十八史略2 夏
夏后氏
〔夏后氏禹〕姒姓、或曰名文命、鯀之子、顓頊孫也、鯀湮洪水、舜擧禹代鯀、勞身焦思、居外十三年、過家門不入、陸行乘車、水行乘船、泥行乘橇、山行乘檋、開九州、通九道、陂九澤、度九山、【姒】音似、【命】敎也、言禹布其文敎於四海矣、故因以文命爲禹號也、【湮】音因、一作陻、塞也、【思】去聲、【陸】平地、【橇】起驕切、以板爲之、其狀如箕、㰅行泥上、【檋】音菊、以鐵爲之、其形似錐、長半寸、施之履下以上山、不蹉跌也、【陂】障也、【度】音堂入聲、言九州之道路、山澤無不平治也、吿厥成功、舜嘉之、使率百官行天下事、舜崩、乃踐位、【吿】音谷、釋文云、上布於下、則音誥、下吿於上、則音谷、後皆倣此、【率百官】水土旣平、禹以玄圭、吿成功于舜、舜善其功、遂使攝位、【踐位】詳見孟子、通鑒、禹旣卽位、國號夏、以建寅月爲歲首、色尙黑、牲用玄、以黑爲徽號、
夏后氏禹、鯀(こん)の子、顓頊(せんぎょく)の孫なり。鯀洪水を湮(ふさ)ぐ。舜、禹を挙げて鯀に代らしむ。身を労し思いを焦し、外に居ること十三年、家門を過ぐれども入らず。陸行には車に乗り、水行には船に乗り、泥行には橇(きょう)に乗り、山行には檋(きょく)に乗る。九州を開き、九道を通じ、九澤に陂(ひ)し、九山を度(はか)り、厥(そ)の成功を告ぐ。舜、之を嘉(よみ)し、百官を率いて天下の事を行わしむ。舜崩じ、乃(すなわ)ち位を践(ふ)む。
檋 かんじき 陂し 堤防を築いた 厥 けつ その、それ
ここで一つ矛盾が出てきました。禹が顓頊の孫で、舜が顓頊六世の孫とは。
いかに伝説上の話でも、あまりに杜撰ではないですか、禹を顓頊の孫(そん)
と読めばよいのですが、広辞苑を見ても(まご)となっています。
聲爲律、身爲度、左準繩、右規矩、一饋十起、以勞天下之民、【聲爲律】索隱曰、言禹聲音應鐘律、【身爲度】王肅曰、以身爲法度、【左準繩云云】準所以爲平、繩所以爲直、規所以爲圓、矩所以爲方、索隱曰、左所運用、堪爲人之準繩、右所擧動、必應規矩也、勞慰也、出見罪人、下車問而泣曰、堯舜之人、以堯舜之心爲心、寡人爲君、百性各自以其心爲心、寡人痛之、【寡人】國君自稱曰寡人、猶言寡德之人也、古有醴酪、至禹時、儀狄作酒、禹飮而甘之、曰後世必有以酒亡國者、遂疏儀狄、【醴酪】醴音禮、薄酒、酪音洛、醋也、【儀狄】儀姓、狄名、【疏】音疎、收九牧之金、鑄九鼎、三足象三德、以享上帝鬼神、【九牧】九州之牧、【九鼎】以象九州、【三德】正直、剛、柔、【以享上帝鬼神】鼎主調和供祭祀、故曰享、會諸侯於塗山、執玉帛者萬國、【塗山】國在壽春東北、【玉帛】諸侯執玉五玉、附庸執帛三帛、爲其會者萬國、禹濟江、黃龍負舟、舟中人懼、禹仰天歎曰、吾受命於天、竭力而勞萬民、生寄也、死歸也、視龍猶蝘蜓、顏色不變、龍俛首低尾而逝、【江】水出茂州岷山、東流與漢水合入海、【蝘蜓】蜥蝪也、一名守宮、謂龍而無角、謂蛇而有足、蝘音偃、蜒音田上聲、【俛】俯也、南巡至會稽山而崩、
夏禹
声は律と為り、身は度と為り、準縄を左にし、規矩を右にす。一饋(き)に十たび
起って、以て天下の民を労う。出でて罪人を見れば、車を下り問うて泣いて曰く、
堯舜の民は、堯舜の心を以て心と為す。寡人君と為るや、百姓(ひゃくせい)各々
自ら其の心を以て心と為す。寡人之を痛む、と。
古、醴酪(れいらく)あり。禹の時に至り、儀狄、酒を作る。禹、飲んで之を甘しとして曰く、後世必ず酒を以て国を亡ぼす者有らん、と。遂に儀狄を疏(うと)んず。 中略・・禹、江を濟(わた)る。黄龍舟を負う。舟中の人懼(おそ)る。禹、天を仰ぎ歎じて曰く、吾、命(めい)を天に受け、力を竭(つく)して万民を労す。生は寄なり。死は帰なり、と。龍を視ること猶蝘蜓のごとし。顔色変ぜず。龍、首を俛(ふ)し尾を低れて逝(さ)る。南巡して會稽山に至って崩ず。
準縄 墨縄や水盛り 規矩 曲尺、ぶんまわし 一饋 一度の食事
寡人 禹本人、寡は(徳が)少ない、謙遜してつかう 蝘蜓 とかげ、やもり
