川にまつわる怪談と初めての心霊体験。そして海外駐在員に聞いた除霊法
数年前、私は夢のマイカーを手に入れた。
もっとも、20代前半の頃に格安で売られていた軽自動車を買って乗っていたことがあるが数ヶ月で突然エンジンが掛からなくなり廃車となっていたのでそれ以来の、実質初めてのちゃんとした車だった。
ちゃんとした車、とはいってもそれなりに年数のいった中古車で、細かい内装の樹脂部品などには日焼けによる劣化がちらほら見て取れた(そしてそれから2度ほど故障して細々とした部品を交換することになった)。しかし、それでも私は十分嬉しかった。分相応といえるものだったし、それになにより私の住む田舎では車がないと買い物だけでなくちょっとした用事ですら中々困る。もうその生活を続けるのが限界であった。
ちょうどその頃、私の中で空前絶後のバス釣りブームが来ていた。世間の流行りから随分遅れてやってきたそのブームは人々が荒らし回った結果である釣禁止の野池や河川を避ける必要性があり、マイナーなポイント探しに奔走する日々となった。
そんなバス釣り漬けの毎日を送っていると当然ながら大きなダムでボートでのバス釣りに憧れたりする。足が出来たこともあり私は友人のKくんとAくん、そしてNくんの4人でボートをレンタルして釣りに行くことにした。
納車された翌週、朝もまだ暗い時間から私と友人たちで2台の車に分乗し山奥にある有名なバス釣りスポットのダムへと向かった。初秋の明朝は風が少し冷たく、その匂いが鼻腔の奥を突くのが心地よい。
一度そのダムでボートに乗った事があるという友人Kくんが先導して案内してくれるという事だったので車の後ろについて気合を入れてアクセルを踏む。しかし貧相な私の愛車は派手な音を鳴らすばかりで中々加速しない。
音の大きさだけはイタリア車ばりだが、それはどちらかと言うと悲鳴にも似た趣が感じられる排気音だった。特にそれが何か効果をもたらす訳では無いとは分かっていながらも内心で愛車を応援しながらアクセルを踏み込んだ。
頑張ってついていこうとしていたものの「途中道分かりづらいから付いてきて」と言っていた友人のプリウスはすぐに見えなくなった。
私の頼りはグーグルナビだけ、という心細い状態で同乗している友人Nくんと談笑して気を紛らわせながら車を走らせた。
無事高速を降りてコンビニエンスストアで休憩がてら高速道路でぶっちぎっていったKくんと合流した後、我々は山道へ入っていった。
道中、助手席に座るNくんが「こんな感じの田舎にあるばあちゃん家でさ・・・」と彼の母方の実家でおきた怪談を語り始めた。
彼の母方の家系は所謂霊感があるらしく、祖母を筆頭に彼とその母、姉、妹はたまに霊的なものを見るという。
そんな彼が家族と祖母の家に泊まって居たりすると親戚ではないおじさんが廊下を歩いていたりするのを見るそうだ。そしてそのおじさんを祖母、母、姉の3人も見たことがあり、その家では「もうそういうもの」として扱われているという。
「それはもうただの迷い込んだ野生のおじさんですよ」
そう私が言うと、彼は私が冗談を言ったと思ったらしく声を上げて笑った。
そんな怪談やら怖い話なんかについて話していると無事レンタルボートのショップへと到着した。結局先導して案内すると言っていたKくんは山道とは思えないスピードでぶっ飛ばし、案内などしてくれなかった。
初めてのボートでのバス釣りは、ボートに乗る瞬間がピークだった。
モーターボートは思いの他遅いし、何より釣れる気がしなかった。普段やっている浅い野池とはわけが違う。もうフィールドが壮大すぎて釣り方がわからないのだ。
浅瀬には10センチ程度の小物は居るが、浅瀬にはボートで近寄る事が出来ないしなによりここまで来てその小物を追いかけ回したくない。
結局、早々に諦めた私とNくんはボートに揺られ昼寝をしたりちょっとした冒険と称してあちこち回ってみたりして遊んでいた。もう1艘のKくんとAくんの方は頑張って釣りし続けたというが魚からの反応は一切なかったらしくボウズだった。そして当然、私達乗っていたボート側もボウズだった。
早々に飽きた我々は昼ごろにはもう「そろそろ帰るか」というテンションになっていた。随分と高くついたがこれで一つ学んだ。初めての釣り、それもボートなどの船を出す場合はガイドをつけるべきだ、と。
