祈るってなんだろう? 思考と試行のnote
唐突ですが、私には好きな人が居ます。
好きと言っても恋愛的なソレではなく、
『応援している』という意味合いの、好き。
もっと平たく言うなら、推しがいるのです。
好きでいる気持ち
彼は、長らく休業しています。
これからどんどん活躍していくだろうと思われていた時に
アクシデントに見舞われてしまった。
当時そのニュースを目にしたときは
とにかく彼の無事を祈りました。
生きていてくれさえすれば、それでいい…と。
ソワソワとニュースを眺める日々でした。
それが数年経ち、
彼が生きているだけで良いと思っていた気持ちは
早く元気な姿が見たいというものに変わっていました。
見えないところで頑張っている彼に
「頑張れ」と思い続けてきた。
昨夜、寝る前にちょこっと…と思って始めた瞑想で
やけに彼の顔が浮かび
気になったのでそこからプルートー様とチャネリング。
彼について話してみました。
応援していること、その気持ちについて。
「頑張れ」と思うことって彼にとっては負担なのでは?
いちファンでしかない自分の在りようとして、
その想いを向けることや抱くことにすら
何かしらのマイナスが発生するのでは…?
そんなことを
気づけば号泣しながら話していました。
そんな私に対しての返答は
「祈りなさい」というもの。
「祈りなさい。
祈りは、救いです。
君を救ってくれるし、彼も救うものだから」
プルートー様からの言葉を貰って
涙でべしょべしょのまま、私は寝ました。
朝の思考
起きて、今朝。
朝の日課であるSNS巡りをしていたら、
彼が昨日短い言葉を投稿していることを知りました。
それは、「頑張れ」という応援の言葉に対しての小さな弱音。
今まで頑張り尽くしてきた彼の、本音でした。
昨夜やけに彼のことが気になって、
想いを向ける方法や形について号泣していた私にとって
なんとも言えないタイミングと内容のソレ。
プルートー様から言われた『祈り』について
きちんと考えるべきなのだなぁと感じました。
辞書で調べると
こんな風に出てきた。
なんかちょっと違うのかなーと
ChatGPTにも聞いてみたところ、
という回答。
多分、プルートー様が言っていた祈りというのは
ChatGPTの返答の中の③のような意味合いなのだろう…と解釈。
わたしの、祈り
私も、彼も、救うこと。
私は変わらず彼のことが好きで、応援し続ける。
それで良いのだと、ふわっと底寒く浮くような気持ちが落ち着きました。
今の彼にとって「頑張れ」という言葉は受け取りにくいものなのでしょう。
それならば、それで良いのだろうと私は思います。
彼が彼として居てくれれば。
ただ、ネガティブに陥った自分自身を否定することなく
いて欲しいと思ってしまいます。
ネガティブでもマイナスでも、それも丸っと彼自身なのだから。
それを否定したり、申し訳なく思う必要もないのだ、と。
こうしてここに書くことも、私にとっての祈りです。
私を救い、巡り巡って彼を救ってくれる…
そんな小さな希望を乗せて書いています。
家族ですらない数多のファンの内のひとりである私が
在りようを悩むくらいなのだから、
きっと周囲の人たちは言葉にならない想いを沢山抱えているのでしょう。
彼だけでなく、彼を想う全ての人が少しでも息がしやすくなるように
そう願わずにはいられません。