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「えんとつ町のプペル 光る絵本展」
やっと「えんとつ町のプペル 光る絵本展」見てきました。めっちゃ空いてました。心配になるくらいでした。
見れなかったときのゴタクはこちらの記事にしています。
「自由であるための自己責任かなあ。」
https://note.mu/kinoshitafumi/n/n675e0ab1cdf3
美術館や博物館など何かの展示を見に行くのは、それが見てみたいからだったり、カッコよくイキって言うと“感性を刺激しにいく”意味もあるんですが、それらよりもっと大きい理由は「展示物を見て自分が何を感じるかを感じたい」です。心をがくがくと揺さぶられるのか、自分にも作れそうだと思ってしまうのか、好みなのか、全然わからないのか、色使いが好きなのか、何も残らないのか、とにかく、自分はそれを見て何を感じるのかが知りたい。
前は「芸術なんてわからん。絵とか見てもわからん」とか思ってましたが、「それを見て自分が何を感じるのかを知りたい」と思うようになってからはそういうものには決まった見方はなく、なんの知識や造詣がなくても、なんか好きだなあ、なんかいいなあ、と思えればよくね?という結論にいたっています。その「なんか」が積み重なると自分の好き嫌いもわかってくるし、「なんか好き、って思ってたら全部同じ作者だった。じゃあこの作者さんだけの展覧会に行ってみるか」とか「バックボーンを調べてみるか」と発展していくこともある。予備知識から入っていくのはニガテで、家電の取説は実際に動かしてみて不具合があったら初めて読む派の人には、この鑑賞の仕方は向いていると思います。
プペル展の話。最初に西野さんの前書きを読んで、グッときました。空気を読めとか同調圧力に逆らう人は叩かれてつらいだろう、でもそれはその人の負うべき責任、なぜならそれを強制してくる人たちをおびやかす存在だから、というところに。
光る絵本展には本文は添えられてなかったので、本文を読んだことがないわたしは絵を見ながら勝手にストーリーを組み立てて見ていきました。これから見る人は一回くらいは呼んでいったほうがいいと思う。
光る絵の展示のほか、モノクロで描かれたこまっかい絵も展示されてました。わたしはどっちかというとこっちのほうが好き。
プペル展を見て初めて知ったのは、鼻をこすっている小僧ではなくゴミでできた方がプペルだったこと。ひそかに「ええっ」ってなりました。
西野さんのやることや書くことはここ数年で好きになりました。「はねとび」の頃は、集団コントでも漫才でもおもしろくないと思ってたけど。最近はテレビでキングコングの漫才を見る機会がないのでなんとも言えないんですが、炎上し始めてから漫才が面白くなったと感じたのはわたしだけ?お笑いを上から目線で語るのが趣味のひとつなので、えらそうですんません。
見に行って改めて思ったのは「見ないで(経験しないで)決めつけたくないなあ」ということ。どーせ〇〇でしょ、とかすぐ思っちゃうんで、わたし。同じ言うなら見てから(経験してから)言いたい。プペル展は正直なところ「絵が細かい!!!」とだけ思いました。みんなで一緒に~、みたいなことがあまり好きじゃないので、これに群がる人たちが見えると引いてしまう。それでも見ないでいるより「お?」とちょっとでも思ったら足を運んだほうがいい。好きかそうじゃないかを感じる体験をしたくて生まれてきたとも言えるんだから。