初対面の女性に「今晩泊めてくれませんか」と言われた日

 前職の自動車部品工場の営業をしていた頃、私は昼食を職場近くの公園で食べていた。職場の食堂には嫌に重苦しい空気が漂っており刑務所の方がよほど雰囲気がいいのではと思えるほどであった。よくあんなにも食事を不味そうに、そしてギスギスとした雰囲気で毎日食べられるものである。とはいえ、会社で注文する弁当は確かにお世辞にも美味しいとは言えないものだったのでもしかするとあの雰囲気はそれが原因かもしれない。
 
 幸い、職場の近くにはコンビニがあったので私はそこでコーヒーとスニッカーズを買って近くの公園のベンチで食べていた。本当に毎日通っていたのできっとコンビニの店員にはスニッカーズボーイとか裏で呼ばれていたんじゃないかと思う(当時はボーイと呼ばれるに値する見た目をしていたのだ。髪の毛も短かったし髭もなかったし何より若かった)。
 少なくとも一部の店員からは間違いなく覚えられており、そのコンビニへ夜に行くと注文する前に私の吸っている銘柄のタバコがカウンターに準備されていたりもしていた。それにより買う予定がなくても買うことになり、一層私の喫煙量は増えた。そして(これはちょっとした自慢だが)その内の1人の店員さんからはバレンタインにチョコレートも貰った。
 
 私が昼食を取っていたその公園は住宅街と工場地帯のちょうど境目にあり、公園には雑草が茂り公園の利用者といえば私とたまに公園とその周辺をフラフラと彷徨っているおじいさんくらいのものだった。子どもの利用者が居ないのは少子高齢化というよりもその公園の荒れ具合と昨今の子どもの遊び方の変化によるものだろう。
 その日もいつも通りコーヒーとスニッカーズの昼食を取りながらスマートフォンを触っていた。そのせいで人が近づいてきているのに気が付かなかった。
 
「すみません、今晩泊めてくれませんか」
 
 投げかけられた言葉に、というよりも突然人に声を掛けられたという事実に驚いて慌てて顔をあげると60代くらいの女性が立っていた。
 彼女は丸顔で髪の毛は無造作というより無作為というようなショートヘアに、初冬の冷たい風を凌ぐために赤いハンテンを着ていた。一瞬彼女が何を言っているのか理解できず、一瞬の間を置いて私はなんとか「すみません」の一言を絞り出すと、ポケットティッシュを断るときの様に片手で制しながら私は荷物をまとめて早足に(それも少し遠回りをし、ついてきていないことを確認しつつ)会社に戻った。
 休憩が終わって戻ってきた隣の席のお局さんに先ほど起きた顛末について話した。するとお局さんは「まじ!やばー!」とギャルのように笑った。他人事だと思いやがって、と思いはしたが逆の立場であったら私も初手で笑っていただろう。
 
 一昔前に「神待ち」という言葉を耳にした。神待ちとは宿泊先や食事などを家出少女などが男性に対して求めることを意味する。当時はそういった相手を求める”神待ち掲示板”などが乱立し、そこは最終的に援助交際のマッチングの場や美人局の温床となり最近ではめっきり聞かなくなった。
 繁華街などではそういう相手を求める女性もちらほら居たと聞いたことがあるが、私は中途半端な田舎に住んでいることもありそういう文化とは無縁に生きてきた。
 そんな私が突然、”神待ちしている女性”に声を掛けられたのだ。逆ナンといってもいいのかもしれない。初めてのそれがこのような結果となってしまい大変遺憾だ。夢を見させてくれ、とまでは言わないがもう少し折衷案はなかったのか。
 落ち着いてから、それが美人局であるという可能性も疑ったが美人局にしては名前にもある一番必要な要素が欠如しているし、そうでなかったとしても彼女が声を掛けるべきなのは私ではなく自治体である。

 こうした”神待ち”をする女性達の多くは家庭や交友関係に問題を抱えている事が多い。そういう事情があるからこそ家出という現象が起きるのだ。
 今回、私に声を掛けてきた女性はどんな問題を抱えていたのだろう。そもそも彼女は家出という歳ではないのでは、という疑問も浮かぶがそれ以前に「本当に泊めてもらえると思っているのか?」というところが気になった。
 得体のしれない人間を家に泊める人は多くないだろう。若い女性相手であれば一定数下心から泊める人は居るだろうが、この場合に限ってはそういう訳では無い。もし彼女を泊める人が居たとしたらその面を拝んでみたいものである。
 
 それから数日経って、すっかりその女性について忘れてしまった頃、事務所の半数近くが後番の昼休憩に出払っていた所で事務所の扉が開いた。
「すみません。ここで働かせてもらえませんか?」
 事務所のカウンター前に立って開口一番にそう言った女性は、先日私に「泊めてくれ」と言ってきた女性であった。
 映画「千と千尋の神隠し」の千尋のセリフを現実世界で聞くとは思わなかった。現実で聞くその言葉はどこまでも病理的で、映画と違い真に迫る気迫は感じられなかった。無気力な、ため息の様に漏れるようなその声からは哀愁すら漂って来ず、山間に立ち込める霧の様に実態がなかった。
 その女性に気づいた私は静かに席を立つと給湯室へと逃げた。カウンターの方でお局さんと女性がなにやらやり取りしているのが薄っすらと聞こえる。何を言っているのか分からないが恐らく淡々と断りの言葉を並べているのだろうということは伝わってきた。
 少しして扉が開閉する音が聞こえたので私は恐る恐る席へと戻った。
 
