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ぼちぼち生きていく

#チコちゃんに叱られそう日記  27日目。

まだ実家にいる。
#呑み書き の後夜祭に乱入するという手もあるが、なにせ今ぜんぜん酒が飲めないので元気が出ない。いや実は酒はOKなんだけど(肝臓は元気)、それ以前に刺激物(酒など)が入っていくと胃がひっくり返りそうになるので自粛している。自粛自粛。自粛ばかりで気が滅入る。

親との関係は悪くないと思う。親の方はどう思っているか知らないが、特に母はどう思っていたのか今となっては知る由もないが、自分としてはそこそこ波風立てない関係を維持してきたんじゃないかなと思う。

けれどあれこれ話をすると、やはり昭和ヒトケタの親と自分とは価値観の点で異なる部分があると認めざるを得ない。父はあの時代の人の割にかなり現代的な発想をする方だと思うが、それでも「うひゃあ、それはないわ自分には」と思うことがある。その価値観を10代や20代のはじめ頃は疑うことなく取り入れていたこともあり、なんだか本当に遠くまで歩いてきたのだなと思う。親にとってはずいぶん想定外の娘だったかもしれない。従うような顔して行動は真逆だし。

生きるってどういうことなのか未だにわからない。

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ところでこの「チコちゃんに叱られそう日記」は「日記」を書こうとして始めたんだけど、このところ全然日記になってない。食べたもの、やったこと、ほとんど何も書いてないのでどうしたもんか。ちょっと思い出してみよう。ごはんを記録すれば日記って訳じゃないけど。

朝は、実家の朝はすごい。父のこだわりがあるのだけれど、パンを少しずつ何種類か(今あるのはミッシュブロートと角食。ひとつひとつは一口サイズよ。3センチ四方くらい?)、チーズを少しずつ何種類か(今あるのはカマンベールとクリームチーズとブルーチーズ? みんなティースプーンに半分くらいずつ)、ジャムは常に数種類、それから数種類の野菜を煮込んだスープ、あとソーセージだの生ハムだのも時々ある。飲み物は紅茶。それに温めた牛乳をミルクピッチャーに入れてミルクティーにして飲む。書くとすごいけどもう習慣になっていて全然大変ではない。スープは作り置きしてるので温めるだけだし。通常は、つまりわたしがいないときは父が自分でやっている。多分。習慣ってすごいよね。

ふだんはヘルパーさんや親戚が来てくれることもありどっさり料理が冷蔵庫(冷凍庫にも)に保管してあるので、昼と夜はもっぱらそれらを悪くならないうちに消費することが仕事になる。何度も同じものは飽きるからひと手間かけて違う料理にしたりとかね。だからゼロから家事全部やっているわけじゃない。朝ががっつりなので昼は軽く、夜はごはん(冷凍ごはんが一食分ずつ冷凍庫に入ってる)、大根と揚げの味噌汁、煮魚、野菜の煮物とか酢の物など。とてもヘルシーで胃にも良い。ふだんからこういう食生活ができればいいんだけど、これは実家にいて他に何もすることがないからできるんであって(しかもヘルパーさんたちの作り置きが大量にある)、外で仕事しながらやれる内容ではない。これ一週間以上いたら猛烈にピザとかでかいハンバーガーとか食べたくなると思う。

で、そういうごはんを用意したり皿を洗ったりしながら、なんとなく掃除とか洗濯したりもしながら、あと用事がある時の運転手をしたりしながら、空いた時間はゴロゴロと #呑み書き を読んだりしている。たくさんありすぎて全然読み切れてないけど、おなじみの友人知人のほかにたくさんの人の記事を読んだ。みんなおもしろい。みんなそれぞれの人生を生きててすごく輝いている。落ち込んでる人、自分なんてと書く人でさえ輝いて見える。

火曜からは外せない仕事があるので明日自宅に帰る。今度はいつ来られるかわからない。それから、いつ何時、急な電話で呼び戻されるかもわからない。毎日ふつうに、精一杯、生きるしかない。


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