腹腔鏡手術で胆嚢摘出した話
思えばずっと不調だった消化器系統。原因がわからず、胃腸薬などを飲んでいるうちに突如、強烈な痛みと苦しさに襲われ、救急車で運ばれたのが今回の一連の入院の始まりでした。
ここで内視鏡手術で当座の対応をしてもらいました。が、このままだと何度もまた疝痛発作が起きる可能性大なので胆嚢を取っちゃった方がいい……という医師の言葉で胆嚢摘出手術を受ける決意をいたしました。
その前についでに大腸検査も。
手術までのいろいろ
さて、とうとう消化器外科に入院し、本当の外科手術を受けることになりました。ざっくり切腹するのではなく腹腔鏡ですが、腹にメスを入れることにはかわりありません。いくら「盲腸の次に簡単な手術」と言われてもねえ、人生初のハラキリですので、やはり緊張いたします。
そうなんです。胆嚢摘出はかなりよく行われている手術で手技としても確立しているといろいろな所に書いてありました。ネットにある胆嚢摘出体験記も読みまくり、もう事前知識は万端です。それに入院する病院は年間100例以上も胆嚢摘出をしているんです。100例以上って概算すると週2~3回ペースですよね?
背中右側は相変わらず痛くて重い感じがしていました。ちょうど肩甲骨と背骨の間の筋肉の奥がまるで筋違いしたように痛むのと、同じあたりが胆石の疝痛発作を起こす前のように重苦しく痛むのと。その2種類の違った痛みが常にありました。ずーっとBGMのように鳴っている感じです。
胆管の胆石は前回の内視鏡手術で取ってもらって無いはずなんですけど。この痛みが手術で本当になくなるんだろうか、という疑念も少し。でも、もう進むしかありません。
入院前になって腹腔鏡手術での死亡例が多いと問題になったニュースが報道されました。
これから受ける身としては穏やかではありません。どうもそちらの病院の死亡例は肝臓がんなど多数のトラブルを同時並行で腹腔鏡手術しようとしたものらしく、単なる胆嚢摘出とは異なるということでしたが、あまり気持ちの良いニュースではないですね。
まあ、そうは言っても、もうまな板の上の鯉です。
入院当日
指示された日に行くと、さっそく麻酔医の診察というか面談がありました。手術は全身麻酔で行われるので詳しい問診があるのです。全身麻酔って、このときは「ふーん」くらいしか思っていませんでしたが大変なことなんですね。死んだも同然のところまで連れて行って、注意深く状態をコントロールし、再びこの世に呼び戻すのが麻酔医。すごい仕事です。
麻酔医の所を辞した後、いよいよ主治医の説明です。
外科の主治医になったのは小柄なおひげの先生でした。どこかで会ったような印象があります。間違いなく初対面なんですけど、たまに会う仕事上の関係者みたいなイメージ。そういうことって時々ありませんか?
オットと二人、いろいろ説明を受けては承諾書にサインしました。「そのほかに疑問や不安なことは?」と聞かれても初めてなのでよくわからないですよ。疑問自体を思いつきません。ま、いいか。
そのあと病室に案内されていつもの病院パジャマに着替えました。すると休む間もなく、病棟看護師、管理栄養士、薬剤師、手術室看護師、といった方々が次々にベッドサイドにやってきて挨拶や問診をされました。管理栄養士さんからは「食べられないものはありませんか?」って聞かれたんだけど、もしもあそこで「○○が嫌いです」「××は(アレルギーじゃないけど嫌いで)食べれません」って言ったら、その食材が出ないんでしょうか? そんなわがまま聞いてくれるの? 言ってみれば良かったです。
病棟の看護師さんも、夜勤や日勤で変わるたびに「今日の担当の○○です」って名札を見せて下さるのです。病院の方針なんでしょうね。おかげで初めて全身麻酔で腹に穴を開けるにしては不思議なほど平常心でございました。
そうそう、前回入院の時、4回失敗された点滴ですが、今回は中堅風の看護師さんが実習生(?)二人連れで現れました。
「点滴は……」などと軽く説明入りです。最後には「ここの動脈よ」と言って実習生さんが代わる代わる私の動脈を触診されました。
そうだよ~ よく勉強して、一発で点滴を入れられるプロになってね。
看護師さん自身は若手の指導をするだけあって、これまで経験した中で最も上手に点滴針を入れられました。すばらしいです。一発で刺した瞬間から、退院が決まって点滴を取る日まで、いっさい痛みがありませんでした。
ブラボー! プロのお仕事です!!
