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顕微鏡を買った日

顕微鏡を買った日

おとといから、皿を洗っていない。
季節は夏に差し掛かっている。
人間がおよそ暮らせる温度ではなくなってきているというのに、まだまだピークではないとのことだ。
吐き気のするほど青い空に入道雲が悠々と泳ぐ。
その一つが、大きな山椒魚に見え、どうだといわんばかりに顎を突き出していた。

腹が立つ。
人間様のお通りだ。
こっちは種の霊長なのだ。

のどが渇いたので自動販売機に出た。
マンション前の十字路は空いている。
子供が一人二人、砂場に山を作って遊んでいた。
幼稚園に通っていた時、砂場で一緒に遊んでいた女の子の鼻水の中に、砂がたくさん入っていたことを思い出した。

歩く歩く。
ムシムシと擬態語が音でも立てそうな気温と湿度だった。

僕の影の中に何か生き物が入っていて、その背格好がだんだんと楽しんごに変化していく妄想をする。
別にこれを面白がってはいないし、僕の意思でもない。
倒錯した脳内がランダムな想像を掻き立てているだけだ。
うんざりして、前の道を行く。

二駅となりの街についた。
顕微鏡を買いに来たのだ。
理系でもYouTuberでもないが、何となく、おとといからずっとつけてある流し台の皿に潜む、微生物を確認したら面白そうだと思ったから。

家具を物色する新成人のように、顕微鏡と顕微鏡の間を、後ろで手を組んで触れて回る。
ほんとに買うのかな。
既に家を出た瞬間から徐々に面倒くさくなってきてはいる。

高校のとき、他人とかかわることの難しさを思い知ってから、僕の性格はだいぶ変更されたと思う。
1クラスだけだった田舎の学校から、1学年10クラス位あるマンモス校に転校した。
なんだか一人一人のおしゃべりが洗練されていて、僕は初めて自分の発言に躊躇した。

何気もなく何事も言えていたのは、それまでの関係性が僕という人間の人となりを裏付けてくれていたからだったのだ。
「ああ、こいつはこういうやつだから、こういうことを言っているんだな」
と、勝手に解釈して理解してくれる人たちに囲まれていたのだ。
つまるところ、僕のコミュニケーションは自分の能力によって完結していなかった。
他人に頼りっきりだったのだ。
貴重な経験だったと思う。

一度店を出て、店先のベンチに座る。
炭酸飲料の外側に結露がついて、その露がバッグの中の財布を濡らしている。
中身は少しぬるく、炭酸も少ない。
微炭酸の水流が喉を通るたび、食道のふちに、わざとやらしく触れているようで気持ち悪い。
バッグの中を濡らされ続けるのが嫌で、そんなに喉は渇いていなかったのに飲み干した。

店の中に戻ると、中央に配置してある顕微鏡がどんと構えていた。
さっきも目に入ったが、さっきとは違って見えた。顕微鏡のエリア担当の人は暇そうに僕を見ている。「これください」と言うと、心底驚いていた。

チャカチャカとバッグの中で、顕微鏡の中の何かしらが、別の何かしらにあたって音を立てている。
既に買っただけで、満足し始めている。
押入れの肥やしとなる確率は8割5分だ。

今日は別にいい日ではなかった。
ただまあ結構歩いたり、暑かったので、昨日より早く寝付くことはできそうだと思った。

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きんす
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