夏の終わりに思い出す「黒歴史」と「夢」の話

夏休みが終わろうとする時、憂鬱じゃない人なんているんだろうか。
ただ、中でも「こんなに楽しい日々が終わってしまうなんて!」と思うパターンと「明日からもっと辛い日々がまた始まるのか・・・」というのががあって、前者と後者では雲泥の差がある。

夏休みが思いっきり楽しかった人は大丈夫。きっと学校や会社が始まっても何かしらの楽しみを見つけられる。でも...。

#8月31日の夜に

このハッシュタグを見たとたん、心がずんと沈む。今も小さなしこりとなって残っている、ある夏休みのことを思い出すから。

小学校6年生の8月31日。私は夏休みの宿題を手つかずのまま迎えてしまった。その理由が「遊びほうけていた」のならまだ良かった。私は宿題のドリルを見ることさえ怖くて仕方なかった。

もうすぐ卒業という最終学年。私は女ボスとの諍いを境にクラスの女子に無視されるようになった。きっと女の子の世界では「あるある」なパターン。さも給食当番か日直のように、そういう役割がいろんな子に回ってくる。

それでも当時の私にはショックすぎて世界の全てが灰色に見えた。しかも笑えないのが、首謀者である女ボスがずっと信じてきた幼馴染で親友だったということ。”そこは本来、かばってくれるべきポジションじゃん!”って今でもちょっと恨んでる。(大人気ない)

それまでの通信簿には毎年「明るく元気」「明朗快活」と書かれていた私。ちっぽけなプライドが邪魔して家族に惨状を打ち明けられないまま夏休みを迎えてしまった。

が、去年まで毎日のように遊びに来ていた幼馴染がこない。誘いの電話もかかってこない。流石に異変を感じた母に「ケンカでもしたん?」と聞かれるのが辛かった。

唯一外に連れ出してくれる”友達”はおじいちゃん。日課のように祖父の車に乗って隣町のTSUTAYAに出かけ(田舎にはコンビニとそれくらいしかなかった)、CDを借りて返してを繰り返す日々。中でも当時大ブレイク中だったユニットの女性ボーカルの力強い声が胸に響いた。

「想像もつかない毎日が おくれると思わない?」

ちいさなSONYのコンポで彼女の声を聞いていると寂しさが少し癒えた。

いつか大人になったら、この狭くて苦しい地元を飛び出てこの歌手に会いたい。
今とは全然違う、想像もつかない世界に行きたい!

音の世界に逃げ込んで、学校を思い出すものを徹底的に見ないよう隠した。もちろん宿題のドリルも一緒に。

しかし現実逃避にも限界あり。地獄のD-1、8月31日。事もあろうに真っ白のドリルが親にバレる悲劇。やれるだけやれ!と叱られ、机に向かうも筆が進まない。別に勉強したくないわけじゃない、単にあの世界に戻りたくないだけなのに。

結局、勉強机と対峙したまま夜を明かし、無情にもやって来た9月1日の朝。起きてきた母が私の顔を見るなり異変を察知し「体温計を持ってきて」と父に頼んだ。

「これは・・・学校行かれへんねぇ」

私は人生初の徹夜で熱を出し、見事(?)始業式を休むことになったのだった。

”たった1日の夏休み延長” ーそれだけでものすごくココロが救われた。ほっとして昼過ぎまで眠り、それから好きなだけ音楽を聴いた。「いつか好きな歌手のことを、曲のことを友達に笑って話せる日が来るといいな」と思ったら涙が出てきて、1階にいる母に聞こえないよう声を殺して泣いたのを覚えている。いじめられてから初めてきちんと泣いたのは、多分あの時だったと思う。

あの孤独な夏休みから20年以上経った今。私は音楽番組や韓国ドラマを宣伝する仕事をしている。小学校時代の悲しい思い出が「糧になった」とか「良い経験だった」なんて今でも言えない。ただ、辛い時間を耐え抜くための「小さな楽しみ」が「将来の夢」を育て、現在の仕事にまで繋がっているのはとても幸せなことだと思う。

ちなみに。「会いたい」と願ったアーティストとは社会人2年目の時にお仕事でご一緒することができた。ユニット名の和訳が「夢は叶う」だったというのは、ちょっとよく出来すぎたハナシかもしれない。

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