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気がつくとあまり人を見ないようにしている


いろいろと考えてしまうのがいやで、外ではあえて人を「見ないように」したりもしています。ひとりで歩くときもそうだし、誰かと一緒にいるときはなるべく一緒にいる人以外は見ないようにしています。


このことを書くにあたって、じゃあ自分は人を見るとどうなるんだろうと意識してみると、「観察そして推察」してしまっていました。たとえばスーパーのレジの店員さんを見るときは、新人さんなのか手馴れているのか、年齢はいくつぐらいか、口調や品物の扱いはどんなふうか、そこから察するに機嫌がいいのかこの仕事は単なるルーティーンなのか、などを観察して推察してしまうし、すれ違う人を見るときは、年齢、ヘアスタイル、メイク、アクセサリー、何を着て何を履いているか、それらを着なれているか、などを観察し、推察してしまう。


よく「口調で機嫌がわかる」イエスかノーか、みたいな質問事項があったりしますが、これについては、口調で機嫌がわからないなんてことがあるのか、みんな多かれ少なかれ口調でその人の機嫌はわかるものだろうし、「わかる」と言っても本人にたずねてみないことにはそれが正解かどうかなんて本当のところわからないのにそれを「わかる」なんて言ってしまっていいものなのか、口調はぶっきらぼうでも怒ってないときがあるかもしれないし、「わかる」ではなくあくまでそれも推察の域を出ないのではないか、と思っています。


話を戻すと、人、特に顔には、たくさんの情報が詰まっているから、顔を含めてその人を見てしまうと、わたしはその分自分が見れなくなる。自分が考えていること、考えたいことが、その情報量に押されてふうっとどこかに行き、人から推察したことをしばらく考えてしまいます。


「自分の考えたいこと」といっても、あのドラマに出てた役者さんの名前はなんだったかなとか、あのサクラ、キレイだなー、サクラといえば安藤さくら、ドラマ「まんぷく」に出てたなー、主題歌ドリカムだったなーとかそんなどうでもいいことをとりとめなく、ではあります。でもそれこそが自分の考えたいことで、それを考えてマイワールドにいることがわたしには心地いい。


それをさえぎられたり、先ほどのような考えたいことが考えられなくなったりするのは、自分にとってあまり快いことではないのです。つまりわたしは自分が考えたいことを考えていたいし、誰かと一緒のときならその人に集中したい。その人との時間や話題に集中したい。そのために外ではわたしは人を視界には入れても、あまり「見ないように」しているんだと思います。



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