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10kmも走ったことがないマラソン未経験者がサハラマラソンを完走した話

2015年4月に参加した第30回サハラマラソン。
すべての食料を背負い、時給自足で7日間で250kmを駆け抜ける
世界で最も過酷なレース。

これは10kmも走ったことがないマラソン未経験者の
無謀なチャレンジのレポートである。

「一番きついレースやった。
でもこのレースに参加して本当に良かった。
本当に素晴らしいレースだった。
今までどれだけ自分が人に甘えてきたかわかったわ!」

間寛平


「お前が何か欲する時、宇宙全体が協力してお前を助けてくれるよ」

アルケミスト メルキゼディック セイラムの王様

スタート2日前

「ん・・」

どうやら俺は夢を見ていたようだ

パリからチャーター機でモロッコの
ワルザザードという小さな街に移動して、
バスに乗せられてから、5時間が経過している

窓からは赤茶けた大地と荒野がどこまでも続いている


軽い、拉致行為である


直前のチュニジアテロの影響で、
本大会が中止になるのではと心配したが、

ここまで連れてこられるのなら、
開催は問題なさそうだ


バスの振動に身をゆだねながら、車窓の風景を眺める

つい2時間前、
昼食休憩でバスを降りたときに感じた
体の水分を奪われるような乾燥と直射日光を思い出す

本当に、ここを走るのか・・

そう考えただけで、胃が縮こまるような感覚になる


必要な装備と食料をすべて背負い
灼熱のサハラ砂漠を7日間250km駆け巡る
自給自足のサバイバルレース

7日間でフルマラソン5回半
地球上で最も過酷なアドベンチャーマラソン

サハラマラソンである


そのスタート地点となる宿泊地(ビバーク)に、俺は到着した


バスを降りると生ぬるい風を感じた
時刻は午後6時半、周囲はまだ明るい


砂漠ということで砂丘をイメージしていたのだが、
小石と、ところどころに草が生える広大な荒野である

彼方に200~300mの山々が見える
当然、木々は一本も生えていない


ここが俺たちの舞台である

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荷物を担いで日本人に割り当てられたテント群に向かう

サハラマラソンでは準備を含む9日間を
運営が用意したテントで過ごす


その形状は、テントというよりターフである

ベルベル人の伝統的な形式である
長方形の厚い布の中央部分を
支柱で持ち上げただけの造り

テントの両サイドは開けっ放しなので、
砂交じりの風が常時吹き込み、
テントの中はいつも砂まみれである

サハラの砂は粒子が非常に細かく、小麦粉や埃に近い

とにかく、ありとあらゆるものが砂にまみれている

砂漠の民は砂と共に暮らすという意味が理解できた


1つのテントには最大8人の選手が寝泊まりする

レース期間を通して同じメンバーで生活を共にするので、
どういうテントメイトと一緒になるかは非常に重要だ

俺たちのテントメンバーは
・昨年、日本人1位のすぎちゃん
・昨年リタイア、リベンジに燃えるセインと藤岡さん
・初参加のやす、ゆーもん
・韓国人2名

超ベテラン、意識の高いリベンジ組、感動を共有できる初参加者と、
非常にバランスのよい組み合わせである

特に、すぎちゃんはその経験から他の日本人選手からも注目されており、
ひそかにテントメイトを狙っていた者もいた


スタート前にすぎちゃんがテントメイトに伝えた言葉

「なんぼしんどくても、休んだらアカン、
一歩でも歩き続けたら絶対にゴールに着く」

この言葉に、レース中どれだけ励まされたことか


荷物をテントにおろして、運営が用意した夕食会場に行く

こんな砂漠のど真ん中にもかかわらず、
名物料理のクスクス、野菜サラダ、スープを用意してくれた

すっかり夜も更けているので、ヘッドライトの灯を頼りに口に運ぶ

不安、緊張、期待、興奮が入り混じった夜が更けていった

スタート前日

まだ夜が明けない5時頃、月明かりに目が覚めた
あたりはしんと静まり返っている

ときおりトイレに向かう選手の、
ザッザッという足音だけが聞こえる


俺は他の仲間を起こさないようにそっと寝袋から抜け出し、
持参した一眼レフを手にして、ビバークから数百メートル離れた
丘の上まで歩いた

砂漠で星空を撮りたかったのだが、
あいにくの満月で星はほとんど見えない

星撮影をあきらめて、
かろうじて見える星を眺めて時間をつぶす

「とんでもないところまで来てしまったなぁ」

ぼんやりと東の地平線を眺めていると、
だんだん空が白み始めてきた

すると、朝日を拝もうと他の選手が
ワラワラとテントからやってきた

それに合わせて、
土産物を売りつけようとするベルベル人も
どこからともなく現れる

たくましい商売根性ここにあり

この日は、砂漠にしては珍しく雲が多かったため、
朝日に照らされる雲の印象的な風景を眺めることができた

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今日は、7日間の装備を整え、不要な荷物を運営に預け、
必要なチェックを受けるテクニカルチェックの日である

