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幼少期の「わからない」による不安と恐れ
小学生の時、体育の野球、バスケ、バレーなどで、知っている子どもが多かったからか、明確にルールを教わらないままやらされることがあった。
クラス全員がいる場所で質問する勇気はなかったので、なんとなくプレーして、「よくわからないし楽しくない」体験になっていた。
今では野球は大好きだけど、当時は「フライ」とか「スタメン」とか、何を言ってるのか意味不明だった。
横文字嫌いの人が、横文字だらけの会話を聞く感覚と近いと思う。
どのルールや言葉も、同級生に聞けばわかったはずだが、「そんなことも知らないの?」と馬鹿にされるのではないかと思ったのか、無知な自分をさらけ出すのを恐れていた。
広く考えると、外国人や転校生の児童は、こういう「わからないけど教えてもらえない」体験が日常的にあって、大変なんだろうと思う。
そして、大人になってからも、ときどきコミュニティ・チーム・組織でこういうことは起きている。
当たり障りのないまとめ方になってしまうが、マニュアルやオンボーディングといった仕組みは大切だし、わからないことを共有したり、聞き合ったりできる関係づくりも大切だ。そして勿論、自ら不明点を潰しにいく姿勢も大切だ。
大人も子どもも、同じことをやっていたり、やれていなかったりするんだと気づかされる。
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