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【連載エッセイ】余生-わたしは何処へ向かうのか-2話

◆弟の話を少しばかり◆

1話の終わりに、2話は1か月以内に…とか書いておきながら、その翌日である。

この人の話しをしておかなければ、今からの私の日常は書けないので、書きたい言葉が頭に浮かんでいる内に記しておこう。

私と弟は3歳違いの二人姉弟だ。
マイペースで自分に甘く、楽観的ですぐに他人を信じる私とは正反対。彼は自分に厳しく神経質。少し先に降りかかるかもしれないリスクを予測し全力で回避しようとする。
ゆえに、いつも彼はピリピリしていて他人を容易には信じない。

簡単に言うと、一緒にいると疲れるタイプの人間だ。
あくまで私にとっては…だが。

幼い頃も仲良くは無かった。
コツコツ努力派の弟と、行き当たりばったり成り行きまかせの私。
弟から見ると、そんな計画性のない私が、易々と世の中を渡っている様に見えて苛ついていたのだろう。
家の中ですれ違う度に、お互い威嚇しあっていた。


◆これ、何の能力なん?◆

しかし私は、易々と世の中を渡っていた訳ではない。
両親が厳しかったせいか、親の顔色を見ながら育った。
どう言う訳だか、親が思っている私像を演じる…と言う事を無意識に日常的にやっていたので、
親の前ではサバサバした姐御気質の娘を…友達の前では、心優しく楽しい仲間を無意識に演じていた。本当に無意識なので、あれが演技だったと気付いたのは、だいぶ大人になってからだ。

だから弟の目に映っていた、行き当たりばったりで成り行きまかせの私も、果たして本当の私だったのか分からない。

他人の…『しゅうこちゃんはこんな人』という想像を裏切らず、こう接してくれるはず…をすぐ察知して振る舞えるのだから、人間関係で大きなトラブルが起きるはずもない。

小学校高学年から中学生の頃だけ、そんな大人みたいな態度が浮いてしまったのか、仲間外れにされた事も一時期あったかな。
もちろん、親の前ではサバサバした娘であった為、いじめられて悲しんでいる顔なんか見せなかった。

そんなだから、弟には大した苦労もなく易々と生きている姉に映っていたのだろう。

この弟のイライラが、コップから溢れる日が私19歳、弟16歳の秋に訪れた。


◆梨事件◆

もう30年以上も昔の話しだ。
今ほどコンビニなどで手軽にスイーツが買えない時代、
食後のフルーツが冷蔵庫に冷やしてある夜は、なんだかスペシャルな感じがしてワクワクしたものだ。

その日は冷蔵庫に、母が買ってきた美味しそうな梨が一個だけ冷やしてあった。

夕食中から、食後に待っているキンキンに冷えた梨の事でワクワクしていた。
弟は学校の宿題をしているのか、夕食の後に梨が待っている事を母が伝えても、2階から降りてくる気配が無かった。

夕食が終わり、待ちに待った梨タイムである。

一個しかない梨を母は、弟と私の為に4分の1欠けらを2個ずつガラスの器に取り分けた。

弟の分は再び冷蔵庫へ…。

私は、自分の分をペロリと平らげた。甘く芳醇な秋の味…シャリシャリとした食感…。
口の中に広がる冷たさと、開けた窓から入る秋風が心地よく、至福のひと時だった。

でもどうしても、食べ盛りの19歳には二切れじゃ足りないのだ。
夕食はお腹いっぱい食べたけれど、
フルーツは別腹だ。

ふと、冷蔵庫の中の弟の分の梨を思い出す。
弟の分なのは分かっている。でも、母が声を掛けてからかれこれ3時間は経っている。
もう食べないんじゃないか…。
…っていうか、ヤツは梨ってそんなに好きじゃなかったのでは…?

こういう時、人間というものは自分に都合よく記憶を書き換える。
うん。確か梨はそんなに好きじゃなかった…。だからいつまでも2階から降りてこないのだ。

今思えば、母にでもひと言聞けば良かったのに、母にも声を掛けず本当に軽い気持ちで弟の分の梨を食べた。

その15分後、弟が2階から降りてきて真っ直ぐ冷蔵庫に向かった。

弟「あれ。梨あるんじゃなかったの?」

私「あ、食べた。」

その瞬間、弟の後ろ姿で彼の怒りが頂点に達しているのが分かった。

「そういう所なんだよ!お前のそういう所!お前はクソだな!」

何とも表現し難い、抑えていた蓋がはずれた様な…感情のコントロールが効かずひっくり返った声で叫びながら、弟は台所にあった包丁を床にブッ刺した。

怒りのやり場が無かったのだろう。まさか私を刺す訳にもいかないから床を刺したのだ。

母が驚いて居間から走ってきた。
この家に居たら殺される!と大人げない事を泣きながら叫んでいる私。積年の恨みを晴らす勢いで睨んでいる弟。泣きそうになってオロオロしている母。…茶番だ。

