噂に扇動される男たち

 眼の前に座る、私の直属の上司という肩書を冠した醜く肥大した醜悪な生き物がお通しのポテトサラダを吸い込み、それをビールで流し込むと続けざまに唐揚げを頬張った。

 彼は夏の健康診断でコレステロール値が芳しくなかったということで、現在ダイエットを頑張っていると語っていた。
 しかし、その日彼はダイエット中にも関わらず唐揚げにビールという組み合わせを幸せそうに接種していた。もしかすると、鶏肉はヘルシーな食べ物だと思っているのかもしれない。それが油で揚げたもも肉だとしても、信じていればいつかそれが本当になるとでも言うかのように彼はテーブルに並ぶ唐揚げを口へと運んだ。
 あるいは”タマシイノダッシュツニセイコウ”することで肉体分のダイエットを図るつもりだったのかもしれない。確かにダイエット(Diet)の中には死(die)が入っているしぴったりだ。ただこんな回りくどい手を使わず一気に進めて欲しいものだ。
 
「そういえばさ、米買い占めした?」

 南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が報道された後の金曜日、不毛極まりないその飲みの席で彼はおもむろに口を開いた。
「普段10キロで買っていてまだストックがあるので特に買い足してないです」
 私がそう答えると彼は「全然お店に置いてないからさ、うちは売ってたら買う様にしてるよ」と自慢げに答えた。米の買い占め騒動の元凶の1人が私の眼の前に居た。よしんば買い占めを行っていたとしてもそれを自慢げに語れる事に驚きである。これも「最近お店に置いてないけど買えた?」くらいの温度感であればまた見え方は変わっていただろう。
 続けて「何か災害対策してる?」と問われたので私は家に「終末持ち出し袋」としてテントにコット、固形燃料に五徳と水にフリーズドライの食品が詰め込まれたリュックは数年前から寝室の隅に置いてあると私が答えるとまるで意外だとでも言うかのような馬鹿みたいな顔をして頷いた。
「大切だよな。うちでも地震が来るから家の玄関にリュックサック準備して地震起きたらそれ持って車で避難所まで行こうと思ってる」
 そう語った顔は滑稽な程に自慢げであった。
 
 私の記憶が正しければ巨大地震発生時に車で避難するというのは推奨されるものではなかったと思うが彼の認識は大きく異なるようだ。これで三児の父というのだから恐ろしい。彼が父としてパチンコの打ち方と効率の良いショットガンマリッジの方法意外に教える事ができるジャンルがあるとしたら安易な情報の波に乗る方法くらいだろう。きっとそうしてこういった文化は継承されていくのだろう。

 その時は酒に酔っていて私の認識が正しいという確固たる自身が無かった為、控えめに車での避難に対しての苦言を呈すると「え!そうなの!?」と目を丸くしていた。
 ネットで情報収集して対策しているという彼の情報源を聞いてみると「ツイッター、いや、今はXか」とはにかんで答えた。ツイッターだとかXだとか呼び名については些細なものだ。そこではない。それよりも災害などの情報を集めるツールがSNSのみだというの事実に戦慄した。
 挙げ句、もう向こう何日かで地震が起きる気でいる。その時発令された巨大地震注意はあくまでも対策の見直しなどを行う事を推し進める為のもので直近で地震が起きることを示唆するものではない。
 ネットで調べた、というのであれば推奨される避難方法や何が正しい情報か、ということもしっかり調べて欲しいものだ。

 米の買い占めについても恥じること無く「やるべきこと」かのように語る様にこの生き物とは相容れないな、とアルコール越しの鈍い思考の中で思った。
 
「俺、ニュースとか全然見ないからさ」
 私の表情から何かを汲み取ったのか、ハニカミ笑いを浮かべて彼は言う。そんな笑みが似合うのは夕暮れに照らされた青春を謳歌する学生カップルくらいだ。アラフォーのおっさんのそれなどお金を払っても見たくないというのに私は残念なことにその日は飲み代というお金を払ってまで見る羽目になっている。これはどういう拷問だろうか。
 そもそもの問題はニュースを見ないということではないのではないか、と思ったがここまで来てその問題に気づかない人間に説いたところで素っ頓狂な解釈と共に醜い面を見せつけられるだけなので私は諦めて唐揚げを頬張りビールを煽った。
 美味しい食事と美味しいお酒というものは人を幸福にするものだが隣に好きではない人間が居るとマイナスにすらなりうるらしい。こんなにも美味しくない食事は十数年前に食べた父方の実家でのおせち以来であった。
 
