裁判傍聴 前科一犯器物損壊ハゲ
6月の湿気を帯びた空気が朝一番の風に乗って車の中を抜けていく。
有給を取った月曜日の朝というものは清々しい。全てが自分の味方をしてくれているような気にすらなる。
久しぶりに行く地裁支部の駐車場に着くと今までに無いくらいに車が停まっており何か大きな事件でもあるのかと勇み足になる。
しかしその期待を裏切り裁判所の中は静けさに包まれ、普段と同じくらいに人影がなかった。何かの事務手続きみたいなものが重なったのだろうか。
あるいはここの裁判所はアミューズメントホテルの中の様に人と人とがあまりエンカウントしない様にする特別な仕掛けがあるのかもしれない。
その日のセットリストは2件。内1件は過失運転致傷の判決。まともに見れそうなのは1件だけであった。
開廷まで時間があったので時間を潰してから法定に入ると一組の男女がすでに傍聴席に座っていた。扉を開けた私をまるで妖怪を見るかのような目で見てくる二人に、私はあたかも気づいていないかのような素振りで席につく。無論最前席である。
傍聴人が居ることが少ない支部であることから推測するに恐らくこの二人は事件関係者であろう。
開廷までの15分、法定は恐ろしく静かであった。後方からの視線を強く感じたが私は文庫本を取り出し、たまに時間を確認しながら読書に勤しんだ。
開廷5分前になると被告人がやってきた。グリーンのセットアップに便所サンダルという拘置所コーデである。おそらく拘置所へ誰も服の差し入れに来ていないのだろう。服装自由なはずの拘置所でこの服装という事実から彼の現在の生活と人となりというものの一端を垣間見る事ができる。
とはいえ、結構その服装も様になっていた。悪い意味ではなく、なんだか地元当局に拘束されたジャーナリストの様にも見えなくない。
そして、なによりも彼の出で立ちで私の目を引いたのは頭部である。額が頭頂部まで伸び、後方へと触手を伸ばすように広がっていたのだ。栄養を求めて伸びていく粘菌の様だった。
それでいてサイドや後頭部の髪の毛は健在である。さしずめ、逆マンバンの落ち武者ベリーショートというところだろうか。
男は一切視線を傍聴席へと向ける事なく、一点をずっと見つめておりどこか落ち着き払った様な印象を受けた。私も負けじと熱い視線を幾度となく向けたがこちらにその視線が向けられることはなかった。
罪状は器物損壊。大方、酔っぱらいが店の看板や近隣の民家の何かを傷つけてしまったとかそういうものだろう、と思いながらも初めて見る器物損壊事件に妙な期待感を抱いた。
続いて裁判官の入場である。
この支部での刑事事件は私の”推し”裁判官が担当している。正直な所この裁判官を見るために来たと言っても過言ではない。コツコツと小気味よい靴底の音が聞こえてくるとやはりテンションが上がる。
被告人の男は現在51歳、地元の有名企業を転々とし現在は1年ほど無職であるという。その職歴を聞いて「絶対直雇用じゃないだろ」という感想を抱いたが彼が直雇用だろうとなんだろうと事件には何ら関係ない。ただやはり釈然としない。この期に及んで格好を付けるんじゃあない。
証言台に呼ばれた彼はハキハキとした声で「はい!」と応えると堂々と立ち上がった。
読み上げられる罪状に対し「はい!そう聞いています!」と答える。その言い方に違和感を感じていたら裁判官も同じことを思ったようで、一度人を小馬鹿にする時特有の笑いをこぼした後に「えっと、もう一度最初から聞きます」と質問を繰り返す。
それに対し「刑事さんが言っていたのと同じだと思いました」とこれまた斜め上の回答を繰り返す。どうやら彼としては容疑を全面的に否認している様だ。
これ以上は水掛け論になり話が進まないことを察したのか、裁判官は早々に諦めて話を進めた。
この事件は海にほど近い田舎町で起きた。
現場は畑やら民家なのか倉庫なのかわからない何かやらがぽつぽつと建つ一画にある木造二階建てのアパートの駐車場で、アパートに住む女性の車とその交際相手の車の台に対し3回に渡りティッシュペーパーを瞬間接着剤のようなもので車に接着したり後部ドアに茶色の液体をスプレーしたりするなどしたということだ。
どうやら傍聴席に居た二人は被害者らしい。
なぜティッシュをつけたのだろう、と終始困惑したがその謎は解けなかった。
最初の被害を受け、被害者の友人二人が協力しスマートフォンのカメラなどを使用し監視した所被告人の男性が同様の犯行に及んだ為、撮影データの証拠と併せて被害届を提出して逮捕に至った。
被害者の住む部屋は二人の音楽仲間たちがよく集まっていた様で、事件前には騒音トラブルで口論になり警察が介入したこともあったという。
裁判の中で検察側からは「被告人は詐欺の前科があり・・・」という発言が出ていた。被告人が容疑を否認しているこの裁判に於いてこの言葉は随分と重くなる。
それを聞いて気になったので被告人の名前で検索してみるとあっさりと出てきた。
保険金詐欺で5人逮捕
■■■署と県警交通指導課は■日、交通事故を偽装し保険金をだまし取ったとして、詐欺の疑いで損害保険代理業■■■■■■=別の詐欺罪で起訴済み=を再逮捕、運転代行社従業員■■■■容疑者ら男女四人を逮捕した。
