第6走者:真鍋俊明先生【病理医】
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このマガジンは、2021年4月発売の
『Dr.ヤンデルの病理トレイル 「病理」と「病理医」と「病理の仕事」を徹底的に言語化してみました』(著:市原真/刊行:金芳堂)
について、病理医・臨床医の皆さまに読んでいただき、それぞれの視点から感想と、「病理」に関する考えを書評という形でまとめていただいたものです。
「病理トレイル 書評リレーマラソン」と題したこのマガジンを通じて、「病理」とは、「病理医」とは、「病理の仕事」とは何かを感じ取っていただけると幸いです。
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■評者
真鍋俊明
京都大学名誉教授
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このたび、『Dr. ヤンデルの病理トレイル』の書評依頼を頂き、このコロナ禍のステイホーム連休の数日を使って読み上げた。
本書の著者は、1978年生まれの気鋭の現役病理医である。
1978年と言えば、私が 米国での卒後研修、病理医としての研修、病理専門医資格(AP、CP)取得後、米国型の臨床に根ざした病院病理部の設立を手助けするようにと求められ帰国し、実際に働き始めた年である。
著者の市原真氏には一度お会いしたことがあり、講演も拝聴した。大変なる努力家で、博学、突き詰めてものを考える人で、本書も自身の経験から築き上げた人生観、世界観を記した正に「病理についての哲学書」となっている。
一方で、今回の書を読んで、繊細な心の持ち主だという印象も受けたし、同時並行で物事が行え、俯瞰的に物事を捉え、感覚的なことをしっかりと言語化できる特異な才能の持ち主で、最近言うところの強い男性脳とかなりの女性脳を併せ持った方のようにお見受けした。
本書を読み始めて直ぐ、「ああ、やっと自らを病理医であると自信と誇りをもって語り、実際に医療の現場で臨床医として活躍する人がいるのだ」という感慨を得た。
以下、「いち老・元病理医の回想リアル」、「願い」として、本書への感想を交えながら少しお話したい。
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■「いち老・元病理医の回想リアル」
我が国で、診断病理学がその存在を認められ、病院や医療界の中でその立場が確立されていくまでには長い苦闘の歴史があったが、いまだ十分には病理医の役割が発揮されていないし、理解されていないとも感じている。
日本病理学会は1910年の設立以来、実験病理が中心であった。大東亜戦争後の占領下での1946年、GHQ(連合国軍総司令部)の指示で、国立病院の近代化、中央検査施設の拡充が図られ、病理診断部門もこの中に入れられたが十分機能しなかった。
その後、米国留学も盛んとなり、帰国した病理医も増えたが、「出世街道から外れる」という状態が続き、1982年ですら12国立大学病院に病理部があるに過ぎない状態であった。
病院病理医協会が結成されたのが1958年、国際病理アカデミーの日本支部が設立されたのが1961年で、これら先達の努力により次第に診断病理の重要性が理解され、やっと1978年に日本病理学会に認定病理医制度が発足した。
私が帰国したのはちょうどこの頃で、診断病理を志す者は、診断・実験研究の二束の草鞋を履きながらも病理学教室には居づらく、やがて関連病院へと出向させられるか、臨床科へ移籍するかで、病理医であると声高に言える時代ではなく、病理医が卑屈になっているのを目撃した。また、患者と話すのが苦手なので病理を選択したといった人たちが多くいたのも事実であった。
その結果は明白で、病理診断の返却は遅く、臨床との対話はほとんどなかったし、診断の精度管理や所要時間といった考えはまるでなかった。
私は、我が国で病理医としての初期教育を受けたことのない異邦人というか、境界人の立場であったが、職場環境にも恵まれ、比較的自由に変革を行うことができた。病理部の運営方針・各種部内規約・取り扱いマニュアル(標準作業手順書)・教育法を順次整えた。
当初、意識改革をということで、大学では臨床医や医学生にカンファレンスや講義で、公には論文や書物、講演やセミナーで「病理は臨床である」と主張したり、病理の在り方等を発信した。
病理学会も、1990年以来各種の病理診断講習会を行うようになり、医師賠償責任保険に会員が加入する道を開き、病理医育成に大きな貢献をしてきた。
そして、2007年に病理診断科が標榜科として認められる時を迎えたのである。
診断病理に関する多くの事柄も急速に進歩、充実してきたが、統一したものや標準化されたものはまだ少ない。
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■「いち老・元病理医の願い」
本書の読者には、これらの歴史を知ったうえで、本書の内容と自らが置かれた現状を見直し、臨床における病理医の存在意義・あり方とは何か、オーケストラ型組織である医療界の中での病理診断科の立ち位置を振り返り、これからの時代の病理医の在り方がどうあるべきかを模索し、実行して頂きたいと願う。
本書はうまく構成されており、まず基本的な考え方を示し、著者の実務状況が提示されている。そして、特に若者には読みやすい文体となっている。打って付けの教材である。
著者は、この書物の中でいくつかの問題点も投げかけているので、是非ともそれら一つ一つを読者みんなで考え、解決していくようにしてほしい。
それは自らの立場だけが良くなればいいというものではない。社会全体を変えていってほしいと思うのである。そのためには多くの人を含めた議論が必要である。このWEB連載企画をリレー方式で行うようにした意図はそこにあると思うし、企画して頂いた方々に感謝申し上げたい。
組織、社会の在り方は世の中の進歩に伴って変化せざるを得ない。否、変革できたものだけが生き残れるのである。
今まで、病理学あるいは医学には3つのパラダイムシフトがあった。病理解剖による身体の肉眼観察と病気の理解ができるようになった時、顕微鏡レベルでの身体内観察による病気の理解ができるようになった時、そして現在の遺伝子レベルでの観察から病気が理解できるようになった時である。
今まで、医学・医療はこれらの変革にうまく対応してきたように思える。しかし、さらに次なるパラダイムシフトも起こるだろう。その間、当面これまでの成果を統合した優れたシステムを構築し、次に備える必要がある。感性豊かな本書の著者には、その目でもう一度医療の在り方、医療全体をも俯瞰し、自らの経験を踏まえ、どうあるべきかを熟考し、著者なりの結論を次書で書いてほしいし、多くの人を巻き込んだ議論、後進の育成も行ってほしい。
本気の人間にしか、旧弊・現在の常識は打ち破れない。本書・本企画が、病理部門を次の世代へと押し上げる、その糧となることを願っている。
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■書誌情報■
Dr.ヤンデルの病理トレイル 「病理」と「病理医」と「病理の仕事」を徹底的に言語化してみました
著:市原真
札幌厚生病院病理診断科
定価 3,080円(本体 2,800円+税10%)
A5判・278頁 ISBN978-4-7653-1862-4
2021年04月 刊行
病理医は何を見て、何を考えているのか。医療という壮大なトレイルで一体何をしているのか。病理医の立ち位置、臨床医との関わり、そして病理診断――病理医の無意識の領域に迫り徹底的に言語化する試み。