阪神バスが天六撤退
年末の記事で見た。1月13日に休止。
鉄ちゃんは御存知だろうが昔、阪神の路面電車が天六まで乗り入れていた。その代替路線が、この阪急バスだ。
バブル時代に再開発されるまでは、天六交差点の北西側には、線路跡と思しき緩やかなカーブを描く二重の車線があった。京阪中書島駅前の市電跡と同じように。
さらに、かつて大阪市交通局が「モンロー主義」で市内交通を独占し、私鉄の市内乗入を制限したので、大阪市には様々な郊外電車の終点があった、そこで市電に乗り換えるわけだ。
梅田、天六、天満橋、片町、上本町、あべの橋、天王寺、恵美須町、なんば、汐見橋、西九条、野田。
天六は、京阪が作った新京阪電車の大阪側ターミナルで、東武浅草や南海なんばのような戦前の百貨店一体型駅舎だった。阪急が戦後に強奪、さらに千里線が地下鉄と直通しても、駅ビルは2010年まで残っていた。
天神橋筋商店街と合わせて、周辺にちょっと懐かしい飲食街があるのは、昔のターミナル駅の名残なんだな。
天六の北西、大学イモ屋や、ホルモン「みつわ」、闇市らしい古道具屋、バブル時代に地上げで消滅。
天六の北東、「十八番」が早朝に豚汁定食を出して職人で混雑していた。「チャンチャンチャン!よろしく!」と。昨春に閉店か。
阪神の路面電車、京阪の千里線と新京阪線、市電の乗換場所だったのでさぞ賑やかだったろう。軍部と警察が衝突したゴーストップ事件も天六だった。
さらに、1989年まで「大淀区」が存在した。
キタと淀川の間、横に長くあった区で、この阪神北大阪線が東西を結んでいた。かつてはABC朝日放送が本社を置き「大淀区大淀南2の2」というアナウンスを記憶している方も多いだろう。
天六から阪神バス撤退。
「なんで東側に阪神が?」という意外性だけではなく、かつて繁盛していた大阪の痕跡、いろいろ、まとめて消えてしまうんだよなぁ。