1300人以上の選手を順番に処理するので、
ほぼ1日がかりの作業である

日本出発前に、パッキングをしていたのだが、
実際に詰め込んでみると荷物が収まり切らない

寝袋や着替えなどをザックの周囲に取り付ける

今回はメインの行動食をドライフルーツとナッツにしたのだが、
これがとにかく重い・・行動食だけで3kgはある

荷物の総重量は、水なしの状態で10kg
想定より2kgほど重くなっている

持参した一眼レフも、
荷物に余裕があればネタとして持ち運んだのだが、
残念ながら首から下げるしかできないので、
ここで預け荷物に入れることにした。

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装備を整えて、テントメイトで集合写真を撮る。

砂漠に集いし戦士である


俺たち日本人選手のテクニカルチェック中、
非常に強い風が吹き始めた

あちこちで宿泊のテントが倒れ、
遠くの景色が一瞬で白い世界に変わる

10m先すら見えなくなった


もしも、レース中に出くわしたら、
コースを見失うかもしれない

手続きを終えて、昼食を運営のテントで食べる

宿泊テントと異なり周囲を布で囲っているが、
開けっ放しの入口から砂交じりの風が
容赦なく吹き込んでくる

見る見るうちに、料理の上に赤茶けた砂が積もっていく

まるで、シナモンパウダーをふりかけているようだ

口の中がジャリジャリする

砂漠の民は、砂と共に生きる

宿泊テントに戻ると
地面にひいたカーペットと
俺たちの荷物に砂が数mmほど積もっている

うかつに電子機器や服を放置していると、
いつ砂にやられるかわからない


砂漠の民は、砂と共に生きる

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この日は前夜祭として、設置ステージで
バンド演奏によるダンスパーティーが繰り広げられた

人種も国籍も関係なく音楽に合わせて体を動かす

この辺境の地で、一体感を感じる貴重な体験だった

ステージ1 36.2km (制限時間 10.5時間)

ついにこの時がやってきた

装備を整えて、スタート地点に集合する

地元の楽団が民族音楽でムードを盛り上げ、
代表パトリックの演説が始まる

参加49ヶ国の国名が順番に読み上げられる

「Japan」がコールされたとき、思わず日の丸を背負って
ここに来ているような錯覚にとらわれた


ここに立つまでは本当に長かった

およそ2年前にサハラの話を初めて聞き

1年4ヶ月前に「サハラに行け!」という啓示を受け

1年前に前回参加者から体験談を聞き

10ヶ月前にエントリーと海外送金を行い

8ヶ月前に白山ジオトレイルで人生初の10km越えを経験し

5ヶ月前に辞退しようかと妻に相談し

2ヶ月前にヒザ裏の靭帯を痛め

この2年間は、サハラのことを忘れることがなかった

その場所に、自分は今いるのだ

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スタート時の定番ソング、AC/DCのHighway to Hell が流れる

頭上すれすれを飛ぶヘリが爆音を轟かせる

パトリックのカウントダウンを全員で合唱する


選手の興奮が最高潮に高まっている

「Go!」

ついに、サハラマラソンが始まった!

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初日はあくまでも感覚を掴むことを優先した

どれくらいの暑さなのか?

どれくらい水を消費するのか?

どれくらい体力を消耗するのか?

まったく予想がつかない


駆け出したい気持ちを抑えて、地味にペースを保つ

それなりに早足で歩いているのだが、
周りの選手はそれ以上のペースで追い越していく

上空をヘリが何度も旋回する

コース両脇にラクダに乗ったベルベル人が見送る

1300人が彼方のゴールに向かって駆けている


熱射病とエネルギー消耗を避けるために、
腕時計を見ながら30分おきに決まった量の水を飲み
行動食を採り続ける

飲料水にはBCAAの粉末を溶かし入れ

行動食は腸を疲弊させないようドライフルーツをメインに選んだ

乾燥いちじくを噛みしめながら、小さな砂丘を次々と越えていく


小高い丘を登り切って、前後を見ると

アリの行列のような選手の列が
前後の地平線に向かって延々と続いている

俺は、サハラにいる!


空気を思い切り吸い込み、俺は次のチェックポイントに向かって歩き出した

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ステージ2 31.1km (制限時間 10時間)

