ハッテン場に行った話 新国際劇場篇

 夏休み、大阪への日帰り旅行へと出かけた。ありがたい事に私が師匠と慕う人物からお誘いを受けたのがきっかけだ。
 
 気合を入れて朝の5時に起きると時間を掛けてヒゲを剃り、濃いコーヒーを入れる。コーヒーと共にコストコのチョコクレープを朝食にして逸る気持ちを抑えつつ家を出た。電車に揺られる事30分、待ち合わせの駅へと向かい、師匠と合流すると近況報告などをしながら一路大阪へと向かった。

 その旅行の目的は大阪は西成・新世界周辺の町並みと大阪グルメである。私の大阪体験は遡ること14年前、高校生であった私は親から突然渡された電車のチケットで一人大阪観光に出かけ駅から出た途端にキャッチに捕まり、服屋へと連行されたという当時の私からしたらちょっとした恐怖体験のみである。
 そういう理由で私は大阪の町に負けない様、気合を入れて出来上がったばかりのパープルレンズのサングラスに民族柄のシャツ。アクセサリーも沢山つけて硬めオールバック圧マシマシといったコーデをチョイスした。これならば大阪という土地にも負けないだろう。
 
 師匠の運転する車に揺られる事数時間。私は終始”助手”席でアシストをするでもなくキャッキャとはしゃいでいる内に大阪へと到着した。行きも帰りも長距離の運転をしてくれた師匠のフィジカルにはただただ脱帽である。
 それから駐車場探しに街中をぐるぐる走り回ったりすることなどもなく、人道的な価格帯のコインパーキングを見つける事が出来、町並みを楽しみながら目的地へと歩き出した。

 高速道路を走っている最中は立ち並ぶビル群などに圧倒されたが、コインパーキング付近はなんとも言えない雰囲気が漂っていた。下町ではあるが私の知っている下町感ではない。
 町では見たこともない大きさのカートを引いて古紙を回収する人とすれ違った。道中、古紙リサイクルの会社の前を通ると通りを挟んだ向こうには先程見たカートの置き場のようなものがあった。どうやら皆ここへ運んでいたようだ。周囲には独特のすえた匂いが漂っていた。
 15分ほど歩くと新世界へと到着した。軽くチラ見しながら細部は帰りに擦ることにして本丸西成へと向かう。
 恵美須町城東線の高架下へと入ると穴持たずの方々が小銭の入った箱を前にうなだれており、その横をけたたましいブレーキ音を響かせる自転車が走り抜けていく。まるでブレーキ音が警笛の役割を果たしているようだった。

 民俗学に於いては「橋」とは現世と常世との境としてみられることもあり、橋の下というのも妖怪アズキアライの伝承も橋の下が舞台である。臨死体験をした人間が「きれいな橋を見たと思ったら生き返った」というものもあるように、「橋」とは超自然的なものと密接な関係にある。
 「お前は川から拾われてきたんだ」という伝承は、桃太郎や瓜子姫などの昔話との関連も指摘されており、不吉な日に生まれてきた子供を一度橋の下へと”捨て”再び連れ帰ることでその厄をある種”リセット”する様な風習を持つ文化も存在する。橋とはそういう存在である。

 そして、高架という橋を抜けた先に西成はあった。
 
 西成の商店街周辺の人々の多くは所謂”釣りジャン”と呼ばれるようなベストを着用しており、少し前に若者の間で流行った印象あるそれとはどこか根本的な違いがあった。どこまでも生活に根ざしたスピリットを感じる。
 そして彼らの乗る自転車は総じて絶望的な断末魔を思わせるブレーキ音を響かせていた。大阪では至るところに自転車屋があり、大阪府民の自転車普及率は私の暮らす町よりも圧倒的に高いのだろうと容易に推測できたがその多くはメンテナンスとしてはあまり利用されないようだった。
 
