ミステリー小説「須藤警部の始末書」第二話
気絶してから数時間後、気づいた時には僕は刑事課のソファーに寝そべっていた。
ゲロまみれになっていたスーツの上着は着ているものの、下は全部脱がされている。
小便を漏らしたわけだから、優しい人が脱がせてくれたのだろう。
スーツの上だけ着てる下半身裸の男がソファーに寝ている刑事なんてかっこ悪いにもほどがある。
こんなの刑事ドラマで見たことないぞ。
でもズボンとパンツを脱がせたのなら何か履かせてくれてもいいじゃないかとも思う。
そこまで優しい人ではなかったのか。
バスタオルをかけるくらいの、あとほんの少しの優しさはなかったのだろうか。
などとブツブツと言っていたところに、先輩刑事が入ってきた。
「おい、そろそろ捜査会議の時間だぞ。いつまで寝とるんだ?」
口調は荒いが、わざわざ呼びに来てくれてるじゃないか。
おそらくこの人がズボンを脱がせてくれた優しい人だな。
50代半ばのベテラン刑事といったところか。
もしかしたら、今後タッグを組んで捜査をしていく先輩なのかもしれない。
多少トンパチで暴走気味なところがある若手のエースの僕を、老獪なベテラン刑事と組ませる捜査課長の思考パターン。
これは充分にありえる展開じゃないか。
しっかりとお礼を言わないと。
「先輩、改めまして本日よりこの刑事課に配属されましたダメージです。本当にご迷惑をおかけしました。そして汚れたズボンを脱がせていただきありがとうございました。」
「ダメージ・・・外人か。最近の外人はいろんな国からやってくるから顔見ただけじゃわからんからな」
「いえ日本人でして。ニックネームがダメージと言います。以後お見知りおきを!」
「そうかね。お前のズボンは洗濯しとるから、このジャージを履いときなさいな」
とジャージを渡してくれた。
「ここまでしていただきありがとうございます!綺麗に洗濯してお返ししますので」
「ズボンが乾いたらジャージはここに置いといてくれよ。わしはそれに着替えてから帰るんだから。それより早く捜査会議に行かんと怒られるんじゃないのか?若手がそんなにのんびりしとるわけには行かんだろう」
「はい!それでは先輩も行きましょう!僕にとっての初めての捜査会議。失敗も取り返さないといけませんし、ワクワクが止まりませんよ。僕たちの力で必ず事件を解決しましょうね」
「いや、わたしゃここの清掃員だよ。何を言っとるんだ」
え?
「こんなブルーのつなぎを着た刑事がおるもんかね。ちいとばかり頭が足らんのじゃないのか」
くぅ~!
「くそっ!トリックか!」という捨てゼリフを吐くのがやっとの僕は、会議室まで全力で走った。
おそるおそる会議室の扉を開けると、人はたくさん集まっているものの、まだ会議は始まっていない様子。
「まあなんとか滑り込みセーフってとこかな」と口からポロリと出てしまったのが運のつき。
いきなり後ろから頭をはたかれた。
「どこがセーフだ!お前なんかアウトどころかチェンジだよ」
振り返ると岩のようなゴツい体躯の男が立っている。
そして鬼の形相とはこういうことを言うんだろう。
「俺が署長からお前の教育係を命じられた鎌田だ。いきなりガイシャにゲロぶっかけて気絶しやがって。鑑識作業は何とか出来たから良かったようなものの、とんでもねえことしてくれたな。これで鑑識が出来てなかったら初動捜査に大きな遅れが出るんだよ。そうなったらチェンジどころじゃないぞ。コールドゲームでお前なんかFAだからな」
どこかで見た顔だな。
そうか、あの現場のマンションにいた顔だ。
この人が僕の教育係の鎌田さんか・・・おっかねえなあ。
180センチ100キロってところか。
柔道と剣道と空手合わせて10段くらい持ってそうな大男じゃないか。
「鎌田さん、FAってのはおかしいですよ。FAってのは選手が自らチームを出て行くわけだから、そこはトレードとか戦力外とか言わないとね。鎌田さんって野球全然知らないくせに野球用語を使いたがりますよね」
と横から青白い顔をしたひょろっとした男が割り込んできた。