ステージ2は、初日に比べると短かい31km

ただし300m程度の山越えが3つあるため、
距離だけで安易に判断できない

昨日と同じようにスタート10分前から
スタートゲートに選手が集まり始める

いよいよステージ2のスタートだ

定番であるパトリックのスピーチと
誕生日を迎える選手の紹介の後

大音響の「Highway to hell」と共に
カウントダウンが始まる

地平線の彼方に見える山々に向かって
再び1300人が一斉に駆け出す

頭上すれすれに飛ぶヘリの爆音が
気分を高揚させる


前日の経験から、
前を行く選手をペースメーカーにすることで
意志力の消耗を防げることが分かったので、
ペースが合うテントメイトと一緒に進む

スタートから最初の山越えまでの数kmで時間を稼ぎ、
時間のマージンを作っておきたい


軽快にストックで加速しながら
快調にペースを上げる


ふと、

4km付近から左脚に違和感を感じ始めた

最初は左脚を着地するときにピリピリとした
感覚だったが、やがて痛みに代わり始めた

前へ踏み出すためには脚を曲げる必要があるのだが、
左脚を曲げる度にヒザ裏が痛み出した


「来た!!まさか、こんな早くに・・」


今回のチャレンジにおいて、最大の懸念だった
ヒザ裏の靭帯が早くも痛み出した

2月頃から、軽いジョグにも関わらず
数km走っただけでヒザ裏が痛むようになっていた

一度痛み始めると、
翌日は階段を降りるだけでも声を出すほどもだえ、
ヒザがうずいて寝られない夜もあった

痛みが治まって、走れるようになるまで3日はかかる

かかりつけの接骨院で診てもらったり、
詳しい知人にも相談したのだが、

特効薬は無く、休養しても意味がなく、
時間をかけて鍛えるしか解決法がないらしい


鍛えるって、サハラまであと2ヶ月切っているんですけど・・


走る、痛む、走る、痛む、そして走る


サハラはどんどん近づいてくるのだが、
一向に改善する気配はない

半ば、あきらめ気味に、

「できるだけ走らないようにしよう、
痛みが始まったらそこでお終いだ・・」

そんな不安を抱えて、サハラがスタートしていた


まだ2日目が始まったばかりなのに、
ここでヒザの爆弾が炸裂するとは・・

絶望的な前途に、迫る山々が一層巨大に見える

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45分後、スタート時は遥か彼方に見えていた山の
登山道に差し掛かった

ストックに体重を乗せて、できる限り
左ヒザに負荷をかけないように
岩だらけの登山道を登る

山といっても、このサハラの山々は
標高200~300mm程度の低山である

数km~10kmの荒れた平地と、200~300mmの山々が
永遠のように繰り返される不毛の地である

平地からは、地平線の向こうに山々が眺められ
山の上からは広大な平地と折り重なる峰が見える

どこまでも、赤茶けた大地が続く
日本ではまずお目にかかれない絶景である


坂を上り切って稜線に出ると、岩が転がる稜線を進む

両脇は落ちたら確実に命がない断崖絶壁だが、
道幅は広いので安心して歩くことができる

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しかし、ここにきて左脚の痛みが
我慢できない強さになってきた

明らかに片足をかばった、いびつな歩き方になる


一歩、足を踏み出すだけで

「あっ!!うっ!!」

と声が出る


左脚を全く曲げることができないので、
ズルズルと地面を引きずりながら歩く

布製の砂防止ゲーターの先端が破れはじめる


後から来た選手が「Are You OK?」と
声をかけながら、次々と追い抜いていく

サッカーボール程度の石に足がつまづくと、
左脚が一瞬無くなったような感覚になり

「うわぁ!!!」

次の瞬間、激痛に襲われる


痛みをこらえるために、引きつった表情が続いたため、
口元が突っ張ってきた

まったくスピードが上がらない

このままでは、
チェックポイントの制限時間に間に合わず
2日目にしてリタイアするかもしれない

それ以上に、この痛みは耐えられない

最初は「はいつくばってでもゴールするぞ!」と
意気込んでいたのだが、

いざ痛みに襲われると、あっけなく
リタイアを意識する人間の弱さを感じる

まさか、2日目でリタイア!?


妻に、子供たちに、応援してくれた仲間に

なんて言い訳をするんだ!?

「サハラは行ったよ、でもヒザが痛み出して・・」と、
ろくでもない言い訳を一生繰り返すのか!?


「ちくしょう!ふざけるなっ!!」


怒りのあまり、ストックを地面に思い切り突き刺す


怒りで痛みを一瞬忘れ、ペースが上がったが、
絶え間ない痛みには逆らえず元の苦しみに戻る


それからいくつも稜線と丘を越え、
1時間後に2日目最初のチェックポイントまでたどり着いた


ひどい顔でスタッフから水のペットボトルを受け取る

「もうだめだ・・これ以上は・・」

その場に、へたり込んだ


先にチェックポイントに到着して
出発の準備を整え終わったテントメイトがいた

俺の苦しそうな顔を見て、声をかけてくれた

「大丈夫か?」

左ひざの痛みを伝えると

「痛み止めは持っているか?」

と聞いてくれた


そういえば、
万が一、足裏のマメがつぶれたときのために、
鎮痛剤のアスピリンを持参していた

普段、痛み止めを飲んだことがないので、
そもそもヒザの痛みに効くのかどうかすらわからない

本当に効果があるのか?

半信半疑ながら、1錠を口にした

さらに、補充した残りの水をヒザや太腿にかけて、
簡易アイシングを行った

「素人にできる最良の治療は、アイシング」

かかりつけの接骨院に教えてもらったアドバイスだ

氷で冷やすわけではないので意味はないだろうが、
吹き抜ける風で足が冷やされるだけで、
前に進む意欲が湧いてきた

この時、時刻は正午

次のチェックポイントまでは、
山越えを含む12km

チェックポイントがクローズして
リタイヤが確定するのが午後4時

普通のペースなら楽勝だが、
もし痛みが収まらなかったら・・
考えたくもない現実が重く圧し掛かる

「よし、行こう」

どうなるかわからないが、まずは一歩でも進もう

チェックポイント通過後は荒れた平地が続く

山の稜線に比べてはるかに歩きやすいが
あいかわらず左脚は痛み続けている

しばらくいくと、視覚障害の選手と、
その選手をガイドする2名の選手が見えた
盲目の選手は何を感じながら歩いているのだろうか?
全く「先が見えない」状況でも、
ただゴールを目指しながら暑さに耐えて歩き続ける

彼はどんな世界を感じているのだろうか?