手術日:前半
手術の日になりました。午後からなので午前は暇です。
そう思って図書館でいっぱい本を借りておきました。
目玉は「松岡正剛千夜千冊」第1巻。
この方のサイトはこちらにあります。
千夜千冊を超えても延々と続いています。ほぼ全部が書評や書物の紹介(だと思う。全部読んでないので確認していません)。
いつぞやふらりとネット上で迷い込んだのですが、著者自身が巨大な図書館のようで、いつかしっかり読みたいと思っていました。こういう文章は子どもの頃から書痴気味の私にとってパラダイスです。
しかしこれは失敗でした。
本が異様にでかくて重いのです。百科事典とか、そんな感じ。これから腹に傷ができるというのにこんなくそ分厚い(失礼)本なんか寝たまま読めませんよ。バカだなあ>自分。
なお、腹の傷がよくなっても、重すぎて寝ころがっては読めないことが後から実証されました。京極夏彦の立方体みたいな文庫もすごいですが、こちらの方が重いです。
仕方ないので別の通常サイズの本にしました。池澤春菜の「乙女の読書道」。著者は作家の池澤夏樹の娘さんで、やはり作家の福永武彦のお孫さんです。お父さんの池澤夏樹が芥川賞を取った「スティル・ライフ」という小説が好きでした。
娘さんの本業は何なんだろう、声優で、女優や歌手でもありいろいろマルチですが、この方もものすごいブッキッシュで特にSFに詳しくて。
自分よりずっと若い方なので読んでる本の年代が少しずれていて、あああれも読みたい、これも読んでみたいと思ったものの、午後から手術ですからどの本も手に入りません。残念。
さて、そんなのんきに過ごしているうちに、あっという間に手術の時間になりました。
お昼は抜き。それなりに緊張しているせいか食欲はありません。
いよいよ看護師さんが迎えに来て、前開きの手術着に着替えます。頭にシャワーキャップのような帽子をかぶって髪の毛を押し込み……そしてそのまま歩いて手術室に向かいます。そうですよね、まだどこも痛くないわけで、ストレッチャーや車いすを使う必要はありません。
部屋に入り、手術台に横たわると数名のスタッフに取り囲まれました。
なんというか、マンガに出てくる未来の機械で、突っ立っていると四方から機械の手が出てきて一度に歯磨きしたり顔を洗ったり服を着替えさせたりするってのがあるでしょう? 藤子アニメあたりに出てきそうな。あんな感じです。
もう感慨にふける間もなく数名のスタッフが次々にいろいろ準備してくれます。ひとつ何かするたびに「○○しますね」「ちょっと失礼します」などと丁寧におっしゃって……
暗転……
手術日:後半
次の瞬間、「森野さん、森野さん、終わりましたよ!」という声が聞こえました。
口々に呼びかけるスタッフが意識を無理矢理取り戻させます。ぼうっとしています。痛みは感じません。というより身体が動かないし、呼びかけてもらわないとすぐに意識がどこかに飛んでしまいます。
ストレッチャーで元の病室に運ばれ、エコノミー症候群防止のためのきつい靴下の上からさらに足にマッサージ器を取り付けられました。うー、なんだか気持ち悪い。手術にどのくらいの時間がかかったのか、うまくいったのかどうか何もわかりません。絶対安静なので寝返りも打てませんが、寝返りを打ちたいと思うほど考えが回りません。
気持ち悪いというと吐き止め、痛いというと鎮痛剤が点滴から注射されました。ダンナが来たのがわかりましたがろくに返事できません。とにかく朦朧。最初はそんな風に過ぎていきました。
意識が明瞭になる時間が増えると、胴体がどこもかしこも痛いような気がしてきました。きっと本当に痛かったんでしょう。だって腹に4つも穴を開けて内臓をひとつ取っちゃったんですからね。
とにかく動けないのが一番辛かったです。
だけど先だって読んでいた数々の胆嚢摘出体験記では、どの人も「手術の翌日になればかなり楽になる」と書いていたので、朝まで耐えればと思いました。体験記を書いてくれたネット上の無数の先達よ、ありがとう!
