道路交通法違反 無免許アル中自動車整備士の朝食

 夏の日差しが暴力的に照りつける午後、私は裁判所の法廷前のベンチで読書をしながら開廷の時間を待っていた。
 天気予報では曇のち雨(ところにより雷を伴う)と書かれていたにも関わらず外は地獄の業火を思わせる灼熱の日差しに焼かれ、セミが断末魔のように喚いている。
 セミのその声はメスにアピールするためだと言われている。それを踏まえて彼らを見ると自分に残された僅かな時間を前に早く自分の責務を果たしたいという想いと、もう叫ぶことしか出来ないとでも言うかのようなある種の諦めの様なものを感じる。疲れているときというものはいろんなものをこじつける妙ちきりんで馬鹿らしい妄想が暴走しがちだ。
 セミもそこまで考えてはいないだろう。
 
 開廷10分前になると検察官がやってきた。一度法廷のドアをガチャガチャした後、施錠されていることに気づいたのか諦めて私の横に座った。廊下には彼の「ふぅ、ふぅ」という荒い呼吸音が響いている。それから2分もしない内に解錠される音が聞こえてきた。私が文庫本を閉じる前に彼は素早く立ち上がり法廷へと入っていった。忙しそうである。
 
 罪状は道路交通法違反。
 
 弁護士と共に現れた男性は酷く痩せており、身長は160と少しといったところだ。彼の履くブラウンのスラックスはツータックで、太めのシルエットであるがテーパードが効いている。そのせいか、ウエスト部分と足元が妙に絞られており、なんだかスマートというよりも貧相という印象を受けた。そこに白の半袖シャツにえんじ色のネクタイ。ネクタイの剣先はベルトのバックルよりもずいぶん下に垂れ下がっていたが、それ以前にネクタイが本人と比べて妙に大きく感じられた。まるで父親のネクタイをつけた子供の様だが顔は父親側の顔だ。脳が混乱する騙し絵を見ている気になる。
 それでも顔は映画スパイダーマン(2002)のノーマン・オズボーンに似ていた。神経質そうだが男前の部類である。とはいえ、不健康で疲れ切っているアジア産のそれだ。
 彼のよく手入れされた内羽根ストレートチップの革靴が小気味よく法廷の床を鳴らす。
 
 証言台で彼は、椅子に手をつきもたれるようにして立っており憔悴しきっているのか態度が悪いのか、後ろ姿からは分からない。
 
 男は8ヶ月前に飲酒運転が原因で運転免許取り消しになっていたにも関わらず、夜中まで飲酒した後に朝の六時に朝食を食べるべく某牛丼チェーン店へと車を走らせた。店舗の駐車場で二度車止めを乗り越え、挙げ句フェンスへ衝突。そのままの状態で降車し、入店するも精算機やカウンターに何度も衝突。その上椅子から何度も転げ落ちる有り様だったという。
 店員が駆けつけ話を聞くと「車で来た」というようなことを被告人が口走った為、店員が110番通報することとなった。
 その後、病院に搬送され(フェンスにぶつかる事故から3時間後)時点で呼気アルコール検査で0.92mgが検出されたことで逮捕となった。
 アルコール濃度が0.25mg以上で免許取り消し処分+最低2年間の欠格期間という処分基準からどれほど彼が酔っ払った状態であったかということが推測出来る。
 事件前夜は500mlの缶チューハイを3本、その後に25%の焼酎を”少し”飲んだ後に眠ったという。深夜遅くまで飲んでいたが時間までは覚えていないというが彼の呼気に含まれたアルコールの数値から、ずいぶんと遅くまで、そして相当な量を飲んでいたであろうということが分かる。

 その後の捜査で彼の家や車からはガソリンスタンドのレシートが複数枚見つかっており常習的に車に乗っていたとされている。また、酒気帯び運転やシートベルトの未着用などの前科もあったという。もうどうしようもない有り様だ。

 彼は高校卒業後、会社員として働いた後に中古車販売・整備店を始め現在に至る。結婚し、子供もいるものの現在は一人で暮らしている。今では週に1〜2日休肝日を設けているがそれ以外の時間は常に飲酒していると裁判で語っていた。それ以外の時間というものに仕事の時間も含まれていたのかが気になるところだ。
 少なくとも私の住む町にはアルコール依存症で免許を取り消しになったにも関わらず、車の整備・販売をしている人間が居たらしいということだ。それでいいのか日本。
 
