線をわきまえる
わきまえることは良いことである。わきまえることは線を引くこと。線の外には出ない。線の中だけ頑張る。
線の外には分からないことだらけ。分かったふりをしても意味がない。線の外でまで仲間を求める必要などない。
線の中にこそ自分の仕事が待っている。
線の中に居続ける限り、人と諍いは起きない。線の中を頑張り続ける限り、線の外の人からも評価される。
もちろん愛想はなくなるだろう。線の外にいる人に気を遣わないのだから。線の外の人とは距離を開けるのだから。表面上はギスギスする。
しかし考えてみろ。表面上なめらかでも実質空虚なのが今までだ。
その場限りで線の外へ共感を示し、共闘意識を持った所で、線の外には行けないのだ。
線は超えられないから線なのであり、線は越える必要などないから線なのだ。
逆に言えば、線によって個性が分かれているのだから、線をまたぐことは個性を殺す行為なのだ。
個性を殺す人間を、個性を大切にする人間は利用こそすれ尊敬はしない。
線を越えないことが保身であり、戦略であり、幸福であり、勝利なのだ