そういう理由で我々は帰路に着いた。時間とコストを掛けた割に得られたものが少なすぎたという現実に後ろ髪を引かれたが、これ以上このダムにとどまっていても日焼けするだけである。
20分程来た道を戻ったところでボートを積んだ消防車と救急車の2台とすれ違った。そのダムの水系の一部は遊泳禁止となっており、毎年それを無視した人たちが水難事故などを起こしているので「おいおい、どっかのバカがまーた勝手に泳いで流されたのか」と私とNくんは笑った。
それから我々はまた水辺の怪異や心霊現象などについて話しながら帰宅した。
そして、その日の釣果の貧相さに耐えられなかった私、Kくん、Aくんの三人は帰宅し仮眠をとった後に今度は海へ夜釣りに出かけることにした。Nくんは疲れたから寝るということだった。最早意地である。釣れるまで釣りをやめなければその日がボウズに終わることはない。
夜釣りの方は「ボウズは逃れた」という程度のものだったが一日釣り漬けの一日は非日常感が強く、なんだかんだで楽しかった。釣り場にコンパクトコンロなんかを持っていき、カップラーメンを食べたりコーヒーを入れたりしながらのんびりやるウキ釣りはどこまでも平和である。
釣りをしている最中、Nくんからメッセージが届いた。
「今日のダム、下流で人亡くなってる」
そのメッセージの下には地方テレビ局のニュースサイトのURLが添えられており、そこには川で泳いでいた子供が亡くなった、と書かれていた。
その内容を見て絶句した。私とNくんの二人しか居ない車内ではあったものの、自身の発した心無い発言を恥じた。しかし恥じたとて言った事実は変わらない。
帰宅し、貧相ながらも釣れた数匹の根魚の下処理をし冷蔵庫へねじ込むと私はショットグラスにジム・ビームを注ぐと一気に煽り、二杯目を注いだ。それからぼんやりとNくんから送られてきた事故について様々なニュースサイトを巡って調べたりして、妙に落ち着かない心持ちを落ち着けようとした。
すると、ピン ポーンとドアフォンの音が部屋に響いた。妙に間延びしたその音は今思い返すとドアフォンのボタンを押して、離すという動作をひどくゆっくりとしたが故のものだろうと思う。その音は今でも鮮明に思い出せる。
何も考えずにドアを開けて外をみると誰も居ない。ピンポンダッシュにしては人影は見えないし、なんなんだ。とすこし苛立ちながら部屋に戻り、再びウイスキーを飲み始めたところで気づいた。
その時には夜中の0時を優に超えていたのだ。
そんな時間に人が家を訪ねてくることなどないし、そもそも私の家を訪ねてくるのは高校来の友人くらいだしその友人は22時には寝ている。その瞬間に鳥肌が立った。
そしてその時、玄関ドアに鍵を掛けていないことを思い出し、慌てて立ち上がったところで再びドアフォンが鳴った。
ピン ポーン。ピンポンピンポンピンポンピンポン。
今度は連打である。その時、ドア側の通路に面した部屋の電気は付いており窓からその光が廊下に漏れるため私が部屋に居り、そして起きていることは明白だった。居留守しても仕方がないが出るには些か怖すぎる。
そして、その通路側に面したすりガラスの窓越しに外に居る人の顔などが覗き込んでくるのでは、という恐怖も沸き起こったがそれは杞憂に終わった。
足音を立てないようにゆっくりとドアに近づくと(その頃にはドアフォンの音は鳴り止んでいた)私は静かに鍵をかけた。手のひらででドアノブを抑えて金属音が響かない様にと工夫したが「カチン」という音がいつも以上に響いた気がした。
それからゆっくり、そして静かにドアスコープから外を見た。しかしそこにはやはり人影がない。
外に人が居ない事が分かった事と鍵をかけたというちょっとの安心を得ることが出来た私が、足音を立てない様にゆっくりと部屋に戻ろうとすると今度はドアノブが勢いよくガチャガチャガチャ!と音を立てて動いた。それでも外からは足音などは聞こえない。声なんかもしない。
頭の中を心臓の鼓動が満たしてまともに考えることが出来なかった。
私はそのまま静かに部屋に戻ると窓の鍵が閉まっていることを確認し、3杯4杯目のウイスキーを立て続けに勢いよく飲んでベッドに潜り込んだ。それでも怖くて通路側の部屋の電気はつけっぱなしにした。
