日、先主衙に坐し、門吏報ず曰、「父老告ぐるに、賊寇極めて多し。」先主、關、張の二將をして賊寇を收捉せしむ。張飛、一千雜虎騎を引きて小沛の正東二十里に至り、一林前に下馬し待坐す。左右の人、酒を將(たずさ)へて張飛に盞(さかずき)を把(も)たせ、笑ひて曰く、「吾が愛するは美醞なり。」一飲して竭き、樹に靠りて睡る。約二更前後に至り、正東下に鈴子の響くを聽く。人、張飛に告ぐ。張飛上馬し、直ちに東に三里地を沒し、一千軍あり、內に頭目ありて、篋袋箱籠を押へて、數を知ること能はず。翼德曰く、「是れ賊なり。」張飛大叫し一聲にて、眾人を喊散せしめ、錢物を奪ふ。侯成曰く、「我乃(すなは)ち溫侯の使ひて燕京に馬を買はんとす。」張飛信ぜず、小軍をして小沛城裡に監押せしめ先主に見ゆ。侯成告ぐ曰、「是れ呂布の馬を買ふ錢物なり。」先主覷きて大いに驚き、張飛を罵りて曰く、「此物皆呂布の物なり。」先主、關公と張飛を徐州に送り、呂布に献ず。又桃園結義を思ふ。

數日、呂布三萬の軍を領し、八健將を併せ、小沛二十里を離れ下寨す。來日、呂布軍を引きて城に至り、玄德と打話し、只だ張飛を要すると言ふ。先主從はず。關公曰く、「張飛、安喜の時に督郵を鞭す、軍去ること大半、賊と爲ること三載。前者、徐州を失ふ、皆爾の過なり。今又呂布の錢物を奪ふ、又爾の過なり!」張飛大怒し上馬して曰く、「敢て死を冒さん者、我に隨へ!」三十八騎馬を打ちて陣を過ぐ。約二十里行き、大林に至り下馬す。翼德曰く、「徐州を失ふ、今小沛又危ふし、我が過なり。若し功無くば、羞ぢて二兄に見えず!」張飛又曰く、「呂布長安に犯罪し、東劍關に出て、徐州に走る。近く曹操聖旨を奉じて、十萬の軍を引き、百員の名將、睢水に屯し、呂布を捕ふ。俺十八騎を同じくし睢水に赴き、曹公に見ゆ、軍を借りて呂布を破らん。」上路すること數日、睢水に至り、曹操に見え事を具(つぶさ)に說す、軍を借りて二兄を救はん。操曰く、「玄德、虎牢にて相別れてより、至今相見えず、爾が言ふ軍を借ること、未知真僞。」張飛曰く、「丞相、道底是。卻りて二兄處に書を取り、來らん。」曹操を辭せず、便ち上馬し、十八騎を引き、却りて小沛に投ず。呂布鐵桶の相似たるを見る。張飛力を著けて血湖洞を殺上し、去りて城中に入る。二兄問ひて曰く、「前數日、兄弟何處より來たりしや?」翼德言ふことを具にして曰く、「前日、陣を過ぎ、曹操睢陽に在り、救ひを求む。」先主大いに驚きて曰く、「未だ軍を借らずや?」飛曰く、「丞相道、無憑驗。兄弟却りて敢書す。」先主即ち便ち修書し、張飛に付す。

次日、張飛又十八騎を引き復出し、呂布と交戰す。呂布曰く、「賊將、數遭反覆し、必ず救軍を求めん。」溫侯當らず、張飛十八騎を引きて陣を撞き出づ。數日、曹操大寨に至る。丞相聽(むか)へて大いに喜び無限。張飛、書を曹公に將(もた)らしめ、書中に曰く、

「辱識の劉備、頓首し丞相麾下に拜上す:即辰仲秋、伏して維(たも)つ台輔動止遷加、威嚴を避けず、僭(おご)り申して微悃(びこん)を示す。今反賊呂布あり、董卓を誅し、長安を走離し、徐州を襲ひ、小沛を圍む。奈何せん、備、兵微將寡、壕淺城低し、倒懸の急、纍卵の危あり。專ら張飛を令して書を持ち遠見せしむ、倘蒙大造、特に解圍を為さん。劉備の恩蒙るのみに非ず、且つ生靈の惠を受く。生擒呂布、上に太平を見ん。伏して鈞照を乞ふ、不備。」

曹操、書を讀み罷りて、歡喜無地。又言ふ、「張飛勇天下に冠たり、吾が手下の官員、皆翼德に似ず。」又言ふ、「張飛、白身の車騎大將軍。吾、東征して呂布を破らば、倘還(かえ)りて朝に還らん、交(たが)ひに汝をして正に受けしめん。」令して酒肉を賜り、張飛同十八騎の軍卒に與ふ、人をして酒を擔(かか)へ出寨せしめ、東南の帳裡に二將皆出で、一人を内中に呼び、張飛下馬せしめ、同じく見、二人相見えて甚喜ぶ。曹公曰く、「乃ち夏侯惇(かうとん)なり。」丞相の北の小沛を救ふを見、誰か作先鋒ならんと欲す、便ち夏侯惇を立てて先鋒と為す。

