心の扉をほんの少し開けておこう
「実は、内向的な人間です」ナム・インスク著 カン・パンファ訳
この上の画像に書かれている「こんなあなたへ」に全部当てはまるので、それに惹かれてこの本を読んでみることにしました。
こちらでは何度もHSPとかなんとかうるさく書いていますが、それをご存じなくわたしに実際に会われた方は、わたしが内向型であることや、HSP(たぶん)だということはおそらく初見ではおわかりにならないと思います。なぜならわたしも、この著者の言う「社会性スイッチ」を押せるオトナだからです。えっへん。<人とのコミュニケーションにおいて、外向性は性格を表現するものというよりも、相手への礼儀と配慮だと言える。>(以下、<>内引用)この外向性というのは社会性と言い換えることができます。内向型だから、人見知りだからとそこにしがみつきすぎるのは、場をしらけさせることにつながる。それは大人の態度ではないと思うのです。ある程度は、自分のできる範囲で、時間限定でもいいから、「社会性スイッチ」は自在に操りたい。外向型の人から見ればやってないに等しくても。<内向性を正すべきものや劣ったものとして見るより、「社会性スイッチを押すこと=大人のたしなみ」ぐらいに捉えることが望ましいだろう。>
人と会ったあとはとても疲れる、という文章に続いて、<この文章が私の知人の目に触れることがあるなら、連絡を避けられる前にこう伝えておきたい。それほどのリスクを侵すだけの価値があるから、あなたに会っているのだと。>これもほんとにそう。たしかに疲れはするけれど、それ以上に自分が会うと決めて会う人との時間は、なにごとにも代えがたい宝物。それでも充電が切れたことを察知したら、わたしはもう近年では話の途中でもなるべくそこを去るようにしています。仏頂面や気もそぞろになってしまってまでそこに留まることのほうが失礼だと思うので。
<空しさが募り、気心の知れた親友に電話してひとしきりおしゃべりをした。やっと胸の隙間が埋まったような気がして電話を切った私は、携帯画面に浮かぶ親友の名前を見てハッとした。思えばその親友に出会ったのも、そういった気まずい席でのことだったのだ。>これもあるあるですね。知らない人が多い場で疲れ、そのあと数少ない友だちと呼べる人と話すことによってホッとする。だけど、よく考えると、そう、その友だちと会ったのも、やっぱり最初はひとりぼっちで気まずい場所でした。気まずいからとそういう場を避けてばかりでは出会えませんでした。あの日思いきって行動にうつしたからこそ、今では友だちと言える人がそこにいる。著者は言います。だから内向型であっても、心の扉をいつでもほんの少し開けておこう、と。