ただの風邪と誰が言ったの
あっという間の家庭内感染
もう1ヶ月前になりますが、
文字通り、家族4人で初めてコロナに感染しました。
※
まず最初にお伝えしておきたいのは、
我が家は4人ともワクチンは2回まで接種組です。
それ以降なぜ打たなかったのかというと、
私が2回目の接種で副作用がひどくて、
2日間あまり記憶がないくらい寝込んでしまい
「予防の域を超えてるってば!」と思ったからです。
今回のことの始まりは、高校生の息子が学校で発熱して帰宅したこと。
仲のよい友達がコロナ陽性で欠席とのことで
もう絶対じゃん!!とかかりつけのお医者さんに連れて行き
もれなく陽性をいただいてきました。
その時点で微かな望みをかけて隔離してみたものの時すでに遅し。
翌日には娘も私たち夫婦もあっという間に発熱しました。
丸3日間、全員床板と化す
とにかく関節痛と倦怠感。この2つがかなりキツかったです。
その間、熱は38℃くらいをほぼほぼキープ。
解熱剤(カロナール)を服用中は熱は下がるけれど
関節痛と倦怠感は常に一定で、寝るにも寝れず
漬物石を乗せられたままバタバタしている感じ。
それが丸々3日間続くわけです。
消え入りそうな声で「誰がただの風邪って言ったのよ!!」と
愚痴を言ったところで全員そんな状態だから
家の中は完全な地獄絵図と化しました。
あたたかい差し入れ
そんな呻き声しか聞こえない我が家にやさしい「ピンポーン」が。
もちろん声を振り絞って置き配プリーズしました。
ひとつめ!
東京の両親からフルーツたくさん!
ふたつめ!
お友達家族から沖縄そば!
家にあった菓子パンやヨーグルトを細々食べていたので
ぬくもり溢れる一杯が心身に染み渡りました。
4日目の朝に突然の軽快
今日もまた同じ繰り返しなのかと
半ば諦めのなか目覚めた4日目。
突然熱が平熱に下がり、「え!動けるじゃん!!」と。
やっと明るい兆しが見えてきた!!
溜まりに溜まった洗濯を回し、掃除機をかけ、
ダイニングに座って「さぁご飯だ!!」と
いちごヨーグルトをひと口。
あれ?味がしない。。
まさかと思い、大好きな納豆を匂うも
え!!無臭だ。。
まさかのこれが後遺症というやつなのか。
そして午後、なんとなくうっすら匂いと味がする気がしてきた。
まだ30%くらいだけれどなんとなく。
でも昨日までの漬物石生活よりは数百倍快方に向かっております!
誰も重症化しないで本当によかった…。
床に伏している間に考えた、コロナのこと。
基本的にほぼ床に突っ伏していた3日間でしたが
ちょっと不安になるとやっぱり頼るはインターネット検索で。
朦朧としながらもちょいちょいキーワード検索するわけですが
こうしたらよかったよ!こんな症状が出たら注意して!という
ヒント以上に出てきたのが、
ワクチン論争、マスク論争、モラルの是非論争…。
コロナが巻き起こした一番の弊害って
人間の心底にあるいやらしさみたいなものを
露呈させたことなんじゃないの?と思うくらい。
ワクチンもマスクも人それぞれ良かれと思って選択したことであって
誰かを貶めよう苦しめようと悪意を持っている人はいないと思うんです。
ゆえに自分と意見の違う人を罵倒するのって
やっぱり違うかな、と思います。
我が家の場合、今回は高校1年生の息子の
学校イベント(飲食を伴う)が感染の発端だったと思っています。
けれど、だからと言って「そりゃまだまずいでしょ!」と
反対したかというと逆で、「楽しんできて!」と送り出しました。
何せ中学生活のほぼ半分をリモートで終えた世代。
こうしてやっと意志が尊重された今、反対する理由はありませんでした。
ちなみに普段は本人の意思でマスクをずっとしている人です。
結果的に息子を含め体調不良者が増えたのは事実のようで、
そしておそらくその家族もまた同様だと思いますが、
我が家の漬物石生活3日間、かなりきつかったけれど
「家で寝てたら回復した」という意味では
これが5類への移行という意味なんだと思います。
これからのコロナ、それぞれのコロナ
今回経験して感じたことは、
子どもがいる家庭は今後感染リスクが上がるだろうな、ということ。
コロナ禍に巻き込まれてからのこの数年間、
育ち盛りの子どもたちがどれだけの楽しみを我慢してきたか。
もちろんマスクをし続けて何事も自粛し続けていれば
「第○波」はもしかしたらないかもしれないけれど
友達と歌も歌いたいだろうし、走ったり踊ったりもしたいだろうし
大きな声で声援だってしたいと思うわけです。
どんなに親が感染対策を頑張っても
その覚悟はある程度しておいたほうがよさそうかな、と思いました。
我が家の場合は、自営業で店を経営しているので
お店を臨時休業しなければならず
もちろんその間の収入もなくなるし、
何の補償もないので正直なところ大打撃です。
そこをどう考えるか。
「もーっ!なんでよ!!」って言いたいけれど
自分たちで送り出したことなので、仕方ないです。
「もの(収入)より想い出」(懐かしい)
まだまだ無責任な発言はできない状況ではありますが、
今一番大切なことって「個人の判断を尊重すること」
なんじゃないかなって思います。
一人ひとりが置かれた状況(家族構成や仕事、環境など)によって、
「それって必要?」
「こっちのほうがいいんじゃない?」という取捨選択が
個人個人で大きく変わってくるんじゃないかと思います。
ありがたいことに、ここ数年のコロナ禍のデータや見聞で
自分が何を選択したらいいのかは、
ある程度は整ってきているのではないかとも思います。
その選択はもしかしたら他人と180度違うかもしれない。
けれど、それを責めないこと。
その人個人のバックボーンまで含めて理解しなければいけないですよね。
今後はできるだけ最小限の痛みを伴いながら少しずつ日常に戻り、
またなんでもない日常を取り戻せたらいいな、と願うばかりです。