無二日して、丞相拔寨し皆起つ。前後數日、小沛に至る。呂布軍來りて迎ふ。夏侯惇出で呂布と戰ひ、無數合、呂布詐りて敗れ、夏侯惇急ぎて趕(お)ふ、呂布箭を發して、正に夏侯惇の左眼に中る。夏侯惇、馬を落ちて箭を拔く。夏侯惇曰く、「父精母血、之を棄つべからず。」其の目睛を一口啖(くら)ふ。上馬して再戰す。呂布曰く、「此の人は非常人なり。」呂布大いに敗る。夏侯惇、離寨七里に回し、又張飛の用兵を見、忙しく夏侯惇と合し曹操に見ゆ。曹操金鏃薬を用ひて之を治す。

又三日にして、呂布又搦戦す。張飛、呂布と約戦して三百餘合に至るも、勝敗を分かたず。小沛に先主あり、關公と眾官と、一千雜虎騎あり、呂布を殺し大いに敗り、東に徐州に走る。城を離るること十里にして、前面に鬧人の聞ゆ若し溫侯前に敗軍あらば、內に貂蟬来りて溫侯に見ゆ。涙成ること無くして行く。言ひて曰く、「曹操許褚をして徐州を占む。」呂布自ら思ふ、「徐州は已に失へり。曹操あり、兼ねて劉備、關公、張飛あり、その軍盛多し。」呂布東に走りて下邳に至る。城內に數日出ず。人呂布に告ぐ。又來り也。問いて眾言ふに、畢(ひつ)に曰く、「溫侯軍を分かち兩隊とし、西北八十里に羊頭山あり、險(けん)を據(よ)る地なり。溫侯下邳に在りて、陳宮は羊頭山に在り。曹兵下邳を打たば、陳宮は保つべし。曹公羊頭山を打たば、溫侯は保つべし。張飛の勢に対しては、吾亦敵すること能はず。」呂布曰く、「陳宮の言ふこと当たり也。」

呂布、後堂に於いて貂蟬を見ゆ。呂布、言いて、貂蟬、哭(な)きて告ぐるに、「奉先、丁建陽臨洮(ていけんようりんちょう)に造反すること記せず。馬騰(ばとう)軍來り、家の兩口(りょうこう)失散し、前後三年にして相見ゆこと能はず。董卓を殺すため、無所可(か)らず、關東に走りて、徐州を失へり。曹操兵、下邳を困す。若し軍を兩路に分かちて、兵力を續けんとすれば、また失散せば、何日再び其の面を睹(み)ん?」貂蟬、又言いて曰く、「生れば則ち同居し、死すれば則ち同穴し、死して不分離。」呂布甚喜びて曰く、「此の言ふこと是なり。」溫侯、每日貂蟬と作楽す。人曰く、「曹公兵至りて、城緊急す。」呂布如(しく)無相顧、眾將勸ふこと能はず。數日、當夜四更前後、人拍窗(はいそう)して曰く、「下邳は失へり也!」溫侯、衣を披いて出で、見ゆるに、健將陳宮曰く、「曹操、沂泗(いし)兩水を開き、下邳城を困す。」天明に至り、眾官、呂布に随ひて城に上る。又曰く、「前者、計を献じて、軍を兩隊に分かちて下邳を保たしめん。溫侯從はず。今曹相(そうしょう)水を下邳に困しむるに、計ること能はず。」溫侯不語、城に入る。每日貂蟬と作楽す。眾官皆忿(いきどお)り恨む。

前後半月、忽(たちま)ち一日、數人簾(れん)を揭(かか)げて入る。呂布認(みと)めるは陳宮、侯成、張遼等なり。內に侯成呂布に言いて曰く、「臨洮(りんちょう)に相逐(お)うことより到今數載、尚(なお)立錐の地無し。外に曹相、劉備兩軍の勢甚(はなは)だし、兼ねて沂泗(いし)兩河、下邳を浸す。糧食闕(か)く。疾(と)く破りて困す。遲くば下邳、眾人皆死す。溫侯每日貂蟬と作楽す。」呂布笑ひて曰く、「來るは曹操、劉備なり。我を識らざらんや?城、沂泗(いし)兩河に被(かぶ)れば、我、赤兔の馬あり、我、貂蟬を乘せて去らん。馬は塹(ざん)を越へ、貂蟬を浮水にして出づ。我何ぞ懼(おそ)れんや?」內中一人高聲に罵り曰く、「呂布は出身寒賤(かんせん)、自ら言いて貂蟬と浮水に出づ。我兵將三萬、城內百姓計るに三萬戶、若(いか)ん?」言ふこと未だ尽きざるに、又罵る。呂布、侯成を覷きて、言を推して轉じて交(まじ)り斬らんとす。眾官勸(すす)むること免性命、三十棒を打つ。呂布堂に歸り、眾官皆散ず。