 弁護士から「なぜ無免許なのに車に乗っちゃったのかな?」とまるで子供に問いかけるかのような質問が被告人に投げられた。
「飲酒で判断力が薄かった。常時お酒を飲んでいる様な生活で、孤独もあって・・・」
 被告人がそう答えた所で弁護士は「質問したことにだけ答えてください。もうそこで切ろうか」と止めた。裁判を通して何度も被告人が自分語りを始める度に弁護士が制止する様子が目についた。どうやら弁護士と被告人の間でうまく連携が取れていないようだ。
 被告人は裁判中どこかぼんやりとしており、質問等のない間はうつむいて目を閉じていた。
 また、「朝食という緊急性のないことでなぜ車に乗ってしまった?」という質問に対しては「近隣でその時間に空いている店がそこしかない、ということと味的に好みだったので行きました」と答える場面があった。
 これが52歳の言うことだろうか。唐突な味の評価に耳を疑う。これは彼にとって予期せぬ質問だったが故に出た隙間を埋める為の発言だったのか。
 
 彼の住所から事件現場までは、歩くには遠すぎるくらいの距離があった。そしてその道中にはその時間には営業しているがまだ歩ける距離感の某ハンバーガーチェーンもあれば、同様の距離で別の牛丼チェーン店もある。ただ彼はその店の朝食が食べたかっただけなのだろう。そこに緊急性はない。
 そこまで彼が焦がれた朝食のメニューは何だったのだろう。その内に食べに行きたいものである。
 
 そんな彼も現在は禁酒をしているという。検察から「アルコール依存症ではないか」と言われた事をきっかけに調べてみたところ、当てはまる項目が多く怖くなったために禁酒を始めたと語っていた。とても偉い。
 また、事故当時乗っていた軽自動車は今も手元にあるのか?と聞かれた所「はい、あります」と堂々と答えていた。理由を問われると「今の仕事をする上で車検などで代車が必要になるので」ということであった。
 公私がカフェ・ラテくらいに混ざり合っている。そんな車を代車で渡されたらたまったものではない。そしてこの事故を起こすまで彼は常時お酒を飲んでいた、と語っていたがそんな状態で果たして車の整備などが出来るのだろうか。すべての業者がここまで杜撰ではないとは分かっているがこんな業者が存在するという事実にもう言葉も出ない。
 とはいえ、現在は転職活動をしており勤め先が決まったら現在の販売店は畳むという。大変懸命な判断だ。しかし年齢であったり運転免許などの資格がないことからなかなか見つからないという。
 彼はそれを「狭き門」と表現していた。自分で門を閉じておきながらそれを言うのはなかなか皮肉が効いている。
 
 今後、無免許運転や飲酒運転をやらない、と言っておりそれに対し「そう思った一番の理由はなんですか?」という検察の質問には「子どもと会っていくため、このままじゃいけない」「資格がないから・・・あぁ!あと信頼回復のために!」としどろもどろになったりひどい有り様であった。
 それに対し少し呆れた様子を見せた検察はそこから畳み掛ける。
「もし、人身事故が起きたらどうしますか?」
 それに対し、男性は少し黙り込んでから答えた。
「想像もつきません・・・。保険が、効かないかも。どういう契約になっているかわからないもので・・・」
 首をかしげながら答えるその姿がすべてを物語っている。全く以て見当違いである。これは日常的なアルコールの過剰摂取により脳細胞が死滅してしまったがゆえのものなのか、あるいは彼が生まれながらに持つ個性だろうか。
 そもそも免許を取り消しになった人間が入れる自動車保険というものは存在するのだろうか。
 
 最終的には裁判官から、「病院へ行きなさい」という至極真っ当な事を言われていた。
 孤独が原因だと言うならば心療内科へ、アルコール依存症についても弁護士を頼って医療機関を探してもらうなりしなさい、という言葉に「考えもしませんでした。勉強させてください」と被告人は頷く。自身の不調に対しての改善が思いつかない彼に果たして車の不調を見つけて適切な処置を行う事ができるのだろうか。そして「勉強させてください」とは。発展途上国の学校のない国の少年少女みたいな発言だがこれは日本の52歳の発言である。勝手に勉強しろ。馬鹿。
 
