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水草のような私と自己肯定感


気がつくと最後の投稿は1月.... なんて筆の遅い人間だろうと反省してしまいます。2月の末から大学生活が本格的に始まった!...と思った瞬間に新型肺炎の影響で色々なものがストップ...私の大学も5週目以降はオンラインとなってしまいました。3ヶ月ほど引きこもっていましたが、自宅にいるなりに色々なことがありました。

今日は、自己肯定感について、ちょっとつぶやいてみたいと思います。

最近よく、「子供の自己肯定感を伸ばす」とか、「日本人は自己肯定感が低い」とかを耳にします。

私は『自己肯定感』って聞くと、なんだかきついヘルメットを無理にかぶった時みたいな、窮屈な気持ちになります。

別にネガティブな言葉でもないのに、変ですよね。

でも、私は自己肯定感よりも、『安心感』を推したいと思っています。

しばらくオーストラリアで過ごしてきて、自分が『どうしたいか』を見つめることが大切なのではと思うようになりました。

将来の目標とか、大きなことじゃなくて良いんです。

例えば、今まで人に見せなかったオリジナルのキャラクターを、友達と共有してみる、とか。人目を気にして敬遠していたファッションを試してみる、とか。自分のしたいことを、やってみる。分かってもらえないかもって伝えなかったアイディアを、どんどん共有してみる、とか。

そうしてみると、周りの人からの意外な反応があったり、そこから広がることって結構あるんだなということに気づきました。

私は子供の時からのトラウマもあって、川の流れに合わせて動く、水草のような人間です。いつも状況を見て行動を決める。

でも、時には自分の大切にしたいことをしっかりと見て、動いてみるってありだなあと思うようになりました。

こんな風に思えるようになったのは、きっとこちらに来てから本当に色々な人に出会って、全く異なった価値観に触れたから。みんな自分の価値観を大切にしながら、相手の価値観も程よい距離から観察して、受け入れる、そんな素敵な人たちに会えたから。繕わなくても、そのままで受け入れてもらえる、という安心を知ったから。「私は私よね」って笑いながら言っちゃうような、そんなのもありなんだなって知ったから。

特に子供達にとって、大切なことは『自己肯定感の育成』とかガチガチの漢字の羅列ではなくて、彼ら彼女らが安心して自分を出せるような、そんな環境を作ることなのかなと。それはきっととても単純で、とても難しい、大切なこと。ふとそんな風に思うようになりました。

ただのつぶやきなので、オチも何もなく、すみません。またちょっとずつ更新していきます。









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