 情報社会が発達し、SNSなどに蔓延るガセ情報やただただ不安と誤解を招く投稿などが問題視されて久しい現代に於いてもそういった情報を鵜呑みにする人は多い。ニュースを見ない代わりにネットを駆使して時事情報を得る人が増えた一方、ネットから時事情報を仕入れるつもりで偏った報道やほとんど噂のような投稿などをニュースと同等のものと認識して拾い上げる人も増えた。
 そうした人は主体的に情報を得ている気になっているだけに「ちゃんと情報収集をしている」という自己評価へと繋がり、自分はちゃんとしているから大丈夫という認識となる。
 そして、そうした人達の多くが取り入れる情報というものは多くの人の手を経てわかりやすく”加工”されたものが多い。
 そういったものを中心に拾い上げてしまうのは自分の理解から大きくかけ離れた事象を彼らなりに理解しようとした結果だろう。そして、理解する為には彼らなりに物事を簡潔にし、新しくて理解のしやすい物語を作る必要性がある。
 
 
 1969年5月中旬。フランスの都市オルレアンでブティックの試着室に入った若い女性が次々と行方不明になっているという噂が流れた。
 行方不明になった女性は試着室で薬物を注射されトリップしたまま各ブティックをむすんでいる地下通路へと運ばれ、中近東や南米へと売春婦として売られていったという。
 その疑惑の対象として名指しされた店舗は6軒あり、いずれも繁盛している若い女性向けの店であった。
 また、そのうち5軒はユダヤ人が経営していた。
 
 その噂を受けた一部の民衆は暴徒化し、名指しされたブティックが民衆に囲まれるという事態にも発展した。
 しかし同年6月になると「デマは反ユダヤ主義者による陰謀である」という報道がなされ、それから10日程で自体は沈静化に向かった。そして、こうした人身売買の事実は一切なかったという。
 この噂の根底にはユダヤ人という国に属さない民族形態が陰謀論の的にされやすいということと、宗教的な対立や迫害という要素が深く関わっている。
 そうした迫害も時代の煽りを受けて少しずつ形を変えており、現代ではホロコーストに遭ったという事と、昔から続くマイナスなイメージに資産家が多いという事実が妙に絡み合うことで陰謀論だけはずっと続いている。
 こうした陰謀論を流布する層の多くは比較的私と同様に生活に余裕があるとは言い難い人々だったりする。
 そうした人達は富裕層に対し、あるストーリーを立てて飲み込もうとする。そうしたストーリーにはルサンチマンの様な貧困層という弱者から見た富裕層という強者に対しての嫉妬や憎悪が添加される事で「お金持ちということは裏で何かをしているに違いない」という事実とはかけ離れた特性が付与される。実際、裏で何かやっている人も一定数居るがそれが全てではないし、そういう人ばかりが報道で目に付くが故にそれが全てだと勘違いしてしまうだけのことである。
 そもそも貧困層の生きている階層に富裕層が来ることなどない為、目に付く訳が無いのだ。関わり合いがないが故にイメージだけが独り歩きするいい例である。
 
 また、先述したオルレアンの噂と類似したストーリーを持つ都市伝説や噂における行方不明者のその後日談には様々なバリエーションがあり、売春宿や闇奴隷市場、臓器売買などと多岐にわたる。また、その派生として四肢を切り落とされた行方不明者が数年後見世物小屋で「だるま」として展示されているという通称「だるま女」という逸話も存在する。
 そうしたオルレアンの噂を含めた噂の多くは概ね「なにかしらの強大な力」によって人が売り物にされ、取り返しのつかない末路にたどり着くというストーリー展開を持っている。
 先述した「だるま女」はオルレアンの噂を元にされ、日本で流布されたものだが、それと類似した逸話としては「平家物語」や「源平盛衰記」などで述べられている『燈台鬼』がある。
 昔、遣唐使として唐に渡った日本人が行方不明となり、その息子が父の消息を探すために唐へと渡る。そこで彼は灯台鬼を見る。
 これは人間燭台で頭にろうそくをのせる台をしつらえ、体中にはびっしりと入れ墨を施され薬で喉を潰された灯台鬼は彼の父の変わり果てた姿であった、という話だ。
 
 人は大きな力を有した存在に対して、畏怖の念が働く。そしてその感情を飲み込むために物語を作り出す。そこで語られる物語の多くはどこまでも陳腐でこすり尽くされた古典的な形を持っていることが多い様だ。
 噂というものは娯楽的な側面と別に機能的な側面を持つ性質がある。1923年9月1日に起きた関東大震災の際には「朝鮮人による暴動が起きた」「朝鮮人が毒を井戸に入れた」というデマが広がり多くの朝鮮人が虐殺されるという事件が起きた。これは自身やその周囲の人間を守ろうとする正義感から起きた事件であるがその際に事実の確認が行われなかった事によりこの凄惨な事件は起きた。このきっかけとなった噂はオルレアンの噂と同様に潜在的な差別感情が要因の一つとなっているが根本はやはり不確定な情報が伝染していった結果であろうと思われる。そして伝染が起こる理由として自身の身を守るため、という機能性が大きく関わっている。オルレアンの噂やだるま女の系譜に関しても「身を守らないと酷い結末に見舞われる」という」示唆を含んでいる性質が伺える。
 