 求刑は1年6ヶ月。身近な監督者も居ないという彼はこの先どうなるのだろう。裁判の終わりには「二度としないとここに誓います」と宣言していた。その言葉は法廷の壁に吸い込まれて消えた。
 前にも似たような飲酒運転を繰り返す男の裁判を見た。彼もなんだかんだで言い訳を付けて車に乗り続けていた。
 きっともう感覚がズレているのだろう。
 
 何をやっても上手く行かない、という人種がいる。どこか仄暗い雰囲気が周囲に漂い、どれだけ明るいところにいてもちびまる子ちゃんの長沢くんのような陰鬱とした気配を帯びている。
 それらは当人の要領の悪さだったり生まれ持った”個性”だったり様々な要素が起因している。しかしその問題や事実に当の本人は気づいていない。ただただガンジス川の流れのように流れていくだけである。そこには意思も何も無い。ただの自然の摂理である。
 そういった生き方はきっと現代社会とは相容れないのだろう。
 
 裁判中明かされた彼の経営する自動車整備工場について調べてみたが一件だけ、それも名前と住所だけが某検索エンジンのマップに乗っていただけだった。私が主に扱うマップでは何の記載もなく、住所で検索しストリートビューで見てみると倉庫のような建屋とその前にフレームが少し割れた洗濯機が置かれていた。看板も何もなく彼の車もない。
 周辺を見てみると数軒先には中古車販売・自動車整備の店舗があった。こちらについてもネットにはあまり情報はなく、唯一見つけた口コミの内容はひどいものであったが件の中古車販売店は被告人が一人で経営しているということなのでまた別のようだ。もしかすると委託という形で関わっているのかもしれないがそこまで調べる熱意は私にはなかった。

 周りには民家が1軒。その他は畑(荒れ地との区別が難しいそれだが)とソーラーパネル、そこに工場が2軒。本当に何もないような土地だ。朝食を外で摂ろうとすると些か困る立地条件ではあるのは確かだ。
 そして、ここに車の整備に持ってくるとしたら相当懇意にしている店だとかそういうことだろう。経営をする上で恐らくネットも駆使しておらず、時代の流れについていけずそれにより歳を重ねる毎に様々なものを失ってきたのだろう。そのなかで彼は何を得て、今何を持っているのだろうか。
 
 缶チューハイの空き缶が流しに転がる家で彼は日々何を思って生きていたのだろう。それを思うと物悲しくもあり、それでいてなるべくしてなったような納得の様な気持ちにもなる。
 
 私は日々、流れるようにして様々な物を浪費している。それにより焦燥感に駆られることもあるが、それでも今のこのぬるま湯から出ることが出来ない。そんな毎日の中で、新しいSNSだったり様々なものが産まれては消えていき、私の知らないものが知らない内に社会に定着していたりする。
 そういったものもどうせ自分にはそんなに関係ないだろう、なんて思いながら毎日を暮らしている。
 そうやって毎日をぼんやりと生きている内に社会に置いていかれ、入る隙がなくなっていくのだろう。
 今回の事件の被告人も、かつては活力のあって真面目な男性だったのかもしれない。少なくとも一度は中古車販売・整備の店を切り盛りしていたのだ。その中で少しずつ”自分には関係ない”と様々なものから目を背け、自分に出来ることだけに集中しすぎた結果、多くのものを失う結果になったのではないだろうか。
 時代についていけず思い通りにならない焦り、そういったものがきっかけとなりアルコールに逃げたのだろうか。家族も出ていき孤独になった時に見える明日は暗く感じただろう。自暴自棄に叫んだ所で誰もその声を聞こうとはしない。そして、いつ明けるともしれない絶望は深い。

 これは私のただの想像(最早妄想というに等しい)だが、なんだか身につまされる思いだ。
 先のことを考えるともうなんだか全部嫌になったりする。私も彼の持つそれとにた時限爆弾を抱えているような気がしてならない。

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