〜美しさの定義〜 私が約2年オーストラリアに住んで思ったこと
前回の投稿から、少し間が空いてしまいました。
今回は、「美しさ」について、少し語ってみたいと思います。
ここでいう美しさとは、男性や、世間が女性に対して使う、形容的な美しさです。
幼少時からアトピーがひどく、いわゆる外見にまつわる、ネガティブな経験を、少なからずして来ました。
その中でも、よく覚えているのが、外出中に、親戚にアトピーの腕を、彼の知人に見せてごらん、と言われた時。名前もよく知らないおばさんに、瘡蓋だらけの腕を見せました。吐息がかかって、かゆくなり、思わず掻いたら、瘡蓋が剥がれて、出血。「うわああ」という、彼女らの、明らかに気持ちの悪いものを見た、と言わんばかりの声は、今でも覚えています。すぐに親戚に、「人前で掻くんじゃない。」と叱られました。まだ、5歳ぐらいの時だったでしょうか、この時に初めて、「ああ、私の肌って、人に見せられるものじゃないんだな。」という認識を持ちました。
その次は小学校で、クラスでちょっとしたいじめに遭い、母が担任の先生に相談。翌朝、朝会で、先生は私と、もう一人、同じようにアトピーのある子をクラスの前に立たせました。「この子たち、肌が荒れちゃってるよね。この子たちのことを、気持ち悪いって言った人たちがいます。かわいそうだよね?この子達だって生きてるんだよ。二度とそんなことしないように。」幼いながらに、流石にこれは違うだろう、と心の中で叫びました。その時から、学校に行くことが苦痛になって、行かなくなりました。
高校に上がった時、アトピーが悪化し、もともと病院に行かない家庭の方針を曲げて、渋々病院に行きました。私の顔を見た瞬間に、お医者さんの一言。「女性なのにかわいそうだ。」回された皮膚科の女医さんも「女の子なんだから、綺麗じゃなくちゃね。」 じゃあ男なら綺麗じゃなくても許されるんかい。
そもそも、美しさの条件だとか、綺麗さだとか、誰が決めているんでしょうか。
綺麗な肌って、どんな肌でしょう?Instagram やtiktok 、化粧品の広告は、いつもこれが「美しい」顔、髪、唇、爪、肌...「こうすれば美しい」「このイメージになるために、この商品を買わないと」と、人の、特に女性の身体のパーツパーツを、商品化、産業化しているように思います。
ですがそもそも、そんなイメージは幻に過ぎません。だって、それが現実に存在したら、商品が売れないから。広告にならないから。
なんで、他人の美的感覚にこっちが合わせねばならないのでしょうか。作り物のイメージと自分を比較しないと、自分を認められない、好きになれない。
それって、どんなに不健康なんでしょうか。
人前で掻くと他人に不快感を与える?
そんなの、知ったこっちゃないよ。痒いもんは痒い。
化粧もできないなんて、社会人として恥ずかしい?
化粧の下でボロボロになっていく肌。自分の健康を害さないと手に入れられない安全で心地よい社会って、なんなの。そもそも、自分のためにするものでしょう?
そんな風に、「こうじゃなければ美しくない」「肌が多数派と違えば劣等、かわいそう」って、一辺倒なイメージを、誰一人として同じではない私たちに押し付けないでほしい。
「綺麗じゃなきゃ意味がない」なんて、親は子供に、恋人はパートナーに、自分は自分に、絶対に言わないでほしかったし、これからも言わないでほしい。
あなたはあなたのままで、そのままで、十分、ユニークで美しい。
どうか、一人一人が、自分の、自分だけの美しさを追求して、お互いに認め合えるような社会に、少しでも近づけますように。この投稿が、同じように悩む人に、少しでも届きますように。