故郷の話
友人とルームシェアをしている。ファミリー向けの物件で、私にとってはこの場所が「はじめて借りたあの部屋」だ。友人と一緒にゲームできるし、居心地もけっこういいし、隣人にも困っていない。気に入っている。
駅まで歩いて10分くらい。それより近いところに、スーパーとコンビニがある。ちょっと離れるけど、歩いていける距離に百均もある。暮らしはじめて立地のよさが身にしみてわかった。めちゃくちゃ便利じゃん。
年末年始は故郷に帰る。最初に帰ったときは「3日で泣いて帰ってくると思ってた」と言われた。次に帰ったときは「3ヶ月で泣いて帰ってくると思ってた」と言われた。そろそろ3年になるが、実家に戻るつもりは今のところない。
私の実家は東京にある。
ルームシェアをはじめるまではずっと東京に住んでいて、通っていた学校もぜんぶ都内にある。だから東京が私の故郷になるのだけれど、「故郷」と言われて東京を思い浮かべる人ってあんまりいないんじゃないだろうか。
そもそも、「東京」と「故郷」というふたつの言葉は、なんだか対義語みたいに語られることが多いように思う。もしくは、「田舎」と「故郷」が同義語みたいな扱いを受けていたり。「田舎のおっかさんが泣いてるぞ」とか。都会のおっかさんだって泣きたいことくらいあるだろうに。
お手本作品のエッセイは、二作品とも「東京」という言葉がタイトルに入っている。タイトルを見ただけでなんとなくわかる。「ああ、東京じゃない場所から、東京に出てきた人の話だな」と。なぜなら東京はそういう場所だからだ。
でも、「故郷」の対義語は「異郷」だ。「東京」じゃない。
不動産屋さんに行ったとき、応対してくれたのは店長らしき陽気なおじさんと、新人らしき若い女の子だった。スーパーが徒歩5分圏内にある今の部屋は、陽気なおじさんがおすすめしてくれた。ありがとうおじさん。
女の子のほうはまあ真面目そうで、でも、なんというか、思ったことをそのまま口に出しちゃうタイプらしかった。書類に書かれた友人の勤め先を見て、彼女は言った。「でもあそこ潰れますよね」。
そのときは、うわそんなこと言っちゃう?とか、彼女あとで怒られるんだろうなあ、ぐらいにしか思わなかった。あと、友人の職場は支店がひとつなくなるだけで、別に経営元が潰れるわけではない。説明する義理もないので黙ってたけど。
で、内見に行くことになり、ついてきてくれたのは女の子ひとりだった。ちょっと不安になった。車に乗せてもらってしばらく走って、彼女は口火を切った。
「どちらから越してこられるんですか?」
友人は地元の地名を言った。それについて2、3、言葉を交わして、それから「あなたは?」みたいな視線。
「東京から……」
すると彼女は目を輝かせてこう言った。いや、目を輝かせてというのは私のコンプレックスから来る偏見だ。たぶん彼女は、ごく普通の相槌のつもりでこう言った。そうだと信じている。
「それじゃ、このあたり、なんにもないでしょう!」
一番言われたくなかったことを、一言一句そのままに彼女は言った。
これを言われてしまうと、実際どう思っているかに関わらず「そんなことないですよ」以外に返す言葉がない。たとえ本当だとしても「そうですねえ。私の住んでいたところのほうが、緑も水も豊かでいいところでしたよ」とは言いづらい。というか、言えない。
だから「そんなことないですよ」と返した私に、彼女は続けてこう言った。
「じゃ、路面電車なんて見たこともないんじゃないですか?」
カチンときた。
その街は路面電車が走っていて、景観のひとつにもなっていた。私もここへ来て、路面電車いいなあと思っていた。だから素直に「路面電車いいでしょう。ここはいいところですよ」と言えば私も乗ったのに、なんでそういう言い方をするんだろう。
こんなこと言いたくないけど、私を「東京の人が見たこともないものが地元にある!だから私の故郷はすごい!」って思いたいためのダシにしないでほしい。もし違うなら、ちゃんと「路面電車いいでしょう」って言ってほしい。そしたら私もひねくれないで褒めるから。
私、「東京の人」じゃなくて「私」だし。
「いえ。祖父母の家が京都にあるので。路面電車はよく乗ります」
事実だった。京都市内にある祖父母の家から、嵐電に乗って嵐山にお土産を買いに行く。余談だけど、ずっと気になってた嵐山の猫カフェにこないだついに行ってきた。めちゃくちゃ良かった。また行きたい。
で、彼女はこう言った。
「え!京都にも路面電車あるんですか」
もうなんか、話しても無駄だな、と思ってしまった。せっかく路面電車があって、この街に親近感を覚えていたのに。部屋はよかった。3年住んで、まだしばらく引っ越す予定はない。
単に彼女との相性が悪かったんだというのは理解できる。悪気なく思ったことを口にしてしまう彼女と、東京から来たことをコンプレックスに感じている私。人と人との相性が悪かった。でも。
東京が故郷の人もいる。私は年末年始、新幹線に乗って東京に帰る。木々の茂る自然公園を抜けて、水の豊かな川を渡って、地元の大きなお寺に寄って、参道にある団子屋さんでお茶をする。年が明けたらまた新幹線に乗って、路面電車のあるこの街に戻ってくる。
「東京から来ました」と言ったとき、何人にそういう暮らしを想像してもらえるだろうか。
たぶん、「東京」という言葉はもう地名ではなくなっていて、もっとごみごみしていて、人がたくさんいて、なんでもあるけどなんにもない、そういう空っぽの場所を指す漠然とした言葉になってしまっているんだ。
じゃあ、私の故郷はどこにあるんだろう。たまに寂しい気持ちになる。