この顔も覚えてるぞ。
現場にいたってことは2人とも直属の上司ってわけか。
「うっるせえなあ鈴木。FAでもトレードでも何でも一緒だろ。お前はいつも一言多いんだよ。言葉のフォアボールだ」
「ふふふ、言葉のフォアボールって何です?余計なことを4回言ったってことですか?」
「何となくニュアンスで分かるだろうが。年長者をバカにするんじゃないよ」
「そんなことより新人くん固まっちゃってますよ。鎌田さんが暴投しちゃうから」
「やかましい。お前が余計なこと言うからだろうが」
僕をほったらかしにしたまま、大男と芝居がかったしゃべり方の青びょうたんの言い合いが終わらない。
怒られてばっかりじゃ変なイメージがついちゃうからな。
ここらで一発気の利いたことでも言っておかないと。
「あの~肩が冷えちゃうんで、そろそろベンチに戻ってもよろしいでしょうか?」
「おう。まあとにかくこれから捜査のイロハを俺が教えてやるから、しっかりと勉強するんだぞ。座れ」
「僕は鈴木。鎌田さんと同じくここの刑事課。今回の事件は県警本部からたくさん来てるから、あんまり我々の出番はないかもしれないけどもさ、所轄の刑事同士仲良くやっていこうや」
「はい。宜しくお願いします。ダメージとニックネームで呼んでください」
「ダメージ?何だそりゃ?」
「ふふふ、新人の頃ってニックネームをつけたがるんすよね。分かるなあ~」
「何だよ。俺たちゃこいつのことをダメージって呼ばなきゃいけないのかい」
「いいじゃないですか、ダメージ。いきなりやらかしちゃってすごいダメージ受けてるって感じなんでしょ。自虐的だなあ」
「まあ別に呼び名なんて何でもいいんだけどよ」
いやいやいやいや先輩方、そこじゃないだろう引っかかるところは。
ダメージに食らいつく前に、僕の渾身の一撃、肩を冷やしてベンチに戻るは丸無視じゃないですか。
あそこをサラッと流すかなあ。
劣勢の中での逆転満塁ホームランとはいかないまでも、逆転の口火となるツーベースヒットくらいはあったでしょうよ。
一癖ありそうな先輩方だなあ。
「所轄の刑事連中!何をウダウダとしゃべっておるのか!捜査会議を始めるぞ」
と会議室の最上手に座っている男が声を張り上げ、室内に緊張感がピーンと張り詰める。
「あの人が県警本部長。本事件の責任者で、県警から乗り込んできたってわけ」
と鈴木刑事がこっそりと教えてくれる。
「本事件の名称は宝町マンション殺人事件と命名した。これから事件の概要、鑑識の結果、現段階での被害者について分かっていることを各担当から発表してもらう。ん?須藤くんはどうした?まだ来てないのかね?捜査会議が始められんじゃないか」
「本部長すみません。須藤警部から遅れると連絡はあったのですが、まだ到着しとらんみたいです。何をしとるのやら。先に始めておきますか?」
と本部長の隣に座っている男が言い訳をする。
「須藤くんが来てないんだったら捜査会議を始めたってしょうがないじゃないか」
「まったく須藤くんには困ったものでして。申し訳ございません。誰か須藤くんの携帯にもう1回電話してみてくれないかね?」
「あの人がうちの署長。本部長には頭が上がらないんだよ」とまた鈴木刑事が耳打ちしてくれる。
そして県警本部長を待たせる須藤警部というのは一体誰なんだろう。
そこで会議室の扉が開いて、40代半ばほどの小さい男がのっそりのっそりと部屋に入ってきた。
「いや~いや~遅れましてすみません。地下鉄で向かっておりましたら、間違って署とは逆方向の電車に乗っておったんですよ」
会議室の空気が止まる。
「あらら。こりゃ部屋を間違えました。捜査会議は向こうの部屋かな」と部屋を出て行こうとする男を慌てて署長が止める。
「須藤くん!ここでいいんだよ!1回顔ぶれを見渡した上で間違えたと思うなんて君はどれだけうっかりしとるんだね」
「あらららら。ここで良かったんですか。いやあ、変な空気になっとったもんですから部屋を間違えたと勘違いしてしまいました。親切に教えてくれてありがとうございます。あらら。こりゃ署長じゃないですか。遅れて申し訳ございません」