そう考えていると、左脚がこれまでより
スムーズに前へ踏み出せることに気がついた

鎮痛剤のアスピリンが効いたようだ

ペースが上がる・・、まだ歩ける!

左脚を曲げられる角度が少し増えただけだが、
歩くのには十分な可動範囲を確保できた

「まだだ、俺はまだやれる!」

痛み止めというクモの糸を唯一の頼りにして

ただ、前へ前へ・・

「歩ける!」

という喜びを体の深いところで思いっきり感じ取った

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17時を過ぎた

陽は傾き、オレンジがかった美しい斜光が
進む道を陰影深く演出している

気温がずいぶん下がった、絶え間なく吹く風が心地よい

あれから、

2番目のチェックポイントをクローズ30分前に通過して
ロープを使いながら急勾配の岩山を登り
左ヒザに最もダメージを与える岩下りを抜け
2日目のゴールまであと3kmの地点までやって来た

ここまでくれば、2日目も問題なくクリアできる

ひどい一日だった

もしあの時、チェックポイントで痛み止めに気づかなかったら・・
もし痛み止めのアスピリンがヒザの痛みを和らげなかったら・・

俺はこうして、サハラの舞台にかろうじて踏みとどまることができた

テントに戻ると、テント仲間が迎えてくれた
よかった、またみんなと走れる

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ステージ3 36.7km (制限時間 10.5時間)

昨夜は、強風が吹き荒れていた

寝ていると、風に乗った砂が寝袋に降り積もる
パラパラという音が聞こえる

目が覚めると、案の定、顔中が砂だらけになっている


時刻は5時半、まだ暗いが、
いつも夜7時過ぎに寝ているので眠気は感じない

手探りでヘッドライトと眼鏡を手繰り寄せる

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視界が確保できたら、朝食の準備である

夜の間に砂が付着した湯沸し用のマグを、
ペットボトルの水で洗う

レース中は支給される水の量が制限されているので、
わずかな水でマグの砂を落とし、300mlの水を注ぎ入れる

携帯用の五徳に固形燃料をセットして、
先ほどのマグと風防のアルミ板を置く

ライターで固形燃料に火をつけたら、湯が沸くまで数分待つ

この間に、α米の白米のパッケージを開け、
中から防湿剤とスプーンを取り出す

軽量コンパクト化のために、あらかじめ
パッケージを開けて一つの袋にまとめるのが
セオリーだが、食器代わりに使いたかったので
白米はすべてパッケージのまま持参した

折り畳みの小さなシリコンマグを水で洗い流し、
フリーズドライの味噌汁を取り出す

テント仲間と今日のコースについて話していると、お湯が沸き始める

お湯をこぼさないようにマグを五徳から外して
300mlのうち半分をα米のパッケージに注ぐ

残りの150mlをシリコンマグのフリーズドライ味噌汁に注ぐ

空っぽのマグに150mlの水を注ぎいれ、
まだ燃え残っている固形燃料で追加のお湯を沸かす


夜の砂漠は冷え込む

ヒートテックの下着、軽量ダウンを着込んで、
monbel no.5のシュラフに潜り込んでいるが、
明け方の寒さに何度か目を覚まされる

シリコンマグで温かい味噌汁をすすると、
冷えた体に熱が戻ってくる

味噌汁を飲み終えると、追加のお湯が沸き始める

フリーズドライの牛とじ丼を取り出して、
すっかり出来上がった白米のパッケージに放り込む

そこに追加のお湯を注ぎいれて、よく混ぜると
朝食の完成である

毎日、同じことを繰り返しているので、
すっかりと作業が身についてしまった


今回のサハラの食事は妥協したくなかった

2014年8月に参加した白山ジオトレイル
3日間100km、初めてのステージレース

α米の白米とわかめご飯を持参したのだが、
単調な味に飽きてしまい、豊富なフリーズドライ食品を
楽しむ経験豊富な参加者をうらやましく見ていた


今回サハラに持参した食事は
牛とじ丼、親子丼、マーボーナス丼、中華丼
豚汁、ほうれんそう、なすの味噌汁、中華スープ、たまごスープ
これらを朝晩2食×日数分

さらにお湯を沸かすためのマグに固形燃料250g

フリーズドライ食品は相当かさばるのだが、
食べることくらいしか楽しみがないレース中は

「やっぱり持ってきてよかった」

と幸せな時間を提供してくれる

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ステージ3のヤマ場は、
チェックポイント1通過後の干上がった湖である

スタートからチェックポイント1までは14kmの平坦な道、
ほどほどに脚に疲労が溜まったところで、
時刻は正午を迎える

頭上にさんさんと輝く太陽と、
白い大地の照り返しが容赦なくランナーを襲う

熱射病予防のために定められた塩タブレットと
水を定期的に摂取しているのだが、とにかく暑い・・

頭がボーっとする、を通り越して
頭痛が始まり、気分が悪くなってくる

この状態が続くと非常にマズい


ふと右前方を見ると、地平線のあたりに大河が見える


大河!?水?こんな砂漠のど真ん中で!?