結局、顔を合わせると修羅場になるのでその夜私は、友人宅に泊まった。

今だから笑えるが、あの時ほどコイツとは合わないと思った事は無かった。お互い様だろうけど。


◆蜜月期?◆

そんな姉弟仲最悪の私達だったが、
ずっと仲が悪かった訳ではない。

お互い二十歳を過ぎ、私は結婚して子供が産まれた。
弟にとっては姪っ子、甥っ子だ。
その頃から、彼は別人の様に優しくなった。特に娘が生まれた時は、
私達が住む家にベビー服を手土産によく遊びに来たものだ。

弟は県外に就職が決まり、それから会う事は年に一度程になったが、もう昔のように歪み合う関係ではなくなっていた。

そのうち彼も結婚をし、更に丸くなった。本当に別人の様だった。

しかし弟の結婚生活は長くは続かなかった。あまりに短くあまりに昔の事なのでよく覚えていないが、
多分2年くらいの結婚生活だったと思う。

離婚理由は今だに不明だ。多分、親にも話していないだろうし、離婚をした事も事後報告だった。

その頃からまた弟の性格に陰が見え始め、言葉の端々に棘を感じる様になった。

時は流れ、母が他界し残された父はくも膜下出血の後遺症、高次脳機能障害で認知症の様な症状がではじめ、加えて腎がんになってしまった。

弟は県外で働いていた為、必然的にに父の元へは私が足繁く通った。
まだ結婚生活を継続中だった為、一緒に住む訳にはいかなかったが、事業を起ちあげていたので、仕事に割と融通が効いた。
スタッフにも恵まれて、ある程度は仕事を任せられた…というラッキーも重なり、車で1時間の実家へ週に何度も通った。

父の様子は逐一弟に報告していた。
仕事が忙しくなかなか帰れないもどかしさは分かっていたから。

また…弟の雰囲気が和らぎ始めた。

私だけに父の事を背負わせている負い目があったのだろう。

なかなか帰ってこない弟の事は何とも思っていなかった。私が近くに住んでるのだから、通うのは当たり前だと思っていたし、「どうして私だけ!」なんて気持ちもさらさら無かった。

その頃、私に対して『感謝してる』『申し訳ない』の言葉をよく発していた弟。

たまに帰省してきた時は、父のことも含め、世間話でさえずっとしていられた。思えばこの頃が、一番仲が良かったかもしれない。



◆父の死…そして相続◆

そして、父が亡くなった。
後半はがんが全身に広がり、だいぶ痛みがあったと思う。
緩和病棟にいたので、痛みのケアもしてくれるのだが、この父がとんでもなく我慢強い。「痛い」と言わないのだ。
昔から頑固で、自分にも他人にも厳しい人だった。
泣き言など絶対言わない人だった。
父は、緩和病棟のベッドで全身の痛みを自分の腕を噛む事で我慢していた。
会いに行った時、腕に酷い噛み後が付いているのを見て、看護師さんに医療用麻薬を使ってくださいと頼んだのを覚えている。
私もがんに罹っているが、痛みが出るステージでは無かった。
ゆえに想像でしかないが、相当な痛みだったはず。
だから父が亡くなった時は、悲しみよりも…苦しみ、痛みから解放されて良かったね。お疲れ様でした。
…と言う気持ちだった。

父は、私達姉弟に十分過ぎるお金を残してくれた。
実家の名義は弟になり、その分私は少し多くのお金を分けてもらった。

父が亡くなる何週間か前に、
離婚予定での別居を始めた私は、主が留守の実家に住み始め、仕事場へは1時間の車通勤をしていた。
子供達は、訳あってこの時点では旦那さんの元で生活する事になった。

子供達とも別居する話しも長くなりそうなので、また後日語らせて頂くとして…話を戻そう。

もう、実家は弟の名義になる事が決まっていたが、彼は仕事で県外に住んでいるので誰もいない実家が空き家のまま朽ちて行くのを防ぐ為にも、私が実家に住む事は大賛成だった。

私は別居…いずれ離婚するにあたり実家に住む事で家賃を節約できる。
私にも弟にも都合が良いので、しばらくはこの状況で上手くいっていたのだ。


⚫︎3話に続く⚫︎
思いのほか、弟について書く事が多くてダラダラになりそうなので、続きは3話にて(笑)
1話に『スキ』して下さった方々…ありがとうございます。励みになります(*'▽'*)

緋色しゅうこ








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