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【2025日記】1月初旬
今年は備忘録として毎日の日記を書こうかなと思いました。
ほぼ日手帳に、ざっとですがその日のことをメモしています。メモしないと何があったか忘れちゃうから。そして「忘れちゃう」と、時間は特急のように過ぎ去っていくのです。あっという間に1週間、1ヶ月と経っていて、その間の記憶が、ない。それは怖いでしょう。
というわけで書いてみます。
固有名詞が出たり自分の意見が強すぎる場合は有料になるかもしれません。多分あまりないとは思いますが。
1月1日
年末から実家で遠距離住み込み家政婦をしている。元旦で5日目。超高齢老人がひとりで暮らしているので正月支度もままならない。年末にお飾りを買い、脚立を持ってきて玄関の上にしつらえた。こういうこともできなくなってしまったなあ。老人は会うたびに老いていく。
きょうだいがやってきたのでしばし話しをするが、途中から苦しくて呼吸困難に。「ちょっと待ってね。少し休む」と宣言して薬を飲み、別の部屋に行って横になる。
いったいなんでこんなにすぐ息が苦しくなるんだろう。このところ頻繁だ。医者の見立てではストレスと言うことで、深呼吸したり瞑想を試みたりする。要は自分も高齢者になり、自律神経がポンコツになってうまく働かないのだ。30分ほどで薬が効いてきて復活。
その後、少しだけ近所を歩く。わたしの息苦しさは運動している時にはどんなに走って脈が上がっても全く出ない(だからストレスなんだ)。心臓は元気だ。そのことは安心しよう。
夜は鶏鍋。老人ときょうだいとわたしで3人いるので鍋が囲める。二人だとちょっとね。一人だと尚更。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートは観られず。どのみち、実家にいると設置してある場所の関係でテレビというものが全く観られない。紅白も観られなかった。ちょっと観たかったのに。
1月2日
老人ときょうだいが某所に行くので運転手として乗せていく。時間がかかりそうなのでひとりだけ別行動を取り、開いていたモスバーガーに飛び込む。
ああ極楽……
何が極楽って、ひとりカフェでまったり出来るほど極楽なことはない。手帳を出して今年の抱負なんかを書き綴る。noteに書きたいことのメモをしたり。ちょうど一面のガラスから陽がさしてまぶしい。まぶしいことがまた気持ちをゆったりさせる。幸せだ。
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スーパーが開いていたので夜は寿司を買ってくる。楽をしよう。なるべく楽を。
1月3日
きょうだい帰宅。
まだ3日だが、洗濯したり干したりと日常が戻った感じ。かろうじてテレビから聞こえる(テレビが老人のベッドサイドにあるのでよく見えない)箱根駅伝のアナウンスがまだ正月だということを知らせる。
午後から車で少し遠い高級スーパーへ。相変わらず野菜が高いのでのけぞる。
老人が好きな食べ物を物色して好きなだけかごに入れたら5000円を遙かに超えて仰天した。まあいい。今度いつ食べられるかわからないのだから。
時々、何をして生きてるんだろう、今の自分って「生きてる」だけだな、と思う。食事を作って食べて洗濯や掃除をして寝る。何か目標があったり抱負があって生きているんじゃない。ただ、生きてる。それがいいことなのかそうでないのかよくわからない。
1月4日
友人が、todoを列挙してchatGPTにスケジューリングしてもらうという技を教えてくれたのでやってみる。todoと言っても「皿を洗う」「洗濯する」「洗濯物を干す」などの列挙だ。おかげで風呂のすのこを日に干すことが出来た。こんなことchatGPTなど使わずとも自分でちゃっちゃっとやってしまえば良いのだが、どうもグズグズしていて時間ばかり経つ。今後も時々利用しよう。
老人は、以前は一緒に近所の公園を散歩したりもしたが(92歳の時はそうだった)、今は入院の「後遺症」もあってスーパーマーケット一周が限界のようだ。超高齢者は入院すると如実に足腰が弱る。どんどん歩けなくなってせつない。
1月5日
夜中の2時までギンギンで全然眠れなかった。年を取ると時々こういうことが起きる。何が原因なのかさっぱりわからない。緑茶もコーヒーも紅茶も午後からは避けているのに。
