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対話は脳トレだ Day 11

対話をするのは大事だなって最近すごく思っている。

ちょくちょく遠距離介護に行っている。高齢の親が一人暮らしをしているからだ。頭もはっきりしているしあの年にしてはびっくりするほど元気だとは思うが、それでも90を超えていれば体中どこかは悪いし気力だって衰える。

幸い色々な人にお世話になりそれなりに暮らせている。しかし毎日誰かがいるわけではなく一人きりで過ごすことも多い。そうすると誰とも話さない。話すことから遠ざかると、どんどん知的能力が衰えるんじゃないか、それだけでなく気力がなくなっていくのではと心配している。だから遠距離だけどなるべく頻繁に通おうと思っている。


だんだん色づく木々


自分自身のことを考えても、あの感染症が猛威を振るっていた頃は一日中だれとも話さないでいる日が多かった。そうすると時々、口が回らない。

口が回らないのは恐怖だ。言葉がうまく出てこない、言葉を噛む、言いたいことがパッと言えない。脳みそどうかなったんじゃないの、血管が詰まったんじゃないのと心配したこともあった。

やっぱり一日中話をしないというか、自分の口から音声言語を発しないと脳みその考える部分が少しずつダメになっていくような気がする。読んだり聞いたりすることで情報をインプットして、考えるという情報処理を行い、書いたり話したりのアウトプットに持って行く。そうやって脳みそに負荷をかけないとだんだん「考える」ところそのものが衰えていってしまうように思うのだ。

時々遊びに行くモエレ沼公園のガラスのピラミッド入り口


そうは言うものの、ときどき考えたり話したりするのがたるいなぁとかしんどいなぁと思うことがある。疲れている時や、マルチタスクでアップアップしている時など特に。初めての人に会ったり、半知りの人と話す機会もそうだ。ちょっとだけしんどい。それでも筋肉をトレーニングする時と同じで、そのちょっとしんどいなぁというくらいの所で頑張らないと、考える力も伸びていかないんじゃないか。

スポーツの事はよくわからないけれど、常識的に考えて耐えられる以上の負荷をかけたって筋肉を痛めるだけで筋力はつかないだろう。だから一足飛びに「すごいこと」をやったり、普段あまり話をしないのにいきなり大勢の前でスピーチしたり記者会見するなんてのは脳力アップに結びつかない。

でも弱い刺激では全然筋トレにならない。多分、脳トレにもならない。
ちょっとしんどいなぁ、ちょっとまだ簡単にはできないな、というそこを目指してトレーニングすることが筋トレになるんだと思う。脳トレも同じだ。

他人と対話する時には、相手の話を聞いて理解する、話しの流れを見通す、タイミングを計って発言する、発言した結果相手に及ぼした影響を知って次の発言を考える、など、とてもたくさんのことをしている。これが脳トレでなくて何だろう。他愛ない世間話でさえ、卓球のラリーみたいに私たちは言葉を行き来させているのだから、対話することで脳が活性化するのは間違いないと思う。

口下手なわけではないが、複数人で談笑することはあっても家族以外の人とがっつり「対話」する機会はなかなか無い。ちょっと心してそういうチャンスを探してみようかな。


追記
要は、誰かと対話すると脳の老化が進まないような気がするのね。家族だと慣れちゃっててワンパターンになりがちだから、色々な人と対話してみたいな。何ができるだろう?



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