 たどり着いた西成の商店街をひやかしながら回り、昼食後の一服をしていると焼き鳥を片手に独り言をつぶやきながら徘徊する男性が近づいてきた。我々は目を合わせないようにしていたが、私の前で立ち止まると彼は屈託のない笑みを浮かべて話しかけてきた。
 おそらく「かっこいい服着とるな!」「どこからきたんや」「おっちゃんもな、仕事しとんのや」とかそんな感じだった。正直なところほとんど何を言っているのか聞き取れなかったので本当のところは分からない。師匠は基本的にずっと彼から目をそらし続けていた。
 彼とお別れした後、街ブラをして我々は「新世界国際劇場」へと向かった。昭和からタイムスリップしてきたような建物に看板。昨今のSNSなどでよく見るレトロブームでよく取り扱われるそれだ。大きな乳房を強調した女性などがこの看板の前で記念撮影をしている写真を何度か見た覚えがある。みんな大好きなネタだ。

 入口の脇に貼られた上映作品のポスターに釣られ、私は師匠を巻き込み劇場へと足を踏み入れた。チケットを渡し、階段を降りると正に「アンダーグラウンド(地下)」で、どこか埃っぽさのようなものが混じった匂いと冷ややかな空気で汗が引いていった。奥は真っ暗で何も見えない。
 
 ひとまず我々は喫煙所へと向かった。
 
 喫煙所では女装をした4〜50代位の男性が一人、タバコを吸いながら通話をしている。雇用について何やら揉めているらしい。添えつけられたテレビでは台風情報がやっている。もうそんな季節らしい。我々の後からやってきた比較的若い40代後半くらいの男性がぼんやりと台風情報を眺めている。
 喫煙所の壁には「もう あかんかなあ」という落書きがされていた。誰がどんな状況でこれを残したのだろう。人々の人生の積み重ねの片鱗を感じる。出入り口には「置き引き、スリに注意」という注意書きがあった。それがここの治安を物語っていた。

 劇場内は50代半ば〜70代位の人が多くを占めており、我々が入場するまでに入っていった女装らしき人達の殆どはもう暗闇に紛れて確認できなかった。劇場はさほど大きくなく、スクリーンは大きな家のホームシアターくらいの大きさほどだったがあまり映画を観ている様な人は居なかった。
 そして大体の3分の1程の人は劇場の後方で屯し、雑談に耽っている。
 
 それから我々は座席後部に添えつけられたバーにもたれながら映画を見た。
 周りの話し声で台詞はほとんど聞き取れなかったが、小さなスクリーンでは眼鏡を掛けたインテリ風の男が小悪魔風の黒髪ロングの女性に何かを囁かれて苦しそうな表情を浮かべている。それも公園のベンチで、である。どういう状況だろうか。
 少しずつ目が暗闇に慣れてくると奥の方の座席でなにやらモゾモゾと動いている人影が見えた。それにすこしの違和感を感じていると、喫煙所から怒号が聞こえてきた。喧嘩か何かが起きているらしい。「おい!おめぇ!」その言葉の後はもう聞き取れない。怒りという感情だけが伝わってくる。師匠は後に「痴話喧嘩みたいなものだと思った」と語っていた。
 喫煙所から何人かタバコを吸いに行こうとしたらしい人が引き返してくる。
 ひとしきり叫んだら落ち着いたのか、少しすると喫煙所はまた静けさを取り戻した。
 再びスクリーンへと目を向けると今度は頭が禿げ上がった男性が四つん這いになり携帯電話に向かって何かを言おうとしていた。そんな男性の背にボンテージをまとった先程の女性がムチを持って足を組んで座り、これまた男性に何かを囁き、男性は苦しそうな顔をしている。これまたどういう状況なのだろう。断片的に、そして途中から劇場にはいったせいでどんな映画かさっぱり分からない。映画のタイトルは「中川准教授の淫靡な日々」だったが少なくとも私が観ていた間には淫靡さが感じられるシーンはなかった。
 また、我々が惹かれ気になっていた「ペロリン性生活 背徳ルームシェア」は放映時間の兼ね合いで観ることは叶わなかった。これが唯一の心残りである。

