案外 書かれない金継ぎの話 (3) 漆とは何か
金継ぎは詰まるところ漆をどのように固めるか、固めたかという結果です。それは、どんな風に漆の個性を受け入れて付き合ったかということの表れでもあります。では漆とはどのようなもので、個性とはどういった感じなのでしょうか。
樹液と血液
漆はウルシ科ウルシ属のウルシの木の樹液です。液中の物質が固化したものが樹脂で、金継ぎした器を使うためには樹液を樹脂化する必要があります。
樹液と言われると自分とは接点が無いように感じますが、要するに樹液は樹木の血液だと考えると、だいぶ近しいと感じられるのではないでしょうか。
血液は、動物の生命活動を維持するため体内に必要な物質を運搬する液体です。怪我で出血すると運搬が滞って命に危険が及ぶため、血液には止血作用が備わっています。
止血作用は2段階で進みます。血管が破れると、まず、血液中の血小板が活性化され多くの血小板を集めて結合し血栓を作ります。次に、13種の血液凝固因子が働き、網目を形成して血栓や細胞を覆い固め完全に止血します。
ウルシも同様、外傷による樹液の流出を防ぐため硬化する仕組みを持っていて血液凝固とは異なりますが、こちらも2段階です。
漆(樹液)にはウルシオールという油脂分が60%~80%程度(産地や生育状況で差がある)含まれており、ウルシオールはカテコール核と側鎖という2つ部分で構成されています。
樹液が外気に触れると、まず、油液中に分散する水球内の酵素が、脱水素という働きによりカテコール核の水素を奪ってウルシオールを酸化することで結合を促します。これを酵素による酸化重合(脱水素重合)と言います。その後、酵素が失活すると酸素が直に側鎖を刺激して重合が進みウルシオールは複雑に繋がって網目状を形成していきます。このようにウルシオールは仕組みの異なる酸化によって樹脂化します。
塗りの厚みや温湿度により必要時間に幅がありますが、概ね酵素による前期反応は数時間~24時間。酵素が介在しない後期反応が終わるまでは半年以上かかると言われています。漆の耐水性や剛性が出るのは後期反応からで、酵素の介助が無いため酸化は非常にゆっくりと進みます。漆は乾くのに時間がかかると言われるのはこのためです。
樹脂化
漆が樹脂化するには温度25℃前後、湿度80%程度が必要だと言われるのは酸化重合を促進するためですが、実際にはもう少し幅があります。漆は早く乾けば良いというわけではなく、経験的には温度20~25℃、湿度65~70%辺りで固めていくのが金継ぎ作業的には扱いやすいと思います。温湿度が高いと乾きは早いですが表層と内部の乾き斑が発生しやすくなります。逆に温度湿度が低すぎると樹脂化しますが必要時間が長くなり、過不足なく乾いているかの判断が難しくなります。10℃以下になると酵素が働かないので固まらなくなります。ウルシの生息環境や、漆の精製方法によっても樹脂化に必要な温度や湿度は変わります。3本ロールミルによる非加熱精製のMR漆など硬化条件幅が出来るだけ広くなるようにしたものもあります。
ちなみに、漆には湿度が必要だと知って何週間も高湿度の漆風呂に器を入れておく方がいますが、数日を目安に固まった(指触乾燥した)事が確認できたら漆風呂から出して日常湿度での室内養生に移行しても漆の硬化は進みます(温度は下がらないよう注意すること)。長期間、陶磁器を高湿度環境下に置くと湿気を吸収し雑菌による臭いが出たり、カビが発生して取れなくなりますので注意しましょう。
なお、温度が40℃を超えると酵素の活性が低下し50℃を超えると固まらなくなりますが、150℃を超えると酵素を使わない熱重合反応が起こり固まります。加熱による重合は金属との接着が強まるため鉄器ではこの性質を使って漆の焼き付け塗装が行われます。
漆の使用期限
漆を常温で樹脂化するには、ウルシオールの結合を促す酵素が必要です。酵素は樹液の水滴の中に在りますので水が悪くならないようにすれば、長期の保存が可能です。ウルシオールには殺菌効果がありますが、常温だと水は少しずつ悪くなり酵素の活性を低下させます。
具体的には、1回の修理で使用する量を小分けにし(後で説明するシリンジを使うと便利です)、使わない分は冷蔵庫で保管するようにすると水も悪くなりにくく低温により酵素の活性も止まります。個人的経験だと生漆は10年の低温保管が可能でした。試験はしていませんが恐らくそれ以上の年数でも大丈夫だと思います。
冷蔵庫から出して直ぐは酵素が活性しませんので、1日ほど常温に置いて慣らし、その後、作業に使用します。
なお、酵素活性が失効した漆は、新しい漆を加えてよく混ぜれば、追加された新しい酵素でウルシオールを樹脂化させることが出来るようになります。つまり、管理を適切に行えば漆に使用期限はありませんので、捨てたりせず最後の一滴まで大切に使って下さい。
漆被れ
漆被れは、細胞のたんぱく質とウルシオールの反応が原因となる痒みを伴う腫れです。漆を扱う時には何かと悪者扱いされますが、危険な状況に際して、自らを外敵から守るためにウルシが必死に獲得した対抗策なのでしょうから、私は被れもまた愛おしさだと思っています。(出来るだけ漆被れが起きないようにするポイントは別記事で書きたいと思います。)
動物に被れを起こすウルシオール類似物質を持った植物は他にもありますが、酵素の介在によって樹脂化が進むのはウルシの樹液だけの特徴です。樹脂化すると被れなくなりますので、次の作業まで焦らずゆっくりと待ちながら漆時間を楽しむのも一興です。
ちなみに、MR漆を販売している佐藤喜代松商店には、たんぱく質とウルシオールを反応させ被れ難く調整したNOA漆があります。絶対に被れないわけではありませんが、漆を使って見たいけど出来るだけ被れたくない方は検討してください。少しドロっとしているので希釈する手間はありますが金継ぎにも使えます。
採取
10~15年ほど掛けて育ったウルシから取れる漆は約200g(精製して使える量は更に少なくなります)。コップ1杯程度です。
ウルシから樹液を取ることを掻き取りと言い、出来るだけ枯れないよう延命させながら樹液を採取する『養生掻き』と、1年で全採取し切り倒す『殺し掻き』という2種類があり、日本では殺し掻き、中国など海外では養生掻きが主流なようです(日本でも江戸時代までは養生掻きが行われていました)。
現在、日本で使用されている漆の95%以上は中国などから輸入した外国産だそうです。
養生掻きも殺し掻きも、ウルシが生き残るために作った貴重な樹液を人が横取りしているわけですから、漆は感謝して扱いたいものです。
※ 2022.1.16「漆の使用期限」の項目を追加しました。
(つづく) - ご質問は気軽にコメント欄へ -
<参照:MR漆・NOA漆の開発販売>
<参照:MR漆について>
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