そうか、これが俺たち砂漠の旅人を惑わせるという蜃気楼か・・


このステージ3のヤマ場では、テント仲間の一人が
熱射病にかかり、鼻血を垂れ流しながら
チェックポイントまでたどり着いたそうだ

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ステージ4 91.7km (制限時間 36時間)☆ オーバーナイト

ついに、この時がやってきた

初めてサハラの体験談を聞いてから、
行きたいと願ってやまなかった

オーバーナイトステージ


オーバーナイトステージとは、
通常ステージのおよそ倍の行程を
夜通し駆け抜けるステージで

いわば、サハラマラソンのクライマックスである


「砂漠の星空は言葉にできないくらい素晴らしい」

「極度に疲弊した状態で幻覚を見た」

といった、過去参加者の話題に事欠かないステージである


しかも、今回は30回記念大会ということで、
例年より10~15km長い、歴代最長の91.7km


完全な無茶振りである


いったい、限界に追い込まれた俺はどういう状態になるのか?

誰も助けてくれない夜の砂漠で、何を見て何を感じるのか?

ここまでの疲れを感じないほど気分が高揚している


ステージ3の最初の関門は、37.8kmのチェックポイント3

スタートから11時間半後の19:30までに、
チェックポイント3に到着しない者は
夜の砂漠へ挑戦する権利を失う

ステージ3までの過程で、必要な飲料水と行動食のペース
痛み止めのアスピリンを飲むタイミング
左脚の痛みを抑える歩き方、を掴むことができた

あとは、夜の砂漠に飛び込むのみ!


チェックポイント2から3の間に険しい岩場を30分ほど登る

約300mの頂上からふもとの平地まで、45度近い急斜面を一気に駆け下りる

普通は、危険極まりない坂道だが、この山の下りは、
ぶ厚い砂で覆われている

そのため、足首まで砂に埋もれさせながら
適度なブレーキをかけられるので比較的安全に降りられる

左脚に痛みが出ない範囲で急斜面を駆け下りる

気持ちいい!

目の前にパノラマのように広がる広大な景色

スキーの急滑降に似たスピード感

まさに爽快の一言である

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チェックポイント3に18時頃到着

ここで、いつもの水ペットボトルに加えて、
アルミに包まれた棒状のものを手渡される

「チョコバーか、気が利くな」

と思ったのだが、これは夜間に
選手の目印となる蛍光棒

「せめて、うまい棒でもよこさんかい!」

と突っ込みを入れてみる
ウェストバックの行動食を詰め直し、
ヘッドライトをスタンバイする

いよいよ、夜のステージが始まる


大晦日に夜更かしする小学生のように興奮しながら
チェックポイント3を出発した

日が傾いて冷え込んできたのか、道を外れて用を足した

立ち止まったのは30秒ほどだが、
脚に血が戻るのか再び歩き始めると左ヒザが強く痛む

そのまま5分ほど歩き続けると、痛みが徐々に和らぐ

本当に、用を足すのも一苦労である

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夕日を背中に進み始めて間もなく、太陽が稜線に隠れる

空が紫に彩られるマジックアワー

やがて、一つ一つ星が現れ始める

オリオン座など見慣れた星座が認識できる頃、
周囲が全く見えないほど暗闇に包まれた

まさに星空のステージである

「It's Fantastic!」

顔は見えないが、後ろを歩く選手に声をかけた

「Year, Amazing」

彼は俺の横に並び、会話を続けてくれた

彼はルーマニアから参加したポール

奇遇なことに日本の古武術のインストラクターであり、
数単語ながら日本語を知っていた

「君は、サハラは何回目?」ポールが質問した

「今回が初めてだよ」俺は答えた

「クレイジー」

「いや、あんたも一緒やん!そういうポールは?」

「私は5回目だ」

「5回目!?あんたも相当だな」


「ルーマニアで有名なものって何?」

「強いお酒、それと可愛い女の子だな」


など、たわいない会話をしていると、

いつの間にか背丈を越える砂山が連続する
場所にやってきた

夜のステージで気を付けないといけないのは
道を見失うことだ

昼間なら前の選手を遠くでも確認できるので安心できる

先ほど渡された蛍光スティックをザックに取り付けるのだが、
長丁場の夜ステージは前後の選手との間隔が広くなる

かつ、ここのように背丈ほどの砂山が連続する場所では、
数十メートル先の選手すら確認できない

500m毎にコースガイドの蛍光スティックがあるのだが、
砂山と砂山の間に入ると、どこにスティックがあるのか
さっぱりわからない

それに加えて、俺のヘッドライトは軽量タイプで非常に暗い
足元をぼんやりと照らすのがやっとの光量だ

3メートル先に砂山が迫っているのか、それとも平地が続くのかすらわからない

自然とポールが先を行き、俺が後ろをついていく形になった

背丈ほどの砂山から運ばれる砂粒が、強風にあおられて容赦なく顔に当たる

苦しい・・

ここでポールから離れたら、
俺のヘッドライトでは道を見失う可能性がある

自分にとってかなりオーバーペースで進むため、
左ヒザが少しずつ痛み出した

いつまでこの砂山は続くんだ・・

およそ40分後、ようやく砂山ゾーンを突破した

ほっとしたのもつかの間、足の負担が変化したので、
左ヒザが強烈に痛み出した


ステージ2の岩山の苦しみがよみがえる

「あっ・・、くっ・・」

一歩ごとに左脚が焼けるように痛くなる
ペースが急に遅くなったので、先を行くポールから遅れだした

気が付いたポールが後ろの俺を気遣いながら歩いてくれる

前のチェックポイントから1時間半しか経っていないので、
次のチェックポイントまで1時間以上かかるはず

この脚でそこまで行けるか??