 今回の地震騒動についてもそうである。ちゃんと報道を見ていればすぐに地震が起きるという訳では無いということはわかる。しかし、その報道に対し「本当に?」「可能性はゼロではないよな」という様な不安が募り、最終的には「地震が来る」というロジックを飛ばした最終地点へとたどり着く。そしてその着地点に対し、自分やその身の回りの人間を守るという大義名分を持ってして暴走が始まる。
 この騒動の極めつけには地震予知の様なサイトなどが生まれていた。

 ちょうど私と上司が飲んでいた店の女将は私と上司の会話に割って入ってきて我々にスマホの画面を見せながら「このサイトだと3日居ないに地震が来るって。これね、千葉の地震も予言したの」と物知り顔で語った。
 どうやらその時店には私の味方は1人も居なかったらしい。
 
 そして結局、地震は起きなかった。
 
 ハレー彗星の大接近にノストラダムスの大予言、果てには2000年問題も深読みや他の事象などが混同し、最終的には世界滅亡という「MMR マガジンミステリー調査班」じみた話へとすぐに移行していたという過去がある。
 それらは概ね今まで何処かで見たようなストーリーをそのまま引用している様なものばかりだ。人工地震という話も阪神・淡路大震災の頃から何も変わっていない。あるいは人類を人類たらしめる思考というものが滅亡しているという事から、これこそが「人類滅亡」という事なのかもしれない。
 
 
 少し前の新型コロナウイルスが蔓延した際に、職場の1人の男が「あんな怪しいワクチンなんて接種して死にたくないっすよ」と騒ぎ出した。
 彼のその言葉を、身長も顔も小さい彼の脳の質量は密度が高く他の人と同じくらいの重量を誇っているのだろうか、それもと見た目相応の量なのだろうか、と全然関係ない事を思いながらぼんやり聞いていたのを覚えている。
 その数カ月後、今度は「ワクチン、打ったほうが良いっすよ」と今度は真反対の意見を掲げて1人で騒いでいた。ワクチンより先に鎮静剤を打つべきだと言おうと思ったがジョークの類だと思われそうだったのでやめた。
 彼に共産主義者の演説とナチスの演説を両耳から半分ずつ聞かせたら映画「武器人間」で最後の方に出てきた共産主義者とナチスの脳みそを半分ずつ頭に詰め込まれた怪物みたいになるのかもしれない。どうなるのかやってみたいものだ。
 彼もご多分に漏れず「ツイッターでみんな言ってますよ!」と自信満々に語っていた。みんなとは。
 
 最近ではワクチンや地震に関して、様々な陰謀論が飛び交っている。
 これも先述したオルレアンの噂と同じで傍目にはとんでもない陰謀論にしか映らないが信じている人々にとってはそれは真実だ。
 しかし、そういった人たちを馬鹿だと一蹴するのは簡単だが陰謀論は全てが馬鹿な夢物語という訳では無い。
 実際、オウム真理教が国家転覆を計画しているというのも一部の人間が勝手に騒いでいる陰謀論だと言われていたが地下鉄サリン事件などの事件を起こしているし、北朝鮮による日本人拉致もそうだ。こういう事象については調べれば調べるほどに出てくる。
 そういった実際に起きた事件が彼らの陰謀論を加速させていく。そして何より彼らの語る陰謀論の中には”本当”の陰謀も隠されているのかもしれない。
 それはもう情報弱者の私には分からない。
 
 とはいえ、オルレアンの噂に始まり現代に至るまで、ホモサピエンスは噂に振り回されているという事実だけは間違いなく存在する。それはきっと自己防衛と善意、そして周囲よりも自分は情報を持っているというある種のマウントが行き過ぎた結果だろう。
 そうして人は現代でも憎しみ合い異なる文化を嘲笑し合う。きっとホモサピエンスとはそういう生き物なのだろう。

 きっと私の上司は私に対し、何に対しても冷笑的なニヒリスト(冷笑とニヒリストという言葉を知っていたとしたら)と思っているだろう。そして私は上司に対して愚鈍な肉だるまだと思っている。
 その2つの意見は相容れることはないが、会社という小社会の中ではなんとか共存している。そして今月にもこの上司との飲みの席は予定されている。
 どこまでも不毛な世界だ。
 
 次の飲みの席でどこまでぶっこんでやろうか、と思っている。楽しみのない場所では新しい楽しみを探す他ない。その会合が”楽しい”ものになるように私は切に祈っている。
 願わくば私が支払うコストと等価の”おもしろ”が得られますように。

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