痛みに弱い情けない体質なので、夜中も4時間毎にナースコールして点滴から鎮痛剤を入れてもらいました。我慢すると体力を消耗して治りも遅いし、薬が使えないようならちゃんと看護師さんがそう言いますから使いすぎるってことはないのです。
夜半からはひっきりなしに目が覚め、まだ夜か、まだ夜が明けないかと思っていました。
術後1日目
夜が明けました。
背中が痛いです。胆石の発作時みたいな鈍痛がします。そしてみぞおちのあたりは空気でパンパンに張っている感覚があります。背中中心に圧迫痛があって苦しく、腹に4つ開けた穴の痛みはそちらに比べるとあまり感じません。
朝になる前に足のマッサージ器も外れ、夜が明けると心電図の電極と尿管も外れました。残っているのは点滴です。
少しだけ身体が動かせます。しかし右に寝返りを打とうとすると傷に当たるので、左に少し傾くくらいしかできません。真上を見てまっすぐ寝ていても背中に圧迫痛があります。どういう格好をしても痛苦しくて、上を向いたり、左に傾いたりを繰り返していました。
そのうち、この苦しいのは、もしかしてガスが出ないからじゃないかと思いつきました。
腹腔鏡を入れただけでは腹の中は何も見えないため、開けた穴から炭酸ガスを入れて腹をふくらませ、空間を作って手術を行うのです。事前にそのように説明されていました。
ガスはどうやって出て行くんだろう? 内臓内で吸収されて結局はオナラとなって出て行くんだろうか? それにしても背中の圧迫痛が半端ない。腹よ動いてくれ!
腹が動くようにと願いを込めてスーハースーハー深呼吸しておりましたら、手足がしびれてきました。
え?
手足だけじゃない、おなかの中の、ちょうどみぞおちあたりがきゅーっと硬くなり、横に一本、太い鉄の棒が入ったみたいに収縮する感じがします。
うわあなんだこれ?
でもそこでふと我に返ります。
手足のしびれ具合が以前やった過換気症候群(過呼吸)にすごく似てる……もしかしてこれ、過呼吸? またやった?
過呼吸(過換気症候群)は、「精神的な不安によって過呼吸になり、その結果、手足や唇の痺れや動悸、目眩等の症状が引き起こされる心身症の一つ」とWikipediaに書いてあります。若い女性に多いとのことですが、わたしが生まれて初めて過呼吸をかましたのは56歳の時でした。
原因は精神的な不安だと?
自覚はないのですが。
たまたまちょうどドクターの回診時で、主治医は「過換気かもしれないねえ」と言いながら黙々と傷の診察をしてそれだけで立ち去りました。
しかしそれで安心したのか、以降、急激に回復。
うーん、やはり過呼吸だったのか、これは。
自分はメンタル系はそこそこ強いと思っていたのに、術後に過呼吸なんて自覚していない不安が出てきたのでしょうか。やっぱ神経質なんでしょうか。ちょっと落胆、そして自己評価が下がりました。
しょぼん。
まあそんなことを悩んでいても仕方ありません。予定されていたのでレントゲンと心電図を取りに行きました。術後初めての歩きです。歩いて適度に動いた方が回複が早いのだそうです。でも腹も痛いし背中も苦しく、点滴スタンドを杖代わりに腰を曲げて一歩一歩、高齢老人のように歩くことしかできません。
看護師さんは検査室まで亀の歩みにつきそってくれました。この病院は皆さんとても親切で看護師さんが嫌な顔ひとつしないの。患者は本当にありがたいですよ。
無事、自力で検査室を往復すると、昼に術後初めての食事が出ました。
重湯、コンソメ味のスープ(具なし)、うっすら甘い味の付いたくず、の3つです。
本当に固形物がない!