痛みが限界に達したので、ついに立ち止まってしまった

ポールが心配そうに声をかけてくれる

ウェストバックから痛み止めのアスピリンを取り出し、口に入れる

何か食べ物を一緒に口にした方がいいと思うが、そんな余裕はない

薬が効き始めるまで15~20分はかかるだろう

「ポール、さあ行こう」

再び歩き出した


月が出ない真っ暗な砂利道を、ポールに先導されながら
足を引きずりひたすら進む

何度も腕時計を見て時刻を確認する

薬を飲んでから、10分、15分、20分、25分・・

「おかしい・・」

痛み止めを飲んでから30分が経過しているが
一向に痛みが和らぐ気配がない

俺のペースにしびれを切らしたのか、
ポールとの距離がどんどん離れだした

この暗闇に一人、左脚を引きずって歩く俺だけがいる

空には満天の星が輝いているのだが、
そんなものを眺めている余裕はない

「早く、早く効いてくれ!!」

40分が経過した頃、ようやく左脚を動かせるようになってきた

「助かった・・」

そんなころ、暗闇の中に次のチェックポイントの灯が見え始めてきた


オーバーナイトのチェックポイントには
普段より多くのテントが用意されている

上位陣を除く多くの選手は、これらのテントで3時間ほど
仮眠を取ってから先を目指す

俺は夜通し歩き続けることを決意していたので、
ここで仮眠をとるわけにはいかない

かろうじて空いているスペースを見つけて、
ザックを外す余裕もないままへたりこむ

「あぁぁ・・、やっと着いた・・」

全身の力が抜けていく、口を開けたまま身動きができない

そのまま3分ほど休んでいると、ようやく頭が動き始めた
ザックを降ろして、ここで何をすべきか考え始めた

陽が沈んでから気温がどんどん下がっている
ザックから軽量ダウンを取り出し、ウェアの上に羽織る
これで寒さへの対策はできた

次に、次のチェックポイントでの夜食用に
α米のパッケージに水を注ぎ、
漏れないようにジップロックで二重に閉じてザックに放り込む

汗をほとんどかかないので、飲料水の補給を
BCAAの粉末を溶かして飲むのに必要な量まで減らす

チェックポイントに到着してから30分後、
次のチェックポイントに向かって行動を開始した

地図ではおよそ11km、3時間もあれば着くだろう
午後10時、俺はチェックポイント4を出発した


スタートしてしばらくは茂の間を通過する荒れ地を進む

ときおり、運営のパジェロが選手の様子を確認するために横を走り去る

パジェロが通り過ぎると、再び暗闇に包まれる
車のライトに比べて、俺のヘッドライトはいかに貧弱か思い知らされる


歩きにくさを感じたと思ったら、いつの間にか砂地に入っていた

数メートルの大きな砂山が数十メートル間隔で続く、
Duneと呼ばれる砂丘地帯に入ったようだ

ちなみに、このDuneは全コースを通じて選手を苦しめる
サハラ経験者に「Dune」と言うと、たいてい顔をしかめるだろう


しばらくすると、どうにもペースが上がらないことに気が付いた
脚の痛みもあるのだが、体に力が入らないという表現が適切である

「なぜ?」

頭がボーっとする、意識が遠のき始める

「あれ!?俺もしかして眠いの!?」

時刻は午後11時を過ぎたころである

そりゃ、朝5時に起きて15時間も歩き続ければ眠くもなるのは当然である


「そうか、眠くなると体が動かなくなるのか・・」


新発見である


水を飲んでも、行動食を食べても、立ち止まってストレッチしても
眠気が体にまとわりついている

前に体が倒れるのを支えるようにして、かろうじて一歩ずつ前に進んでいる

後ろから他の選手がどんどん追い越してくる


まぶたが勝手に閉じてきた・・

目の前にサイケデリックな模様が浮かんでは消える

次はフラクタルな図形が浮かんでは消える

前を行く数人の選手が大きな丸太の下をくぐっている

そんなもの砂漠にあったっけ??

まぶたが半透明になったみたいに、
目を閉じながら前の様子が透けて見える

歩きながら寝るってこういうことなのか

あいかわらず横なぐりの強風が吹き続けている

眠いだけでなく、ついに体が動かなくなってきた

「もうダメだ・・」

強風を避けるように腰ほどの草むらのかげに回り込むと
全身からすべての力が抜け、その場にへたり込んだ

そういえば、ザックの中に、
エナジージェルがあったっけ・・・

ザックを降ろせという指令が脳から身体へ伝えられる、その前に

俺の意識が途絶えた・・
・・・

・・


ビュー、ビューと風の音が聞こえる

はっと目が覚めた

腕時計を見ると、草のかげにへたり込んでから
15分が経過している

どうやら、気を失っていたようだ

あたりを見渡すと、相変わらず月明かりに照らされた砂漠に変わりはない

ただ、へたりこむ前に比べて視界がクリアになっている

よっこらしょ、と立ち上がると少しだけ身体が動く

どうやら15分の仮眠で眠気がかなり収まったようだ


踏み出す脚に力強さが戻ってきた

前にそびえる砂丘が絶対的な城壁ではなく、
乗り越えられる小山に見えてきた


これならいける!