子〔啓〕賢、能繼禹道、禹嘗薦益於天、謳歌朝覲者、不之益而之啓、曰吾君之子也、啓遂立、【會稽】音檜雞、地在紹興、通鑒、禹旣渡江、再致羣臣於此、【之】適也、【啓立】說見孟子、
有扈氏無道、啓與戰于甘、【有扈氏】扈音戶、夏同姓國、【甘】地在扶風鄠縣、說見甘誓傳文、啓崩、子〔太康〕立、盤遊弗返、有窮后羿、窮國、后君、羿音倪去聲、名也、非堯時射日者、立其弟〔仲康〕、而專其政、羲和守義不服、羿假王命、命胤侯征之、【羲和】羲氏、和氏、夏合爲一官、主曆象授時、【胤】音寅去聲、國名、○通鑒、后羿專權、羲和守義不服、故羿假仲康之命以征之、愚案、書胤征篇、文義與此不同、讀者不可不察、仲康崩、子〔相〕立、羿逐相自立、嬖臣寒浞、又殺羿自立、相之后、有仍國君女也、方娠、奔有仍、而生〔少康〕其後少康、有田一成、有衆一旅、因夏舊臣靡、擧兵滅浞、而復禹之績、【相】去聲、下竝同、【寒浞】浞音錯、后羿嬖幸之臣、寒姓浞名、○鄒氏曰、帝相立二十八年、爲浞子所滅、夏遂中絕者四十年、【娠】音申、孕也、【少】去聲、【成】十里、【旅】五百人、【靡】臣名、【復】音伏、自少康以來、歷〔王杼〕〔王槐〕〔王芒〕〔王泄〕〔王不降〕〔王扃〕〔王厪〕至〔王孔甲〕好鬼神、事淫亂、夏德衰、天降二龍、有雌雄、陶唐氏之後、有劉累者、學擾龍、以事孔甲、賜之姓、曰御龍氏、龍一雌死、潛醢以食孔甲、復求之、累懼而逃、【杼】音佇、少康子、【槐】音回、杼子、【芒】音亡、槐子、【泄】芒子、【不降】泄子、【扃】音坰、不降弟、【厪】音覲、扃子、【孔甲】厪子、【二】當作乘、見左傳、【累】上聲、下同、【擾】音饒上聲、應劭音柔、注云、馴也、能養得其嗜慾、【醢以食】醢音海、肉醬也、藏以爲醢、以與孔甲、【復求】孔甲旣饗、而再求致龍、【逃】不能致龍、故懼而逃也、孔甲之後、歷〔王皐、王發、王履癸〕號爲桀、
子の啓、賢にして、よく禹の道を継ぐ。禹、嘗て益を天に薦む。謳歌朝覲(ちょうきん)するもの、益に之(ゆ)かずして啓に之く。曰く、吾が君の子なり、と。啓遂に立つ。・・中略・・啓崩ず子太康立つ。盤遊して返らず有窮の羿(げい)その弟仲康を立てて政を専(もっぱら)にす。仲康崩ず。子相立つ。羿、相を逐(お)って自立す。嬖臣(へいしん)寒浞(かんさく)、又羿を殺して自立す。相の后有仍(ゆうじょう)に奔(はし)って少康を生む。その後少康、夏の旧臣靡(び)に因り、兵を挙げて浞を滅ぼし、禹の績を復す。少康以来十代を歴て王履癸、号して桀と為す。
益 舜代の大臣の一人。 朝覲 ご機嫌伺い 盤遊 方々をめぐり遊ぶ
有窮 国名 嬖臣 寵臣
貪虐、力能伸鐵鉤索、伐有施氏、有施以末喜女焉、有寵、所言皆從、爲傾宮瑤臺、殫民財、肉山脯林、酒池可以運船、糟堤可以望十里、一鼓而牛飮者三千人、末喜以爲樂、國人大崩、【皐】孔甲子、【發】皐子、【履癸】發子、【桀】諡法、賊人多殺曰桀、【有施氏】當時諸侯、【末】通鑒、作妹、【女】去聲、以女與人曰女、有施畏桀虐、故女妹喜以悅之、【寵】得嬖幸曰寵、【傾】當作璚、【殫】音丹、盡也、【脯】音甫、乾肉曰脯、山林皆喩其多、【堤】防也、言累糟如隄防之高、【鼓】動也、【牛飮】如牛飮水、【樂】音洛、【崩】山壞曰崩、言民心之離、猶山崩而莫之救也、湯伐夏、桀走鳴條而死、【走】音奏、趨向也、【鳴條】地名、在安邑西、湯與桀戰于此、夏爲天子一十有七世、凡四百三十二年、有與又通、後如云七十有二之類者皆倣此、○史記注、四百七十八年、未詳、
(桀は)貪虐にして力能(よ)く鉄鉤索を伸ぶ。有施氏を伐つ。有施、末喜(ばっき)を以って女(めあ)わす。寵有り、言う所皆従う。傾宮瑶台を為(つく)り、民の財を殫(つく)す。肉山脯林、酒池は以て船を運(めぐ)らす可く、糟堤は以て十里を望む可し。一鼓して牛飲する者三千人。末喜以て楽しみと為す。国人大いに崩る。湯、夏を伐つ。桀、鳴條に走って死す。夏、天子たること十有七世、凡て四百三十二年なり。
鉤索 鉤、くさり 傾宮瑶台 傾は瓊に同じ 玉をちりばめた御殿、
脯 干し肉 酒池肉林はここから 糟堤 酒かすを積み上げた堤
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