こういう食事あるんだなあ(もちろん、あるのだ)
奥の小鉢がくずですが、一見、空のように見えて「あれ、なんで空容器が?」と思ったほどでした。食器を持ったらずっしり重いので初めて何か入っていると気づきました。
全部はとても食べられないので残し、付いていたスポーツドリンクみたいなヤツもパスして冷蔵庫へ保管。ガスが張っている感じであまり食べられません。
午後になるとオットが仕事の合間をぬって来てくれました。
ところが昨日の手術当日よりはマシなものの、まだけっこう辛い状態であんまり話ができません。声を出すと腹に力が入って痛いのです。痰も絡んで声が出ません。
痰がからんでも咳払いできません(腹が痛いから)。
咳もできません(腹が痛いから)。
そんなこんなで、途中で背中を向けて寝てしまいました。そんなつもりはなかったのに、しんどくて横になっていたら眠っちゃったのです。目が覚めたら見舞いに来たはずのオットがいないわけですよ。あとで「ごめんね」とLINEを送りました。
LINE便利だわ。
そうなんです。前回、救急車で運ばれて入院した時はガラケーだったんですが、その後いろいろあってスマホに乗り換え、LINEが使えるようになっていたんです。わたしだってバージョンアップするんだ。あ、バージョンアップはモバイルですね。自分は、むむむ、胆嚢がなくなるのはバージョンアップなんだろうか? バージョンダウンじゃないか?
夜は三分がゆでした。おかずは鮭の煮たものと野菜の煮物。
あちこちの胆嚢摘出体験記を読むと、病院によってはすごく豪華な食事も出るんですね。ここはそうでもないなあ。実直な、身体に合わせたいかにも病院食です。
この夜は3時頃に目覚めて全く眠れず。
痛いので、朝ご飯の後でと処方されていた鎮痛剤を朝の4時に飲んでしまいました。スマホでネット検索したら出された薬はアセトアミノフェン(子どもにも使うポピュラーな鎮痛剤)だったので、1回くらいなら空きっ腹だって胃は荒れないでしょう。
術後2日目
あまり眠れませんでしたが、その割に元気です。
なに、どうせ入院中。昼寝すればいいんです。
気がつくと背中の痛みがうっすら軽くなっているような感じがしました。ガスが出たのが良かったのかなあ。それほど大々的に体内から手術時の炭酸ガスすべてが出て行ったとは思えないのですが、多少は改善傾向です。
動いた方が良いというので、へっぴり腰のまま病院1階のコンビニまで行きました。雑誌を買ってえっちらおっちら帰ります。
歩いたら腸が動く動く!
念願だったお通じもやっとあって当番看護師さんも喜んでくれました。やっぱ人間、動くようにできてるんだなあ。動いてなんぼの人生ですね。逆に言えば、動けないということがいかに生き物本来のあり方から遠いものか。退院して元気になったら運動するぞと密かに決意しました。
決意はいつもしてるんですが、まあ、気分一新で新たに決意です。良いことは何度決意したって……いいよね?
昼は抜きで、造影剤を入れてのCT検査がありました。
実は取った胆嚢に石が見あたらず、もしかすると総胆管に落ちてる可能性がと言われたのです。3週間ほど前のエコーでは、確かに胆嚢内に詰まりそうな小さい石があったそうです。もしも石が胆管に流れ落ちているとすると、また大変な発作を起こすかもしれないので、再度、内視鏡で取るようなことになります。
幸いというか、結果はシロでした!! どこいっちゃったんだろう石?