再び、一歩また一歩、俺は歩き始めた

チェックポイント4を出発してから4時間半後、
ついにチェックポイント5に到着した

時刻は午前2時半、気温が恐ろしいほどに低下している
じっとしていると、寒くて凍えそうだ

大会スポンサーが提供する紙コップ一杯の温かい紅茶が身に染みる

ここでも仮眠用に数多くのテントが設置され、
寝袋にくるまった選手が寝っ転がっている

その中の一つにザックを下ろし、浮腫んだ足に苦労しながら靴を脱いだ

締め付けられた足が解放されると、けだるい感覚に襲われる

先ほど水を注いでいたα米をザックから取り出し、
フリーズドライの豚汁を割り入れ、少量の水を注ぐ

味噌汁かけご飯をイメージしたが、思ったように豚汁が混ざらず、
バリバリと固いフリーズドライと白米を口にする
冷たい飯だが、それでもお腹と気持ちが満たされる

それにしても寒い・・

軽量ダウンとウェアを脱いで裸になり、
着替え用のヒートテック下着を着込む

これで3枚重ねだが、吹きすさぶ強風でどんどん体温が奪われる

寝袋を出して仮眠をとるか、それとも先を行くか

もちろん、先を行く

再びザックを背負い、体が冷え切る前に
次のチェックポイントに向けて歩き出す

時刻は午前3時、まだ夜空に月が煌々と輝いている


独り、荒野を歩く

前にも後ろにも選手はいない

見えるのは

数百メートルおきに設置された蛍光スティックのわずかな緑の点

月明かりに照らされた荒野に映える草々

そして、月が出てからすっかりと数を減らした星たち


「つきの~、さばくを~、は~る~ばると~」

唯一知っているフレーズを大声で歌う

この広大な荒れ地を歩くのは俺一人、気分がいい


それにしても寒い、早く太陽が昇って
その力強い光線で俺の身体を温めてほしい

前方の東の地平線がわずかながら明るくなってきた頃
俺は再び強烈な眠気に襲われていた

強風から身を隠せる腰丈の草かげに座り込み
10分程度の仮眠をとり、体が冷えないうちに歩き始める

そんなことを3回ほど繰り返していると、ようやく空から星が消えた

夜明けである

闇が払われるのと同時に体から眠気が消え去った

画像18

まとわりついていた眠気が去った後に残ったのは、
スタートから20時間近く歩き続け、疲労困ぱいの身体だけ

「チェックポイントはまだか・・」

大きな砂丘が次から次へと現れる

「あの砂丘を超えればチェックポイントが見えるはず」

そんな期待を何度も裏切られる

今度こそ!と登りきった頂上から先を見渡した時、
遥か彼方まで続く砂丘しかなかったときは

「なんでだー、なんでないんだーー!!」

と大声で叫んでしまった


わずかな期待を裏切られ続け、俺の意志力はゼロに近づいていた

俺のすべてが空っぽになったころ
朝日に照らされたチェックポイントに到達した


時刻は午前7時、スタートから23時間が経過していた

身体を休めたいとか、前に進みたいとか
考えるという行為すら消え去っていた

操り人形のように無表情のままザックをおろし朝食の準備を始めた

マグに水を入れて火にかけ、沸かしたお湯でたまごスープとサケ雑炊を作った

食べ終わったら、スタート前日に拝借したココアを作って飲んだ


気持ちが折れた・・・


なんか、自分が何をしているのか?を考えることすらおっくうになっていた


気持ちが折れた・・・


テントメイトが目の前で準備を整え、こちらに手を振る

それをただ眺めていた


気持ちが折れた・・・


その時、妻の声が聞こえた


「家族ほっぽり出して、たくさんお金使って、
気持ちが折れたってどういうこと!?」


「えっ!?」


ヤバい、気持ちが折れたなんて言ってる場合じゃない

ここに来るまでに、相当な代償を払っているんだ

家族に迷惑をかけているんだ

気持ちが折れたなんて、俺はなんて甘っちょろいことを言ってたんだ・・


再びザックを背負い、次のチェックポイントへ歩き出す


浮腫んだ脚と足裏が、一歩踏み出すたびにジンジンと響く

左脚も右足も関係ない

痛みに耐えきれず10分おきに立ち止まるが

結局、再び踏み出した一歩目から変わらない痛みがやってくる

立ち止まって休んでも全く意味がない


「なんぼしんどくても、休んだらアカン、
一歩でも歩き続けたら絶対にゴールに着く」

その言葉だけが、気持ちをつなぐ唯一の拠り所だ


「次のチェックポイントまで、この2時間が勝負どころだ!」

あと1時間半

あと1時間

あと45分

あと・・・

腕時計をチラチラ見る

時間が経つのが遅く感じる

ついに、オーバーナイトステージの
最終チェックポイントに到着した


ゴールまであと6km

ここまでくれば、91.7kmのオーバーナイトステージは
ほぼゴールしたも同然
さすがにテントの設置数も、休んでいる選手も非常に少ない

気持ちを整えるために、ザックを降ろして
残った行動食のドライフルーツをゆっくり食べた

すでに太陽は高く昇り、強烈な日差しが降り注ぐ
テントに隠れていてもじわじわと暑さが伝わる

近くに村があるのか、目の前の岩山で現地の子供たちが遊んでいる

風が穏やかになり、あたりはしんと静まり返っている

なんて気持ちがいいんだ

先に進むことを忘れるほど、静寂な空間があった

その場の空気を、ただ味わっていた


午後1時半、ついに91.7kmオーバーナイトステージのゴールを踏みしめた

やった、やったんだ・・・

ストックを持つ手を高く掲げる
これで休める・・・

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夕食を済ませて、テントから目の前の光景をぼんやりと眺める

