プロジェクト運営においてまわりを動かす難しさ
「わたし、定時で帰ります」の小説を今さらながらに読んだ。まわりを動かせずに挫折したプロジェクト運営のエピソードでふと想起したのは私が高校時代の頃のこと。
私の高校では教室掃除はお昼休みに当番制になっていて机を端に寄せた後は当番以外は遊びに行ってもいいことになっていた。でもその当番制は機能していなくて、みんなサボって遊びに行ってしまってたからいつも私のなかよしメンバで掃除をしていたけれど、人数が少なかったから時間内に掃除を終わらせることが難しかった。
あるとき、お昼休みが終わって次の授業が始まって、教室に入ってきた先生に「どうしてまだ掃除が終わっていないのか」と怒られた。
私は事情を説明しようとしたけれど、友だちのAちゃんが先生に迷惑をかけたくないから言いたくないと言った。
その時私は、私たちがずっと掃除をやり続けるから先生は根本的な問題に気づかないし、みんなも掃除をさぼるのがよくないことだとも気づかない、このままの状態はよくないよ、一度掃除をやめてみようとAちゃんに言った。そうしたらみんなが教室に帰ってきた時、机が端に寄ったままで座れないし授業も始められないからみんなが問題に気づくはずだよって。
でもAちゃんは先生に迷惑をかけたくないから自分ひとりでも掃除をすると言った。私はAちゃんひとりに掃除をさせるのはいやだから、やっぱり掃除を続けた。そうして問題はそのままになった。
今から考えてもやっぱり問題提起はすべきだったと思う。でもその自分の考えをAちゃんに受け入れてもらうことができなかったし、私は掃除プロジェクトの運営に失敗したんだと思う。上下関係があり明確なリーダーがいる会社のプロジェクトとちがい、フラットな友だち関係で構築された学校のプロジェクトでは意見の相違を合理的に解消しにくい。そもそもプロジェクトのゴールが定まっているわけでもないしなぁ。
社会人になっていろんなプロジェクトをやってきたけれど、学校社会におけるプロジェクトほど難しいものはないと思うのです。あの時私はどうするのがよかったんだろうなぁ。