それから取った胆嚢ですが、あとで写真を見せてもらいました。
自分の内臓、初見。あまりない体験です。
角度なのかたまたま光が当たったのか、わたしの胆嚢は表面がなめらかでキラキラ光っていました。まるで新雪にきらめく朝日みたいに。
「先生、このキラキラしてるのは何ですか?」
「コレステロールです」
あ、……
あまり眠れてないのに全然昼寝する気分にもなれません。それでなるべく歩こうと思い、あちこちふらふらしたりもしました。
明日はもっと良くなっているでしょうか。
この、「明日はもっと良くなるだろう」という希望が、何歳の、どんな立場にいる人間にも必要なんだなって痛感します。
術後3日目
3日目だけど、思ったほど良くなりません。
いえ、手術の経過は申し分ないです。あとでオットから聞いたのですが、私の手術は「準備や終了後のもろもろ合わせて2時間半」と聞かされていたのに実際には1時間半程度で帰ってきて、早くてびっくりだったそうです。それに胆嚢の他臓器への癒着もなかったと。
そういえば、事前の説明では術後に胆嚢あたりに開けた穴からドレーン(排液用の管のこと)を出すみたいな話だったのに、それもついてない。つけなくて差し支えなかったのです。つまり、手術自体は大変スムーズに進んだようです。手術の跡はどんどん痛みがひいていって良くなっているのを感じます。
良くならないのは背中。あの、石が総胆管に詰まって七転八倒した時のちょっと前……みたいな圧迫痛が復活しています。とても不愉快。そして、なぜよくならないのか、とても不満。今回はステントもないのに。
迅速な回復に気が向いてしまうのは他の人の胆嚢摘出体験記をネットで読みまくったからかもしれません。多くの人が手術後3日程度で退院しているのです。2日で退院の人もいたし、中には日帰りもありました。
それ無理だから!
絶対無理!
というかそういう病院には行かない!!
だって翌日だってまだすごく痛くて、前のめりのへっぴり腰で分速6mくらいでしか歩けなかったんですよ~
病室となりのトイレに行くのが精一杯で、見舞いのオットがそこにいるのに根性尽き果てて寝ちゃったんですよ。
けれど術後3日で退院、てのが体験談に多いので、それが普通なのか、3日目になっても退院どころではなく回復が遅いのは何か問題があるのだろうか、など、ぐるぐる考えておりました。
背中に感じる内部からの圧迫痛があるのでご飯もおいしくいただけません。初めてうどんが出たのに。
食欲がないのです。背中は痛いままです。それなのに経過と検査結果は上々で、主治医は「退院できますよ」って言うんです。
してもいいけどさー
良くなってないんだけど。
何が原因かよくわかんないんだけどっっ!!
この「何が原因かよくわからない」というのがストレスです。ともかくも、さらに「明日」に期待しよう……ということでこの日は暮れました。
術後4日目
4日目になってやっと回復の自覚が出てきました。
背中の痛みも徐々に薄らいできました。腹の傷の方はほとんど痛みません。考えてみれば、生まれたときからずーっと存在していた内臓をひとつ取っちゃったんだから、新しい状況に適応するには時間がかかって当たり前。気長にそろそろ進んでいくしかありません。
退院はこの翌日ということになりました。夜は相変わらず眠れません。だって9時消灯なんだもん。うまく眠れても、朝の3時か4時には起きちゃうんですよね。このところ5~6時間しか続けて眠れないです。もちろん今は病院だという環境の変化はありますが、もしかして加齢の影響でしょうか?
まあ確かに年齢的にはそうかも。
さて、この日はテレビを見ました。
ふだんテレビというものをほとんど見ないので新鮮です。
熊川哲也の番組をやっていました。この人は知ってる人は知っている、クラシックの世界的なバレエ・ダンサーで、もうなんかオーラが全然フツーじゃないです。宙に浮くように飛ぶ。そしてどんなにクルクル回っても絶対に重心がぶれない。神の恩寵みたいな踊り手です。一度でいいから生の舞台を見たかったのですが、仕事や子育てに忙しく、そのうちそのうちと思っていました。
「そのうち」じゃダメですね。行きたいと思ったら行かなくては。
明日は自分が別の病気で具合悪くなるかもしれないし、熊川氏だって結局、ナマを見られないうちに現役からは引退されてしまいました。
行きたいと思ったら行かなきゃダメだな。
見たい舞台や映画やコンサートはチャンスを逃すな。これも病気になってつくづく感じたことのひとつです。
ベッドでゴロゴロしてヒマにしているせいか気持ちは前向きです。痛みが軽くなってきたからかな。いいぞいいぞ。この前向きさを退院後も維持したいものです。
術後5日目:退院
長いようで短かった入院が終わりました。
傷の痛みはゆっくりながら漸次回復傾向。早足でなければ普通に歩けます。背中の痛みはかなり軽くなりました。ずっと続いていた圧迫痛も、原因不明だった背中右上部の捻挫みたいな痛みも徐々に退いていっています。日にち薬なんですね。
退院したら何を食べようかな。ごはんのことを考えていたら何故か猛烈にパエリアが食べたくなってレシピ検索をしました。その途中で突如、気になったことがあります。
外国ではどんな病院食を出すんだろう?
