案外 書かれない金継ぎの話 Spinoff 7 乾酪漆~カゼインを利用した接着剤
漆芸の伝統技法には、漆に卵白、牛乳、豆腐などを加え装飾用に調整した「絞漆」というものがあります。津軽塗の代表的な技法「唐塗」には絞漆が使われており、目にした事がある方もいらっしゃるでしょう。これはタンパク質を添加して粘度を高めた漆を使った表現です。
私は、牛乳から作る生分解プラスチックやカゼインテンペラについて調べていて、カゼインのデメリットは漆の添加で調整出来るのではないかというアプローチから絞漆を知りました。
絞漆を調べていたところ「漆を主成分とする接着剤」という特許が有ることが分かりました。この特許は工業用カゼインと素黒目漆を混ぜることで、扱い易く高純度 強接着の漆接着剤を作るというものです。工業用カゼインは牛乳から取り出したミルクカゼインを精製処理したものですが、食品ではないため人体に使用禁止になっています。毒ではありませんが、日常食器の金継ぎに使うなら、米や小麦のように口に入れても大丈夫なカゼインを使いたいものです。
自分で牛乳から抽出するのが安全ですが、金継ぎの度にそれをやるのは手間が掛かります。そこで別な入手方法を探し、カッテージチーズを購入すれば良いと気付きました。「雪印メグミルク」や「メイトー」の脱脂粉乳から作ったカッテージチーズは大抵スーパーで販売しています。成分表を見ると100g当たり17.6gがタンパク質なので接着剤を作るのに十分なカゼイン量があります。食品として売っていますので、当然、人体に安全です。(残ったカッテージチーズは料理に使って消費できます)
ということで、カッテージチーズと漆で作る金継ぎ用接着剤を考えました。選択肢は多い方が良いと思うので、今回は、カゼインの概略と簡易な接着剤の作り方を紹介したいと思います。(なお、カッテージチーズと漆を使用した接着剤は前例となる名称が見つからなかった為、便宜上、私が乾酪漆と名付けました。正式名称ではありませんので、その点はご了承下さい。ちなみにカゼインの語源はラテン語のチーズだそうです。)
カゼイン糊とは
カゼインは哺乳類の乳に含まれるタンパク質の一種で、紀元前3000年以上前からヤギ、羊、牛の乳のチーズが作られていたり、古代エジプトでは糊として紙や木材の接着に使っていたことが事が分かっています。海外では航空機や建築の木材接合、絵具の基材、服のボタンなど多岐に利用され非常に長い歴史があります。日本では飛鳥時代に牛の乳から作ったチーズのようなものが確認されていますが、合板用接着剤として大正時代に輸入され本格的な使用が始まったそうです。現在は殆どが合成樹脂に置き換わっていますが、今でも絵画や染色、瓶のラベル用糊などで使われることがあります。
乳にはカゼインミセルというリン酸カルシウムの周りにカゼインが集まって球体になった微細な粒が分散しており、このカゼインミセルは酸性が強くなると凝固して塊になる性質を持ちます。
牛乳に酢やレモン汁などを入れて酸性にするとカゼインミセルが凝固沈殿します。沈殿物を濾して取り出したものがカッテージチーズです(通常のチーズやヨーグルトは乳酸菌が作る酸を使って凝固させます)。このようにして分離したカゼインの塊にアルカリ成分を加えて中和すると凝固が解けてカゼイン溶液になります。これがカゼイン糊です。
カゼイン糊を接着面に塗って張り合わせた後、乾燥させるとカゼインが縮合し、高分子のカゼインプラスチックになるため物を接着することが出来ます。
カゼインプラスチックは常温では非常に高硬度です。吸水はしますが水に溶けたり流動することはないため耐水性もあります。
カゼインと漆の関係
漆にカゼイン糊を加えると粘りを生じますが、これは漆に含まれるウルシオールとカゼインが化学結合するためと考えられています。ウルシオールとカゼインの結合物は複雑な網目構造となり、漆単体の樹脂とは異なる物性を示すようになります。
工業用カゼインから作る漆接着剤は、糊漆や麦漆の約1.5~2倍の圧縮剪断接着強度があるという結果が出ています。乾酪漆はカッテージチーズに脂質などの不純物を僅かに含むため、恐らくそれよりも接着強度は落ちると思いますが、私がテストした限りでは(あくまでも参考として)麦漆と同等かそれより少し強い接着力はありました。
乾酪漆の作り方
では、実際の作り方を説明します。
1.準備する物
熱湯
陶製レンゲ(または豆皿)
木製ヘラまたはプラスチック製ヘラ
カッテージチーズ(通常タイプ、うらごしタイプのどちらも可)
アンモニア水(薬局で販売しているもの)
素黒目漆
<補足>
熱湯はレンゲ(豆皿)を温めるために使用します。
道具は全て金属以外のものを使用して下さい。金属と触れたカゼイン糊は、漆を混ぜた時に凝固して接着剤として使えなくなります。容器からチーズを出す時も金属スプーンを使わないようにして下さい。
カッテージチーズは、無脂肪乳(脱脂粉乳)から作ったものを推奨します。脂質が多いと接着剤の強度が低下します。
アンモニア水は、試薬(25%溶液・劇物扱い)ではなく、薬局の市販品(10%溶液・劇物除外)で大丈夫です。
使用する漆は生漆ではなく素黒目漆です。これはウルシオールとカゼインを出来るだけ多く結合させるためです。