選手一人一人が、やり遂げた余韻を感じているのか、
ビバーク全体がまったりとした雰囲気に包まれている

ココアをすすりながら、テントメイトにポールのことを話した

すると、テントメイトがパリからモロッコに移動するチャーター機で
ポールと隣同士だったらしい

古武術をするルーマニア人、間違いない


テントメイトと二人でポールのテントを訪ねる
ポールのテントはルーマニアとポーランドの混合チームだった

快く迎え入れてくれて、三人でたわいない会話を楽しんだ


徐々に夜が更けていく


明日は、42kmのマラソンステージ

冷静に考えると、5日間で200km近くを走破して、
さらにフルマラソンの距離を走るなんて尋常ではない

にもかかわらず、テントメイトの顔に悲観な様子は全くない

むしろ、明日を走り切れば完走できる、その喜びの方が大きい

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ステージ5 42.2km (制限時間 12時間)

俺は最終ゴールまであと2km地点にいた
あと10分も歩けば、最終ゴールが見えるはずだ

いつの日か、息子たちが、
「親父はサハラを完走したんだ」
と励みにしてくれるといいな

そんなことを考えて歩いていると、
ついにゴールのゲートが目に飛び込んできた


「終わった・・」

左ヒザが痛み出してリタイアがよぎった2日目

深夜の砂漠にへたり込んだオーバーナイトステージ

気持ちが折れた俺を叱り飛ばしてくれた妻の声


嬉しいわけでもないし、感動しているわけでもない

それなのに、ただ涙が出てくる

あと1歩でゴールラインを越える

ふと、後ろから呼び止められた気がして
歩みを止めて後ろを振り向いた

雲一つない、清くどこまでも深い青空

その青空と地平線の境に向かって一本の道が伸びていた

この道は、いま来た道

そして俺に試練と気づきを与えてくれた道

俺は帽子をとって、深く頭を下げた

またいつか、もっとでっかい男になって

サハラの大地を、無邪気に駆け回る日が来ることを願って

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あとがき

テント群の向こうに、でっかい夕日が沈んでいく

サハラマラソン最終日のステージ 5が終わろうとしている

ついさきほど
足を負傷したテントメイトが最終ゴールへ帰ってくるのを
テントメイト全員で出迎えたばかりだ

ゴール後にスタッフからサプライズプレゼントされた缶ビール

テントメイト全員で乾杯した

俺たちのテント日本人は、リベンジ組も含めて全員完走
心地よい疲労感と、やり遂げた充実感に体中が酔いしれている

昼間の灼熱が嘘のように、夕方の砂漠には涼しげな風が吹いている


俺たちはやったんだ!


走力やケガの違いはあるが、それぞれに持てる力を出し切った
メンバーのすがすがしい顔があった

お互いに言葉は何もいらない

ただ、刻々と深くなる空の色と

穏やかに時間が流れるビバークを眺めるだけでいい


1年4ヶ月前、

「お前、サハラに行け!」

サハラ経験者の友人にそう告げられた時、
自分が砂漠を走るイメージが全く湧かなかった

にも関わらず、「はい」と答えてしまった自分がいた


それから時は流れ、俺は砂漠を眺めている


オーバーナイトステージで気持ちが折れたとき

「サハラに来るために支払った代償を考えると、
こんなところでくじけるわけにはいかない!」

と奮い立った

レース中はとにかくヒマである、とりとめのない考えが頭をよぎる
そんな中で、こう考えた

もしサハラマラソンが人生の縮図だとすると

我々は、もしかしたら相当の代償を払って
この世に生まれてきたのかもしれない

もしそうであるならば、人生の終わりは肉体的な死ではなく、
人生をあきらめたとき、すなわちリタイアを宣言したとき

サハラの直前、思うようにいかない状況が続き
いろんなことをあきらめかけていた

でも、自分が当たり前のように過ごしている毎日は、
実は相当の代償を支払ってまで挑戦したかった
レースの一部だとしたら・・

まだやれる、やり残したことがある

「なんぼしんどくても、休んだらアカン、
一歩でも歩き続けたら絶対にゴールに着く」

たとえ自分のヘッドライトでは目の前の暗闇が見えなくても

たとえ強い向かい風と足が埋まるほどの砂地が延々と続いても

一歩ずつ、ただ一歩ずつ

前に進み続けよう


たどり着かないゴールはないのだから

相当な代償と覚悟で参加している

この人生というレースの舞台で


無謀なチャレンジを快く送り出してくれた家族

業務を支えてくれたフォトアドバイスのみなさん

応援メッセージをくれた仲間たち

すべてのご縁に感謝します

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