赤いスポーツカーのわたし
「容疑者Xの献身」が終了し、しばらく演劇の稽古や本番がない日が続きます。きっと3ヶ月くらい。
ここ数年、ありがたいことに結構詰め詰めで演劇をやらせてもらっていたので、「3ヶ月演劇やらない」というスケジュールが忍び寄ってくると、若干の焦りがありましたが、いざ突入してみると悪くないかもしれないです。
逆に今しか出来ないことをやろうという気持ちになってきます。
わたしは今、この期間を利用して、自動車免許を取ろうと思っています。(宣言)
最近、自動車の助手席に乗せてもらう機会が増えて、「自分で運転できたらなぁ」という思いとともに、ハンドルを握る手首から上腕筋にかけての男らしさに、密かに胸ときめいていました。
わたしの中の女性ホルモンが刺激されたのか、少し胸も大きくなった気がします。
というわけで、「免許が取れたら」なんて未来の話を知り合いとしていると、「わたしにはどんな車が似合うのか」という話になりました。
手に入れられるかどうかは置いておいて、わたしは初心者なりに、運転しやすくて、小回りが利く、ファミリーカーを連想していました。
知り合いのひとりには、「赤い車」っぽいと言われました。
もうひとりには、「スポーツカータイプが似合う」と言われました。
「赤」も「スポーツカー」も自分の中に感じていなかった選択肢なのでとても新鮮でした。
なるほど、ある側面において、わたしはそのようなイメージがあるのだな、と。
まだまだ自分に対する分析が甘いな、と思ったのでした。
ここで演劇のはなし。(やっぱり)
稽古場で上手くいかず、悶々としている若い役者が結構います。
「演技が上手く見えない」
「演出家の指示通りできない」
その原因は、分析の足りなさにあります。
多くの若い役者にありがちなのは「やっているつもり」に陥っていることです。
自分の中では「悲しんでいる」「笑っている」「怒っている」のでしょうが、他人から見たらそうは見えない。
自分の演技や見た目や個性が、他者にどのようなイメージをもたらすのかを徹底的に分析し、そこから演技を組み立てる必要があるのです。
演劇は結果が全てです。
本当に悲しくなくても、泣いているように見せることができれば、共演者、演出家、引いてはお客さんは泣いたと思って、勝手にその涙を解釈して、共感したり、感動したりしてくれます。劇場とはそういう場所です。
もちろん、形だけでそう見せるのはとっても難しいことなので、結局は「本当に悲しむ」「本当に泣いちゃう」のが近道だったりするんですけど。
ちょっと話がズレたけど、自分をきちんと捉えないことには、いつまでも曖昧な演技になってしまうよなってことでした。
わたしもまだまだ分析が足りていないようです。
わたしの知らないうちに「赤いスポーツカー」の多田直人が顔を出していたのだから。
さて、わたしはちゃんと運転免許を取ることができるのか。
そして、どんな車を欲しがるのか。
未来が楽しみです。