翌朝、鈍い頭を抱えながら昨晩のことを思い返す。外に出て確認してみたらドアフォンはもう鳴らなくなっていた。鍵穴やドアにいたずらなどはない。結局すごいピンポンダッシュ技術を持った悪ガキの仕業だったのかもしれないし、なにかスーパーナチュラル的なものが原因だったのかもしれない。
その答えは分からず仕舞いだった。
後日、そのことを話したNくんが言うには「多分連れて来たんじゃない」ということだったが、連れて来るも何も事故現場に行ったわけでもないし、近づいた訳でもない。
強いて言うならば救急車両とすれ違う際に失言をしたということだが、某闇の魔法使いの、名前を言ってはいけないヴォルデモートよろしく口にするだけで居場所が感知されるみたいな呪いでも付与していたのだろうか。そうであったならばいよいよ当たり屋に近い。そこまでされたら流石に私も怒る。
とはいえ、結局私の身に降りかかった怪奇?現象はこれで終わった。それからはなにも起きていない。そして相変わらずドアフォンは鳴らない。
その事故が起きた水系では水難事故が絶えない。
付近には水難事故が多発していることを知らせる看板が数多く設置されており、河川敷ではかつて無料でキャンプやバーベキューが楽しめたというが水難事故が多発したことにより今では閉鎖されている。
どうやら、その水系では人が川の深いところに導かれる原因があったという。事故が多発したスポットは公園になっており、川には珍しく砂浜もあってアクセスがしやすいという。
そこは一見すると水深が膝丈ほどの浅瀬で流れもゆるやかだが、突然深い所が現れる。底が砂であるせいで踏ん張りか効かず中々浅瀬に戻ることが出来なくなり、それによりパニックになり流されてしまうという。
また、浅瀬と深場の間には循環流が発生しており、浅瀬に近づこうとすると流されて中々戻れないという。その流れはプロの消防士でもフィンなしでは岸へ戻ってくることは難しいということだ。
そういった事情から川が「おいでおいで、する」と言う人もいる。これは超自然的なものではないが、そういう風に聞こえる言い回しをすることで人を遠ざけようとするのは今も昔も同じだ。
先日、海外で働いている同級生と飲みに行く機会がありそこで興味深い怪奇現象の話を聞いた。
彼は海外駐在員として働きながら海外旅行をするのが趣味だ。その趣味の旅行をする中で、彼はとあるホテルに泊まった。良く言えば歴史と風情のあるホテルという様な所で、なんだか嫌な雰囲気はしたという。
これまで、その国の様々なホテルで「このホテル自殺者がでてるよ」という話を聞いており、人によってはそこで所謂心霊体験の様なものを受けたという話も聞いたという。
その日泊まったホテルも多分に漏れずそういった話があった。
夜になり、移動と観光で疲れ切った彼がベッドに横になったところで部屋にラップ音が響き始めた。
「やばい、怖い、どうしよう」
彼は布団にくるまり震えながらその状況を打破する方法を考えたという。
「霊的なものは性的なものを避ける」
どこかでそんなことを聞いたことを思い出した彼は新婚でありながらも早々にセックスレスとなっていた妻の眠る布団へと潜り込んだ。
事に及んだ頃にはもうラップ音は止んでいたという。
「やっぱりね、性的なものは効くよ」
半年ぶりに帰国した彼は刺し身をつまみに何杯目かのハイボールで顔を真赤にしながらそう言った。
それから、中学時代バドミントン部に所属しており色白でチャットモンチーが大好きだった彼とは到底結びつかない海外文化の話や宗教の話でその日は大変盛り上がった。
私が歳をとったのと同じだけ彼も歳を取り、変化をしているらしい。
彼はその日、私との待ち合わせの前に高校時代の同級生と飲んだ後、2件の風俗をハシゴしたという。2件目の店では逆バニーの女性が出てきたと笑っていた。
俗物の象徴とも言えるバニーを一層”性的”なモノとして昇華させた逆バニーというコスチュームを選んだのは、もしかすると彼が未だに霊的なものに追い立てられ続けており、ある種の強迫観念的にそれを退けようとする除霊行為の延長なのかもしれない。
彼は今日も心霊現象と戦い続けているのだろうか。さながらエクソシストの様に。
「逆バニーの力が汝を滅ぼす!」
彼がホテルの一室で”聖書”を片手にそう繰り返し唱えながら祈る姿を想像する。案外悪くないのかもしれない。