「今、私に気づいたのかね。まあもう、本部長を始めとして県警の皆さんも君が来るのを待っとったわけだから、早く席に着きなさい」
「これは皆様、殺人事件が起きたというのに遅刻をしてしまいまして、申し訳ございません。実は地下鉄に乗って署まで向かっておったのですが、逆方向の電車に乗ってしまいまして、なかなか着かないなあとは思っておったんですが」
「須藤くん!その話はもういいよ。捜査会議を始めるから君はしっかりと事件の概要に耳を傾けておいてくれたまえ」と本部長。
そしてようやく捜査会議がスタートして、各担当部署の、主に県警から来た刑事たちが概要を発表していく。
「事件の発生時刻は昨日深夜未明と思われます。深夜にかなり激しい物音がしたというマンションの他の部屋の住人からの報告を受けて、早朝に管理人が被害者宅を訪ねて事件が発覚。通報時刻は本日12月4日の午前7時02分。所轄警察官の現場到着が7時18分です」
「被害者の身元は?」
「管理人によりますと、被害者の名前は大田原敬一郎。64歳。無職。身寄りがなく独身の1人暮らし。無職でありながら、あの豪華で広い分譲マンションに住んでいたわけですから、かなり裕福だったのではないかと思われます」
「ずっと独身だったということかね?」
「いえ管理人によりますと、以前に結婚をしていたことがあったという話を聞いていたそうですが、戸籍を調べましたところ婚姻の形跡はありません。しかしながら東京に1人息子がいるという具体的な話を随分聞かされていたそうですので、もしかしたら婚姻関係にはなかったが、内縁の妻と子供がいる可能性は残されていると思います。引き続き調べます」
「うーむ。そこがキーポイントになるかもしれんな。急いで調べてくれ。部屋の鍵は開いていたのか?」
「そのようです。管理人も早朝だったため、インターホンを一度鳴らして引き上げようとしていたのですが、カギが開いていたため不審に思い室内に入り、リビングで倒れている被害者を発見したそうです」
「死因は?」
「鋭利な刃物で腹部を三回刺されています。その前に後頭部を鈍器のようなもので殴られた形跡もありますが、直接的な死因は腹部への刺し傷だということです。刃物、鈍器ともに現場には見つかっておりません」
「マンションの防犯カメラの映像は?」
「マンションのエレベーター前エントランスに1台ありまして、確認してみたのですが、昨夜の午前1時23分の段階で防犯カメラの映像が途切れているんです。外からつながっているカメラのコードが刃物によって切断されていました。計画的な犯行であったことを表していると思います」
「死亡推定時刻は?」
「鑑識によりますと、昨夜の1時から2時の間。防犯カメラの時刻から推定すれば1時23分から2時の間へと狭めることが出来ると思います」
「物音を聞いたというマンションの住人は?」
「隣の部屋に住む秋野貞江、42歳。昨夜の1時半頃に男の争う声と激しい物音を聞いたと証言しています」
「時間は符合するんだな。怨恨の線が強そうだが、物盗りの可能性は?」
「このマンションはオートロックですので、被害者が1Fの玄関をインターホンで解除しないかぎりは入れません。あくまで聞き込みの証言のみですが、1時から2時の間に出入りした他の住人はいないということなので、被害者本人が犯人を家に招き入れた公算が高いです。顔見知りの人物による計画的な殺人事件だったという可能性が強いと思われます。そして部屋には被害者以外の新しい指紋は残されておりません。ドアノブの外側にのみ指紋を拭き取った形跡が残されておりますので、犯人は犯行時手袋を使ったか、よほど用心して指紋をつけないようにしていたかと思います」
まだ事件発生から数時間しかたっていないというのに、これだけデータが集まってくるのだから、日本の警察が優秀だというのは本当なのだろう。
怨恨だということであれば、犯人はすぐ捕まるのだろうか。