 戻るとカウンターには女性の姿はなかった。早々に逃げた私に対し、お局さんが非難的な視線を送る。
「この間、変な人に声かけられたって言ったじゃないですか。あれです。あの人です」
 そう私が言うと「きゃー!」と声を上げてお局さんは笑った。
「多分、あの人外国人だよ」
 お局さんにそう言われて記憶をたどってみるも、驚きと少しの恐怖という感覚は思い出せたが、そういうエッセンスの有無は思い出せなかった。なにより他の情報のパンチ力が強すぎたせいかもしれない。とりあえず彼女は会社周辺で少なくともあれから数夜は夜を越せたようだった。そして彼女はまだ人生を諦めていないということは伝わってきた。

 その日以降、彼女の姿を見ることはなかった。どこかでまた屋根を求めて、さながら遊牧民の様に放浪しているのだろうか。
 モンゴルの遊牧民は地を一滴も流さず家畜を解体することが出来たり、優れた騎馬技術と戦術などを持っていたりと、その文化形態から生まれる特別な能力を有していたりする。彼女にも何かそういったなにか特別な能力をこの生活の中で身につけたりしたのだろうか。それが今後の彼女の生活を立て直す為に有効に働く事を祈る。
 
 私の勤めていた会社のある辺りはブラジル人が多く住んでおり、従業員にもブラジル人にフィリピン人など、様々な人が働いていた。母数が多い分、彼女がお局さんの言う通り外国人であっても何ら驚くことはない。
 
 昨今、様々なところで外国人労働者に対しての厳しい意見などを耳にする。
 実際、私の職場のとあるブラジル人は夜勤を勝手に早退し、朝になりそれによる遅延が発生し大きな問題になった。通訳を通して理由を聞いてみると「彼女と喧嘩した」という理由だった。そしてその翌日、彼はまた夜勤を勝手に早退した。今度の理由は「彼女と仲直りした」というものだった。仲直りをしてどうして早退に繋がるのか。
 しかし、そういう人たちばかりという訳でもなかった。いつも聖母のような穏やかな笑みを浮かべる検査員(それもマリアという名前だった)もいたし、ある男性は日本語は通じなかったが仕事も早く確実で、どれだけ短納期であってもいつも屈託のない笑みを浮かべてサムズアップを返してきた。その度にちゃんと通じているか不安にはなったが翌朝、私が出勤してくる頃には間違いなく仕事を完璧にこなし、いつも同じ笑顔だけ残して帰っていった。どこかSUM41の「ファットリップ」のMVの時のデリック・ウィブリーに似ている男だった。
 
 結局は人によるのだ。
 
 よく移民問題などで治安や雇用問題、社会福祉などへの負担などについて一部の人は声を上げていたりもする。しかし同じ様に日本人のワーホリ貧困などで他国の社会福祉に負担を掛けていたりもするし、治安に関する問題も”治安が元から悪いところに貧困層が流れ着いた”というだけの事が多い。それは移民に問題があるのではなく、その土地やその人個人に問題があるといえる様に思う。
 余談だがここ数年、日本の政治家の殆どは外国人で日本は傀儡となり乗っ取られているという意見を発している人を散見するが、その人達の中での外国人の定義は何なのだろう。もし血筋の元が外国であったとしても帰化していれば何ら問題は無い気もする。そしてそういった人達がソースとして挙げているサイトなどにはフェイクが含まれているものもある。私は学もなければそういった知識もないので誰か”有識者”でお詳しい方がいれば教えていただきたい。
 そんな学のない私の目には移民や外国人といった存在をスケープゴートにして本質的な問題から目を背けているだけのように見えて仕方がない。

 人は何か問題やトラブルに直面した時にはその問題の原因を考える。なぜこうなったかのか、を解明することが出来れば問題解決の糸口になるかもしれないし、同様の問題を回避することに繋がるからだ。
 しかし、そういった問題に目を向けるとそれが自分の力ではどうにもならないものであったり、その原因に自分が含まれているということは多々ある。そんな現実から目を背け、自分を守るために躍起になる人は多い。
 
 もしかすると私に声をかけてきた女性も外国から日本に一攫千金を夢見てやってきたものの、現実は厳しく社会からのそうした目に晒され続けた結果があの言葉だったのかもしれない。
 
 今でもたまにあの女性のことを思い出す。今はちゃんと屋根の下で眠れているのだろうか。もし、今また声を掛けられたとしたらもっと別の対応ができていたのではないか、とその度に思う。
 
 110番通報とか。

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