2.作り方
カゼイン糊を作る時にカッテージチーズの温度を上げる必要があるので、レンゲ(豆皿)を熱湯に入れて温めておきます。豆皿の場合は熱湯を溜めて温めます。カゼイン糊を多めに作る時は容器で湯煎しながら作りますが、金継ぎで使う程度であればレンゲや豆皿を温めておくだけで十分です。
カッテージチーズは食品なので、食べやすいよう乳清という液体が多めに入っています。アンモニア水を加えていくとカゼイン糊が希釈されてしまうので、先にキッチンペーパーやティッシュペーパーに乗せてカッテージチーズの乳清(水分)を減らしておきます。カラカラになるほど水分を取る必要はありません。
温まったレンゲ(豆皿)を拭いてからカッテージチーズを乗せ、アンモニア水を加えて、掻き混ぜます。
加えるアンモニア水の目安はカッテージチーズの重量の17%ですが、カッテージチーズの状態によっても変わるので、重量よりは1滴ずつ加えて変化の様子を見ながら掻き混ぜて下さい。大切なのはアンモニア水を入れすぎないことです。漆はアルカリ性が強くなると固まらなくなります。
また、アンモニアは刺激臭がありますので、直接吸引しないよう必ず換気を行って下さい(市販品は気付けに使える程度の揮発量ですが、吸引しないに越したことはありません)。
しばらく混ぜていると、カッテージチーズが溶解し、粘りのある半透明なカゼイン糊になります。
カゼイン糊になったら、少し置いて臭いが消えるまでアンモニアを揮発させます。
カゼイン糊と漆を計量します。
カゼイン糊 10:素黒目漆 12~15(重量比)
が目安になりますが、カッテージチーズは天然原料のためカゼイン含有量が一定ではないので、比率には幅があります。比率を変えてテスト(後述)した限りだと、素黒目漆はカゼインの1.2~1.5倍の間だと扱いやすく接着状態も良好になるようです。
カゼイン糊と素黒目漆を混合します。10秒かからずに強い粘りを生じるようになります。
<注意点>
粘りを生じても、漆の色が薄いうち(グレーや薄茶色)に使うと接着後に芯まで乾きにくくなり、耐水性も落ちますので、色が斑なく十分に濃くなるまでゆっくりと混ぜ続けて下さい。
色が黒に近くなったら乾酪漆の出来上がりです。
混合比が適量の場合、糊漆と麦漆の中間のもっちり感と糸引き状態になります。粘性や可塑性が低い場合は漆が多過ぎ、纏まりが強く糸引きが弱い場合はカゼイン糊が多すぎる状態です。乾酪漆は使っている人が居ないため、初めてやって1発で適正混合か判断するのは難しいかもしれませんが、何度か作ると的確な状態が分かるようになると思います。
乾酪漆の特徴と使い方
粘着力が高く、漆の残留、初期接着保持、機械的結合の強さもあるので、オールラウンドな働きをします。
接着面に塗る時は薄く塗り広げ、貼り合わせたら押し付けるようにします。厚く塗ったり押しつけが弱いと、硬化するまでにズレを生じます。練り終わった段階で、酵素による漆の第一硬化も始まっていますので、麦漆のような養生時間は取らずに貼り合わせても大丈夫です。
はみ出た乾酪漆は、揮発性油を付けた綿棒や布で拭き取ることが出来ます。
小さな破片であればテープで止めなくても接着していますが、出来るだけテープで固定した方が良いでしょう。
カッテージチーズにはソルビン酸カリウムという保存料が入っていますが、乾酪漆を常温で保管すると腐敗臭が出て伸びが悪くなってきたり、密閉していてもゴムのように硬くなってきますので、ラップで包んで冷蔵庫で保管します。1週間程度であれば、常温に戻して再度使うことが出来ます。
なお、カッテージチーズ自体は冷凍すれば、かなりの長期保存が出来ます。風味が落ちるので食用には向きませんが、ラップで包んで冷凍し、適宜、必要量を削って常温に戻してから上記の手順で漆と混ぜると接着剤として使うことが出来ます。
<補足>混合比について
乾酪漆の作り方で、カゼイン糊と素黒目漆の混合比は「カゼイン糊10:素黒目漆12~15」と記載した理由は、特許文の説明と個人的試験結果から出したものです。(下記 試験結果の写真)
写真(上)は、カゼイン糊100に対し素黒目漆の比率を40~150まで変えて作った乾酪漆を陶のテストピースに塗り3か月養生させたものです(上の2つのピースはカッテージチーズではなく比較用として工業用カゼインで特許の文章通りに作ったもの)。素黒目漆が80を超えると漆の光沢が出て、カゼイン糊と釣合う量になってくることが分かります。
写真(中央)は、テストピースを熱湯に漬けて2時間経過した状態です。亀裂や剥離はありませんが、触ると素黒目漆70以下はカゼインの膨潤が有り、硬さが無くなっています。
写真(下)は、2時間水没させた乾酪漆を金属タワシで擦ったものです。素黒目漆80以下は剥離、100~150だと密着強度が高いことが分かります。
結果、カゼイン糊100に対し素黒目漆が100~150の間が強いという予測が立ちましたが、カゼイン糊100:素黒目漆100は、粘弾性が強すぎて塗り伸ばすには不向きなため、実用を考慮すると120~150の間が良いという結論に至りました。
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