刑事初仕事で派手な手柄を立てるという、華々しいデビューは難しいことになるのかもしれない。
「ふーむ。しかし1人暮らしの老人がそんな深夜に人を招き入れるとなると、よほど気を許していた相手になるだろうね。須藤くん?」と本部長が須藤警部に意見を求める。
「・・・」
「須藤くん。どうだね?」
「・・・」
「須藤くん!」
「須藤くん寝ちゃだめだよ~。本部長が話しかけとるよ~」と大慌ての署長。
「須藤くん。寝てたのかね?」
「!!!。すんません。昨日仕事が遅くなって6時間しか眠れんかったもんですから」と須藤警部。
「まあまだ事件の目鼻も立ってはおらんですから、慌てずゆっくりいきまっしょい」
「まあ、須藤くんがそう言うなら、そうすることにしよう。須藤くん、捜査に支障をきたさぬ様に、6時間じゃ足らぬだろう。忙しいだろうが睡眠はしっかりと取るようにね。」
この人は毎日何時間寝てるんだろうか。
そして本部長のこの甘やかし方は何だろう。
僕は鈴木刑事に疑問をぶつけた。
「あの須藤警部ってどういう方なんですか?遅刻しといて居眠りするし、本部長から何だか大事にされてるような」
「ふふふ。新人くんは、あっダメージは須藤警部の噂も聞いたことないのかい?」とまたしても芝居がかった物言いで言ってくる。
「噂というのは?」
「あの人はうちの署のエースだよ」
あんな人がエース?
あんなノロノロとした人がエースだなんて信じられない。
「ふふふ。信じられないって顔してるじゃないか。あの人がいるからこそ、うちの署は県警本部からそこまで偉そうにはされないのさ。本部長の対応見てたら分かるだろ?」
確かに。
県警本部長と所轄の警部なんて階級だって天と地なのに、この対応は不思議すぎる。
「おいダメージ。これからスローさんの捜査をしっかりと目に焼き付けろよ。あの人はこんな小さな署にいるのに、県警本部長賞を8回も貰ってるんだ。野球で言ったら清原ばりの大打者なんだよ」と鎌田刑事も興奮気味に割って入る。
「鎌田さん、清原ってのはおかしいですよ。清原は現役時代にタイトルに縁がなくて、無冠の帝王と呼ばれてたんすよ。スローさんの場合は8回も賞を貰ってるんだから、落合とかイチローでいいんじゃないですか?」
「鈴木!てめえはいちいちうるさいな。スローさんは長渕が好きなんだから、ここは清原でいいんだよ」
「ふふふ。賞の話と長渕は関係ないでしょう」
また2人の話が長くなりそうなので、次は僕が割って入る。
「清原のタイトルと言えば新人王。うちの署の新人王の僕がお聞きしますが、さっきから言ってるスローさんというのは?」
「ああ。須藤さんだから、それが変化してスローさん。理由は分かるだろうが、あんだけマイペースだったら。あの人は何をするにもスローモーションで、動きも遅いし、しゃべりも遅いし、飯食うのも遅い。でもな!捜査に関する頭の回転だけは素晴らしく速いわけだよ。」と鎌田刑事が力を込めて発言する。
「ダメージよりも先に、うちの署にも唯一ニックネームがついてる刑事がいたってわけ。そしてその頭の回転の速さで事件を解決しちゃうから、県警からも一目置かれてるってこと。」と鈴木刑事も自分のことのように自慢げに語る。
そんなことより、スローさんでもスーパースローさんでも何でもいいんだけども、なぜ新人王のくだりは丸無視されるんだ。
2人は野球の例えが大好きなんじゃないのか。
乗ってこいよ、僕の野球例えにも。
しかしこの2人、いや県警からも全幅の信頼を置かれているスロー警部って何者なんだ。
いったいどんな捜査を見せてくれるのだろうか。
思いもよらぬ刑事生活のスタートになってしまったが、これからの事件の成り行きに思いを巡らせ、ゾロゾロと皆が出て行き、誰もいなくなった会議室の隅で、僕は1人で武者震いしていた。
すると「ダメージ!お前まだこんなとこにおったんか!もうズボン乾いとるぞ。いつまで人のジャージを履いとるんだよ。わし帰られんじゃないか」と清掃員のおじさんが入ってきた。
ちゃんと浸透していってるな、僕のニックネーム。
つづく