自分のために
最近のこと
帰国して一か月たった私の気持ちをつらつら…
2023年3月にオーストラリアから帰って「就活しなきゃ~か。」と憂鬱さを感じながら自分の将来とか、気になる仕事とかを考え始めた。
だけど考え始めれば始めるほど「なんで将来のことってわくわくする楽しい話なはずなのにすごく憂鬱なんだろう…」って違和感。
自分の本当の気持ちが、社会の理想像にかき消されていく感じ。「新卒切符」とか「大手企業に就職して安定を得る」とか「こうなれば幸せだよね」とか、もっというと、「何歳までにこういう姿になっておくべき」そんな社会の中の共通の幸せが決まっているように感じた。
もちろん「決まってるほうが将来の目標を立てやすい」とか、「実際それが幸せじゃない?」とか「だから社会の秩序が保たれている」とかほんといろんな意見があると思う。そのうえで、その沢山の意見の中の一つとして私は、「みんなそれぞれの生き方があって、それぞれの幸せがあるのに」「社会で言われる幸せが強調されすぎて生きづらい」と感じた。
どうしても、「やらなきゃじゃなくて、”やりたい”で踏み出した一歩」が忘れられなくて。アナウンサー就活とか難しいこととか全部やめて、ただ私の心に残った、わくわく感、それだけに従って踏み出したオーストラリアで感じた気持ちが忘れられなくて。
自分の一歩でこんなにも世界が広がるんだと感動した。
世界が広がるというのは多種多様な考え方に出逢って、つまり沢山の人と話をして「こんな生きやすい価値観・マインドセットがあるんだ」って知ること。今まで見たこともないような壮大な景色を見て「自分ってちっぽけなんだ」って知ること。そしてだからこそ、この広い世界で「なんだって行動を起こせそう」っていう楽観的な気持ちに気づくこと。
一回就活スイッチで見失いそうになってた、このオーストラリアマインドを思いだして、今一番わくわくすることって何だろうって、自分自身に矢印を向ける時間を増やした。
「海外で暮らしてみたい。もっと長く。」
それだけ。本当にそれだけが自分の心に残った答え。
オーストラリアで感じた自分の人生が広がっていく感じ「もっと広げたい。もっと知りたい。もっと出逢いたい。もっともっといろんな人と話がしたい」それだけ。それが何にどう繋がるとかじゃなくて、今の私が「やりたい」と強く思えること。
それから早速、休学手続きとか、どの国に行こうかとか、出発には何が必要かとか。どんどん、どんどんやりたいことと・やらなければいけないことが見えてきた。もちろん話を進めていく中で、反対を説得する難しさ、書類手続きの煩わしさはあったけど、これをやった先に自分の心からの「やりたい」があるって知ってたら、そんな困難とかは「やらなきゃいけない」ことなんかじゃなくて、それも含めて自分のやりたいことなんだよね。
そんな気持ちをもって2024年3月に出発したカナダ。(カナダのいろいろはまた別のnoteに書こうーっと!)
本当にこの繰り返しだった。自分に矢印を向けて、何かに立ち止まった時は「何にワクワクするの?」って最後は毎回そこにたどり着く。そして答えが出たらやりたいこと、そのためにやらなきゃいけないことを洗い出す。そしてまた何か気付きを得て前に進む。その繰り返し。
これが私の思う「人生」かなと思う。
まだまだ未熟な20代だから、
「これが『今の』私が考える人生」
「やらなきゃ」と思って始めたことって、絶対にどこかで諦めとか、「もういいや」ってなるタイミングが来てしまう。でも「やりたい」と思って始めたことって、限界が見えた時でも、どんなに辛い時でも、鮮明に最初の気持ちを、最初の覚悟を思い出すことができる。そしてそれがどんな形であろうと力になる。原動力になる。
そうやって人生は進んでいくんじゃないかな~って今の私は思う。
2024年12月に日本に帰国。帰国の次の日に就活用の写真を撮りに行った。今日は、また忘れそうになっていた気持ちを、きちんと思い出せるように思うままに文章を綴った。
まだまだ学ぶこと・学びたいことが多いから「誰かに私の思いが届けば」なんてたいそうなものじゃなくて、忘れない記録として。大事なことを見失いそうになっている自分が見返したときに、また思い出せるように記録としてnoteを書いていく。
もしその先に私の言葉を受け取って、心が動く誰かがいたら、それは奇跡、幸せなこと!とりあえず今は自分に認められるところから一歩一歩踏み出していこうーっと