前後三日、眾官尚(なお)自ら捨てず、侯成酒を帶(も)ちて呂布を罵る。當夜、直ちに後院に至り、喂馬人(えいばじん)大醉せり。侯成、馬を盜みて下邳西門に至る。健將楊奉(ようほう)言ひて侯成の馬を盜む。侯成、楊奉を殺して、門を奪ひて浮水に過ぐ。約四更に至り、關公巡綽(じゅんしゃく)して侯成の馬を得たり。天明に、曹操を見て其の事を具(つぶさ)に說す。曹相(そうしょう)大喜びす。

さて呂布、正に貂蟬と對坐す。人、侯成の馬を盜みて告ぐ。呂布大驚す。又言ひて曰く、「楊奉を殺して、曹操に投ず。如何せん。」眾官不語。

無數日、曹操使ひて前板堰(まいたい)に住水、下開一道河、水を放ち盡くし、沙石草木を以て城壕を填(うず)め、立ちて炮石(ほうせき)を起し城を打つ。曹操軍を引いて搦戰す。呂布、別の馬に騎り、門を出でて敵を迎へ、夏侯惇と交馬して詐敗す。呂布奔走、曹操眾を引きて皆掩殺し、伏兵并(あは)起す。呂布慌速(こうそく)に西に走りて正に關公を迎ふ。呂布、意を有りて東に下邳を去り、正に張飛に撞(ぶつ)かる。

眾將拿(な)し、呂布を囚ふ。曹操人を使ひて高聲にて八將并(あわ)せて眾官等皆來りて降ることを受く。曹操班師し、寨に入るや昇帳にして座し、眾官に問ひ、令人(ひとをつか)はして呂布、陳宮を當面に執へ。陳宮に問ひて曰く、「爾、先づ歸りし我に、後に公孫瓚に投じ、又私(こっそり)に遁(のが)れて呂布に奔る。今、事失(しつ)して如何(いか)なる?」陳宮笑ひて曰く、「某(それがし)の過(あやま)ちに非(あら)ず。先づ丞相を殺し、當懐篡位(かんかいさんい)の心を持(いだ)く。後に公孫瓚(こうそんさん)を見て、事の舛訛(せんか)を為し再び呂布に投じ、賊子(ぞくし)の反亂(はんらん)を知る。今日(こんじつ)捕(つか)へられ、唯(ただ)死すべき者當(あた)り也。」

曹操曰く、「爾(なんじ)を免さんには如何(いか)なる?」陳宮自ら言いて曰く、「不可なり。先ず公孫瓚に投じ、又歸りて呂布に從い、再び丞相に投ぜんとせば、後人(あとひと)は我を觀(み)て無義となし、自ら死を願ふ。」丞相言いて曰く、「陳宮を斬るに當(あた)りて、その家小(かしょう)を放つ。」陳宮高叫して曰く、「丞相錯(あやま)りなり!倘(たまたま)その子を留めば、必ず後患を遺す。惟(たゞ)母と妻とを寬恕(かんじょ)せんことを願ふ。」曹操命じて斬訖(ざんし)て、その母妻を留む。

再び呂布を推して當面に至らしむ。曹操言いて曰く、「視(し)る者は危言(きごん)せず。」呂布、帳上(ちょうじょう)に曹操と玄德(げんとく)の同坐(どうざ)するを覷(み)る。呂布言いて曰く、「丞相、倘(も)し呂布の命を免(まぬか)れんには、殺身(さつしん)をもって報いん。今、丞相步軍を使ふこと能(あた)はば、某(それ)が馬軍を使ふこと能はん。倘(も)し馬步軍(ばほぐん)相逐(あいたず)けば、今天下(けふてんか)は翻手(ほんしゅ)を易(やす)し。」曹操不語、目を以て玄德を視る。先主曰く、「豈(あ)に丁建陽(ていけんよう)と董卓(とうたく)とを聞かざらんや?」

曹操言いて曰く、「斬れ、斬れ!」呂布罵りて曰く、「大耳賊(だいじぞく)、我を速(すみや)かにせよ!」曹操、呂布を斬る。

可憐(かれん)城下の刀を餐(く)ふ日、不似(ふじ)に轅門(えんもん)に戟(げき)を射る時。

呂布を斬りて、下邳(かひ)を安んず。曹操、降將(こうしょう)の張遼(ちょうりょう)を深愛す。

劉備、關羽、張飛、丞相(しょう)毎日玄德(げんとく)と手を攜(たずさ)へて酒を飲み、意を有(たも)ちて先主(せんしゅ)を扶佐(ふさ)せんことを待つ。如何(いか)にして得んや?詩有りて證(あか)す。詩曰く、

雙目(そうもく)能(よ)く二耳輪(にじりん)を觀(み)、手膝(しゅひざ)を過ぎて異常人(いじょうじん)。 彼(かれ)の家は本(もと)中山(ちゅうざん)の後(のち)、肯(あ)へて曹公(そうこう)の臣下(しんか)の臣下(しんか)たらん。

いいなと思ったら応援しよう!

金融経済歴史まとめwiki
「面白かった」「ためになった」と思われた方はスキ!を押していただいたり、X等で拡散していただけたらとてもうれしいです!!