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【SATC衣装をたどるシリーズ|S1-02】  モデルにハマる男たち/Models and Mortals

スリフトショップ大好き人間のkinuが、Sex and the City(略:SATC)の衣装を独断と偏見でピックアップして深掘りするシリーズ。キャラクターの人生を表すファッションが、どのような要素で構成されているかを紐解き、考えを巡らせます。


第2話は、キャリーがモデル好きの男性の実態を探る話。さすがNYC、モデルが実際に街を歩いているらしく、身近なネタらしい。私のような日本の地方都市に住んでいる者の感覚でその状況を例えようとすると、女子大生やスチュワーデス、女子アナ…といった女性の職業名や属性の単語が思い浮かぶ。どの単語も今では死語になりつつあるし、そういった噂話も30過ぎた私の耳に届くことはめっきりなくなったのだが。一昔前は、若さや美貌を連想する単語だった。

話の中で、モデルになれるほどの美しさだけに惹かれるなんて単調じゃない?とキャリーがビッグに問う。

それで思い出したことがある。20代前半の頃、かつての同級生の男性が高校生ばかりと付き合っているらしいという噂を聞いた時は、女友達同士で「節操がない」といったような陰口を囁いていた。
若さという属性で付き合う人を限定しているらしいその同級生に対して、単調さを感じたのだった。付き合う人と会話ぐらいするだろう。その中身は若ければお構いなし?と。

ただ、若さと美貌はまた違う。若さはだれでも通る道だけれど、美貌は生まれつきのものだ。

キャリーがモデルと付き合う男たちについてビッグに尋ねると、「ラッキーだ」という答えが返ってくる。
一般人の自分はハズレくじなのか。キャリーはビッグに食い下がり、自分の考察を展開する。
・スポーツの勝負みたいに考えている人
・自分に自信をつけたい人
つまり、モデルにハマる側に問題を見つけようとする。

それに対して、単に「生来の美人好きもいるのでは?」いうビッグの答え。
そして、ふらっと現れた連れのゴージャスなモデルの彼女を紹介する。

その時に、キャリーは突然自分がチープに感じたと心の中で呟く。
美の抗えない力。
惹かれる者、屈辱を感じる者。
人が集まる場面で、こんな心境に至った人は多いのではないだろうか。
特定の尺度で比べられた時に、自分だけ分が悪いと感じる時。仕事、稼ぎ、名声、美貌、能力。その尺度が社会的に重視されているものであればあるほど恐縮させられる。そして女性はどうしたって美貌に関して敏感になってしまうのだと思う。これはいつまで経っても解けない呪いなのか。
あんまり深掘ってもと思うが、実際は子孫を残したいという生物としての本能や感情が根底にあるのだろう。その本能が根源的であるから、そればかりに囚われている人に対して、単純だと感じてしまうのか。

ビッグとの対話の後、容姿については30歳で悟ったとキャリーは呟く。
それは「諦め」なのか「自分をわかる」ということなのか、言葉は何にしろポジティブに私は解釈した。自分はこんなものだ、と認めるところから、自分流のおしゃれが始まるように思う。

もし、「このモデルのような顔だったら」「こんな脚だったら」「こんな胸だったら」…と自分ではなく他人を見て夢想していたら、いつまで経っても自分に似合う髪型、ボトムスの幅や丈、トップスの胸元の形は見つけられない。そんな視点で服を買いに行ったって、「あの人が来ていた服に似ている。こんなの着たかった」と手に取り、そのモデルに似合う服が手元に増えていくだけで、自分を引き立たせてくれる服は増えていかないのではないか。インスタグラムが幅を利かせている今、そんなふうに自分を見ずに知らずに、他人ばかりを見ている人はきっと増え続けている。

おしゃれのためには自分に夢中になる力が大事で、それはキャリーのように自分の容姿を悟った日から始まるのかもしれない。


ところで、こんなやりとりをしているキャリーのこの日のドレスが最高中の最高だ。

黒のミニドレスに、なんといっても首に巻いているラインストーンの長いネックレス…!話の間、そのネックレスをゆらゆらと前に後ろに垂らしていたり、二重に巻き直したり結んでみたり、自在に印象を変えている。ラインストーンの長く連なる煌めきが、シンプルな黒のドレスに沿って体のラインを綺麗に見せていて、とても効果的なアクセサリーだと思った。

イラスト:kinu

後日、カフェで原稿を書いているキャリーの元に、モデルの彼女とお別れしたらしいビッグが訪れる。
「結局は一緒にいて楽しい女性がいい」というビッグ。
単調さに耐えかねて、褪せていった美の力。
美はうつろうもの。

一緒にいて楽しい人とは、自分に夢中になる力がある人ではないかと、キャリーをみて思った。

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