僕が思う今のおかしな学校教育
どうも木の月です
今回は僕の納得いかないことについて
一度はどこかで必ずこんな言葉を聞いたことはないだろうか
「みんな 違って みんな良い」
僕が中学校1年の時の話
僕は今と違って人前で少しやんちゃなことをするのが好きだった
それは社会的にあまりよくないことだ
当時の僕のクラスは真面目な人が多かった
ほんのちょっと悪いことをしただけで他のクラスの10倍は怒られる
ある日、僕は授業の始まりのチャイムが鳴ったと同時に教室に駆け込んだ
実際、授業には遅れなかった
その時、隣のクラスも同じことが起きていた
隣のクラスの何名かと僕と同じクラスの友達が怒られた
隣のクラスは駆け込んだ時にぶつかって怪我をした人がいたらしい
しかし、隣のクラスはあまり怒られず授業に戻っていた
僕と同じクラスの友達は1時間30分くらい廊下立たされた
僕は誰も怪我させてないのにこんなことをされなければいいのだろう
その時世の中は理不尽ということを知った
そしてその日、反省文をかかさの月です
今回は僕の納得いかないことについて
多様性
一度はどこかで必ずこんな言葉を聞いたことはないだろうか
「みんな 違って みんな良い」
僕が中学校1年の時の話
僕は今と違って人前で少しやんちゃなことをするのが好きだった
それは社会的にあまりよくないことだ
当時の僕のクラスは真面目な人が多かった
ほんのちょっと悪いことをしただけで他のクラスの10倍は怒られる
ある日、僕は授業の始まりのチャイムが鳴ったと同時に教室に駆け込んだ
実際、授業には遅れなかった
その時、隣のクラスも同じことが起きていた
隣のクラスの何名かと僕と同じクラスの友達が怒られた
隣のクラスは駆け込んだ時にぶつかって怪我をした人がいたらしい
しかし、隣のクラスはあまり怒られず授業に戻っていた
僕と同じクラスの友達は1時間30分くらい廊下立たされた
僕は誰も怪我させてないのにこんなことをされなければいいのだろう
その時世の中は理不尽ということを知った
そしてその日、反省文を書かされた
僕はもちろんおかしいと思ったので先生のだめだったところ
を反省文で指摘した(自分の悪いところも書いた)
そして、僕の友人は素直にめちゃくちゃきれいな字で反省文を
書いてきた
そして、放送室という人目の付かないところで最後の説教が行われた
僕の友人は怒れず成長したこと褒められていた
先に友人だけ返され
僕と先生との1on1になった
反抗的な反省文を書いた僕には怒鳴られた
昔の僕はビビりだったため反抗出来なくなかった
その当時の僕を怒鳴った糞教師は自分の正しいと思う考えを
生徒に強要し生徒がそれと違うことを言ったら叱る
そして、生徒を自分が正しいと思う型にはめ込む
そして、自分の思いどうりの学級を作ろうとする
多様性を無視したクズ人間だった
今、全国でいじめはたくさん起きている
いじめは自分より立場の弱い人間や自分と違う考えを持つ人間を
攻撃している
だからと言ってみんな同じ人間になればいいという考えも違う
世の中は違う立場や考え方があるから新たな発明が生まれ
生活は豊かになっていく
教育者は違う人間同士認め合えるように教育しなければならないと
僕は思う
これから教育者になる人へ
自分の理想に育てるのではなく子供にとっての理想を大事にしてください
他人を認めるのことができれば必ずいいことが起きるでしょう
木の月