例えばイタリアだって胆嚢を悪くしたり、胆石が詰まる患者さんはいるでしょう。同じ病気の治療方針は世界共通のはず。脂質をコントロールしなければならない場合、チーズとオリーブオイルの彼の地ではどんな飯が出るのか?
いやいや、地中海に面して海鮮や野菜の豊富なイタリアより、盛大にジャンクフードを食っている印象の強いアメリカでは(偏見)?
いやいやいや、そもそも諸外国の病院では入院患者みんなに「病院食」って供給されるものなのか?
検索すると画像がいっぱい出てきました。
病気の種類によっても違うし一概に言えませんが、どうもアメリカはハンバーガーやフライドポテトが平気で出てきています。それでも個人の日常の食生活よりはヘルシーと言うことなのか?
あまりにも貧しい食事でちょっとパスという食事もありました。
でもこれも、病院や病気によるのでしょうね。
日本語の記事だけではよくわからないので英語で検索したら、こんなところが出てきました。
ここに書いてあることを信用すると、アメリカの典型的な病院食は、上の画像のようなチキンパイ、ブロッコリー、クッキー、コーヒーなんだそうです。クッキーにコーヒー?
このサイト、他にスペイン、スイス、メキシコ、ドイツ、ロシア、イタリアの病院食が載っていますが、ロシアのはオートミールみたいなんにカッテージチーズとコーヒーで、ちょっとうれしくない感じ。ドイツは機内食風で、スイスはデザート付きでした。コーヒーやデザートが普通に付くんだ~ へぇ~~
疑問だったイタリアは、パスタとリンゴでしたよ。
日本では、産婦人科などは豪勢なお食事で患者獲得を競っていますが、今回、自分が入院したところは産婦人科も小児科もないし、中高年向けの油少なめ薄味な真にヘルシーなものとなっていたようです。
それでも総合病院の食事作りってものすごく大変なんだな、と改めて思いました。
だって自分の例だけを考えても、
手術前 脂質コントロール食
手術翌日 重湯と液体のみの食事
翌々日 三分がゆ~七分がゆ
翌々翌日 全がゆ~一般食
と、変わっていったんですから。脂質、塩分、糖分、カロリー、いろいろなものの制限の組み合わせや、年齢、病気回復に要求される栄養素、みんな違いますよね。
病院の栄養士、大変な仕事ですねえ。
仕事が大変だ、忙しいから胆石も詰まったと思っているのですが、世の中の仕事のほとんどは大変なわけで、自分だけではないというのは勉強になりました。ええ、この歳で。
頭ではわかっていたけど、実際にふだん関わらない不慣れな場所(病院)で過ごしてみて、たくさんのスタッフと接して、体感的にわかった気がします。どの人も、どの職業も、みんな大変で、みんなその中でがんばっているのですね。
幸い、取った胆嚢に腫瘍などの兆候はありませんでした。
よかったよかった。
もう当分、病院にお世話になりたくはないです。身体をいたわりつつ、また自分もできることを一所懸命やっていきたいと思います。
入院日記におつきあい下さり、どうもありがとうございました。
この記録が、これから胆嚢摘出する方の気持ちを支えたり、医療関係者の皆様の患者理解に役立てばうれしいです。