気を取り直し、正月でも空いている美術館を見つけたので一人で出かけた。そのくらいのことはできるのだ(出来なければしんどすぎる)。小さい私設美術館だが予想以上にたくさんの所蔵品があり、同時にやっている日本人作家の展覧会も色彩豊かでとても良かった。
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ミュージアムカフェで一服して帰る。カフェで一服、というのが自分の場合、命の洗濯になる。ぼーっとひとりで紅茶をすすり、考え事にふけり、手帳にメモを書き付ける時間。それで何か作品が出来るわけではないけれども。
1月6日
2日連続で夜半まで眠りにつけず。どうしちゃったんだろう。やはり自律神経がうまく働いていないのか。
この日から平日となり、老人が銀行に行きたいというので連れて行く。少し行き違いがありあっちこっちと連れ回され、たび重なる予定変更にちょっといらつくが何事もなく帰還。
老人は、我が親ながらちょっと多動だと思う。それは老人だからではなくてずっと若い頃から、この人の性格のようなものだ。だけどそれだから何十年もたくさんの仕事をやれてきたのだろう。なんにでも長所と短所があるものだ。
わたしは動かない性格だ。逡巡するばかりで思い切りが良くない。動かないから機会を逃すことも再三あった。やればできるのにやらなかったことも多い。怠け者なのだろうか。持てる能力を活かしていないと思う。今も。
1月7日
老人が医者に行くので送迎。街中なので駐車が難しい。
しかし「ついてこなくてよい」という言葉に甘え、またしてもカフェで一服させていただく。今日はブックカフェ。旅の本を適当に手に取り、カフェインレスコーヒーを味わいながら行きたい場所に心を巡らせる。
本当はコーヒーが好きだ。カフェインも入っている方が好みだ。しかしこのところの胃腸と不眠を考えるとなんとなく日和ってしまった。胃腸が弱いんだからカフェなんか入らずにコーヒーも飲まなければ良いのだ。だけど少しは楽しみが欲しい。ひとりカフェはストレス解消に大変役立つのだ。
雪に降り込められた自宅と違い、実家のあたりは天気さえ良ければ外干しで洗濯物が乾く。そういう我彼の違いを感じながら、洗濯物を取り込む。3時までに取り込まないとさすがにこの季節は冷たくなってしまう。冬だ。
1月8日
この日も老人が別の病院に行くので送迎。
実家は届きものの多い家なのだが、いまだに何かが来ることがある。そのため在宅していてほしいとのことで実家に戻る。結局何も来なかったが。
この日は大層待たされたものの老人の容体は大変に改善されていた。新しく投入された薬が効いたらしい。超高齢者の場合いろいろな疾患を複数抱えていることが多く、一つの治療や薬が別の病気には悪い影響を及ぼすことがある。なにより腎臓も肝臓も100年近い使用に耐え限界に近い。そんな中で薬剤が効いて元気が戻るというのは奇跡に近いのかもしれない。鉄人である。
この鉄人より先に死んではならんと改めて心に留める。頻繁に調子悪くなるので自信はないんだけど、まだ死にたくない。まだ楽しいことをいっぱいしていない。ひとりカフェも旅もnoteもまだまだやりたい。
1月9日
帰宅日。
朝から怒涛のようにご飯の支度をし、ゴミを出し、洗濯をしてその中で持って帰るものをコインランドリーの乾燥機にかけに行き、持ち帰る荷物(多くは老人一人で食べ切れない果物や菓子など)を作って宅配便に託し、ついでに老人同伴で松が明けたお飾りを近所の神社のどんど焼きに持っていった。
そうすると既に昼なのでごはんを作らなければならない。老人のリクエストで雑煮になった。餅は小さく切り、喉に詰まらせないか注意しながら食べる。神経を尖らせていると自分の方が餅を喉に詰まらせそうだ。だけど実際は、餅よりもパンを詰まらせる事故の方が多いらしい。
ダッシュで皿を洗い拭いてしまう。寝ていた部屋を掃除し、着替え、出て行く準備をする。
帰る時はいつも老人が寂しげなので胸が詰まるが、帰らないと自分も倒れてしまうから心を鬼にして帰る。そうなのだ、自分が倒れるのだこれ以上がんばっていると。また来るからと言い置いてキャリーケースを引っ張りさっさと実家を出る。飛行機は前便の到着遅れで1時間遅れたが、それ以外はどうということなく自宅に戻れた。
夕方の搭乗前にゲットした空弁はチキンタルタル。こういうジャンクな揚げ物が食べたかった。飛行機は揺れたような気もするが構わず食べていた。ごちそうさま。
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自宅には夜の9時過ぎに戻る。
何をしたわけでもないが疲れた。
これから数日は休むことにする。