自分軸と自己中のちがい
「自分軸と自己中の違い」というのも、ときどき考えることのひとつです。
結論から言うとその違いは、「他人のせいにするかしないか」。自分の中では今、その結論に落ち着いています。自分軸と自己中、どちらも自分の考えや意見を貫くのは同じですが、それによって生じるもの、主にデメリットの責任を他人のせいにするのが自己中、しないのが自分軸、と考えるとナットクできるのです。
これについてもけっこう長い間、考えたんですよね。自分の意見を持ってそれを貫くのが大事、なんてよく言われるけれど、それって自己中、自分勝手、わがままなんじゃないか?自分軸と自己中はおそらく違うんだろうけどその差がわからない。
自分ではけっこう相手や状況に合わせているつもりなんですが、わたしはコドモの頃から「マイペース」と言われることがありました。自覚があるのは、自分がイヤなことは本当にイヤで絶対やらない、ということ。そういうときは「勝手」「わがまま」と表現されることもありました。(厳密に言うと「マイペース」と「自分軸」は少し違いますが、今回は似たニュアンスと解釈してください)そういうこともあり、その差が気になり続けていたのです。
自分軸と自己中の違いであると考える「他人のせいにするかしないか」は、たとえるならAさんとBさんが待ち合わせをしたというシチュエーションで、Aさんが時間に遅れてきて、Bさんがもうすでに待っていなかったとすると、「なんで待っててくれなかったんだ」と相手を責めるのが自己中、Bさんが待っていないのはもちろん、そのせいで怒っていたとしても嫌われたとしてもそれはBさんの自由だししょうがないよね、ととらえるのが自分軸、という感じです。それによって生じるデメリットも含め、それでもいいと思えるかどうか。
約束した時間に遅れてくるAさんもどうかとは思いますが、Bさんとしても「Aさんのせいで予定が狂った」とAさんのせいにしないほうがいいんじゃないかと思うのです。予定が狂うのが不愉快ならBさんひとりで予定を遂行すればいいのです。二人で予約していたことであっても。Aさんが遅刻の常習犯ならそのつもりで予定を組めばいいし、「5分遅れたら置いていく」とあらかじめ言っておくという手もある。なんならAさんと約束すること自体がまちがっているとも言えます。そこでヘンに待ってしまうのは、優しさというより嫌われたくない、冷たいと思われたくない、というような保身です。もしそれが本当に優しさであるなら、決してその人を責めたり恨んだりはしないでしょうから。