 映画を見ていると私の横を通り過ぎる人たちが私の顔を覗き込んできた。なんだか嫌な感じがして目を合わせないようにしていると師匠から「どうする?」という声が掛かったので我々は劇場を後にした。
 階段へと向かう途中で先程喫煙所に居た女装している男性が服をはだけさせてブラジャーの片側を露出させておじさんたちに囲まれてよろしくやっている横を通り過ぎる。もう雇用問題は一区切りしたのだろうか。あるいは一時的な快楽に身を任せて問題から目を背けているのだろうか。
 
 階段を上がり外に出るとすぐに汗がじんわりと滲んでくる。その感覚で”戻ってきた”と実感する。
 外に出てから師匠から「眼の前の椅子でおっぱじまっていた」という事を教えられた。奥の方で”なにか”が起きていたのは察していたが我々の眼の前でも起きていたらしい。灯台下暗しである。その日は少し紫が入った眼鏡を掛けていたこともあり、暗い劇場内が一層暗くなり周りが全然見えなかったことも敗因の一つだ。次行く際にはそういった所も気をつけていきたい。
 
 どこかの地下劇場がハッテン場になっているという事は知っていたがここもハッテン場として使用されているようだ。こういうお出かけには予習というものが必要なんだな、と思い知らされた。民俗学などでフィールドワークを行う際には下調べも必要だが基本的にフラットな視点を保つために初心者などは下調べなしに行くのも手だと聞いていたがその限りではない様だ。
 そして、劇場内に居た人々達にとって我々の来訪が不快なものとなってしまったのであれば申し訳ないと思う。とはいえ、映画目当てで入場する権利も間違いなくある(はず)なのでやっぱりどっこいどっこいか。少なくとも私は「ペロリン性生活 背徳ルームシェア」が観たかったのだから。

 それから我々はご機嫌に記念撮影を終えて劇場を後にした。
 
 戦後直後から1960年代頃までは、男性同性愛者の出会いや発展の場といえば野外の公園やトイレ(事務所)、映画館の暗がりだったという。おそらくここもその名残なのだろう。言ってみればここは由緒正しき(?)ハッテン場というわけである。
 新世界国際劇場について調べてみると全面的にハッテン場として利用されている様であった。また、私が立っていた座席後方のバー周辺は「痴漢OK」というエリアだったらしい。どおりでで顔を覗き込まれた訳だ。幸い痴漢にもスリにも遭うことはなかったが痴漢に遭わなかったのは私の容姿の圧故か、あるいはただただ魅力がなかっただけか。
 なんにせよ、ハッテン場にはハッテン場の”お作法”があるらしい。
 お抹茶となんだか似たものを感じる。ちゃんとしたお茶会ではなかったとしてもやはりお作法は知っているに越したことはない。知った上で手順を減らすのと知らずに一気飲みするのとではわけが違う。
 とはいえ、お抹茶は比較的メジャーな文化である。大体見様見真似でもある程度はどうにかなるし、多くの人がそういった場に足を踏み入れる際には「初めてなんですけどぉ」なんてヘラヘラしていれば教えても貰える。しかしハッテン場はわけが違う。多くの人はその作法を知らないし、彼らもそれを開示しない。そしてここで「初めてなんですけどぉ」と言ったら最後である。
 ハッテンを求めていれば別であるが。
 
 それから我々は、たこ焼きにお好み焼きなど大阪のご飯を満喫してから帰路についた。帰りの道中、終始私の口からは「すごかったなぁ」という感想が漏れ出し続けた。今思い返すと師匠はそんな私の薄っぺらくクドい感想にげんなりしていなかったかと少し反省する。
 
 海外旅行系のブログや動画を投稿している人が「インドに行って人生観が変わった」という言葉をよく用いていたが、大阪は新世界から西成を観光するだけでも十分すぎるくらいに世界が広がるのではないか、と思う。
 少なくとも、私の様な人間一人の人生観など簡単に揺らぐものらしい。
 
 国内であっても私の知らない世界はまだまだ広がっている。

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