ほかに逮捕されたのは、無職■■■容疑者、飲食店従業員■■■■容疑者、生命保険外交員■■■容疑者。
調べでは、五人は交通事故の保険金をだまし取ろうと共謀し■■■■年■月■日、
■■■■■の市道で、車二台に分乗し故意に車同士を衝突させ交通事故を偽装した。
その後、事故の証明書や医師の診断書、自動車保険金の請求書などを損害保険会社に提出。
同年■月■日から■月■■日にかけ「対物賠償保険金」「車両保険金」「対人賠償保険金」「搭乗者傷害保険金」などの名目で、
合計■■■■■■■■円をだまし取った疑い。
彼の名前は飲食店従業員として記載されていた。この事件はこのアパートに引っ越してくる前、生まれ育った町の近辺で起きていたもので20年前のものであった。
因みにこの事件の主犯の男は別件で結構な事件を起こし、それを共犯者の男がSNSで自ら拡散したことで逮捕されている。
それとは別にもその男は職権を利用した詐欺事件を起こしており、それらからも交友関係の治安と頭の悪さを感じられる。
最初、今回の事件の被告人が関わった詐欺事件に関しては、被告人は身体を張った役回りだったところから下っ端で何か事情があってやらざるを得ない状況に陥っていたという気もしたが、5人は昔からサッカーのつながりで交友関係があったようでその事実と主犯格の男の他の犯罪などを考えると悪ガキのお小遣い稼ぎの延長であった様に思える。
ただサッカーをやっている人間と言えば細身で爽やかなイメージであるが彼はその全ての印象をひっくり返す風体だ。
本人の風体から想像させられるのは冴えない青春を過ごした人間がいい年してガキみたいなことをやってヘラヘラしている構図で、週末には場末のスナックで自分より10以上年下の女の子にコンビニスイーツを差し入れてそうな人間に見える。人間、見た目ではわからないものだ。
その事件から20年。変わったのは彼の髪の毛の量だけではあるまい。
51歳ともなればいい年である。
彼の暮らすアパートを見るとなんだか映画”嫌われ松子の一生”を思い出す。ここに至る経緯はどうであれ、仕事を失い1年も経つと精神的な負担も大きいだろう。周囲とのギャップ、孤独。将来への不安。
木造二階建てのアパートであれば隣人の生活音などは部屋に響くだろう。自分より若く、そして仲間内で楽しそうにしている声を聞かされると過ぎ去り今となってはどれだけ渇望しても手に入らない青春や髪の毛のことをありありと思い出させることだろう。
そういったものから生まれる自己憐憫の気持ちが膨れ上がり、その不快な感情を自己由来のものだと信じたく無いが故に(あるいは無意識に)騒音問題をその感情に紐付け結果がこの事件に繋がったのではないだろうか。
もしくはそもそも純粋に隣家がうるさすぎただけかもしれない。
ただどちらであったとしてもそれに対してのカウンターが相手に対しての物理的な攻撃というのは頂けない。そしてなぜティッシュなのだろう。他になにかあったのではないだろうか。
あるいは彼の中で「ティッシュであることで言い逃れにつながる何かが存在する」というロジックが存在するのかもしれない。私に特殊相対性理論が完全に理解出来ないが間違いなくそれが存在するように、私に理解できない彼なりの理論が存在しても何ら不思議ではない。
ただ、写真や動画などで証拠も集めてあるというこの事件で、法定に立たされた上で堂々とした立ち振舞で断固として容疑を否認できるのがすごい。裁判を通して彼の応答は小学5年生じみた元気さを常に帯びていた。
この態度は本人として「自分はやっていない」というスタンスであるが故のものであろうが。それでもこのふてぶてしさはそう出せるものではない。
学生時代、人は多くの失敗をする。異性へ対してのアプローチだったり、社会に対しての立ち振る舞い方だったり、そういった多くの失敗の中に所謂青春のきらめきのようなものは存在する。
しかしそういった絵に書いた様な青春的構図に対して冷笑的な立場を取ろうとする人間(もれなく私もそのひとりだが)がいる。
そういった人間は自身の魅力値の低さを「別にそんなものにこだわっていないから」という様な顔をして誤魔化す。
そうやって自分の問題点から目をそむけ続けた結果、社会に出て自己評価と社会的な評価のギャップに苦しむことになる。
その行く末がこういったクレーマー気質な事件ではないだろうか。
もっとも、彼はこの罪状を認めていない為ほどんどが私の妄想だ。次回、監視カメラ映像などの証拠開示が行われた上でまた裁判が行われる。それを前にして彼はどんな立ち振舞をするのだろう。
今日、彼はどんな気持ちで拘置所で眠るのだろう。
幸い、次の裁判の日程で有給を取ることが出来た。特に派手な事件ではないし、誰も死んでいない。
しかし妙に惹きつけられるものがあった。
それはきっと私が暮らす世界と近い空気感を感じたからであろう。
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