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朗読専用劇場 rLabo.のオープンまで
朗読の可能性に魅力を感じ、約20年間オリジナル朗読作品の公演を中心に活動してきました。昨年、さらなる一歩を踏み出そうと、朗読に特化した空間を仲間と共に京都二条城の南側にオープンさせました。
20席足らずの場所ですが、ここから朗読の魅力を発信していきたいと思っています。
◎20年前の決断、劇場を離れる
今から20年前、私は京都を拠点に、小劇団(いわゆる小劇場の演劇ユニット)の役者として活動していました。「朗読」という表現形式と出会う以前のことです。
その時、小劇場(演劇を主体とした劇場)の舞台に立ちながら感じていたのは、もう少し立地のよい場所で公演ができないかという点と、劇場がもっと開かれた空間にならないかという二点でした。
京都にはいくつか小劇場がありましたが、四条界隈といった市街地ではなく、バスでしか行けないような不便な場所にあり、実際に見に来てくれた友人たちからも、「遠い」という声を聞いていたのです。
また、当時の演劇空間はかなり特殊でもありました。
会場に着くとビニール袋を配布され、靴を脱いでそこに納め、桟敷や木製のベンチに座る。人気の公演ともなれば、満員の状態で観客同士が密着する。決して快適な環境とはいえません。ですが、この秘密基地のような場所で、演劇ファン同士が興奮を共有することこそ小劇場の醍醐味でもありました。
しかし一方で、これは、演劇に関わったことのない人が、何気なく足を踏み入れる雰囲気ではなかったと言い換えることもできるでしょう。小劇場の内と外には、明確な一線が引かれており、その線の存在にどことなく寂しさを覚えていたのは事実です。
映画や音楽ライブのように観客が気軽に足を運び、観劇という習慣が日常の一部にならないか――私(とユニットのメンバー)は常々そう思っていたのです。
そのためには、観客にとってだけでなく、私たち自身にとっても、表現することがもっと日常的でなければならない。年に数回の特別なことではなく、毎週のように活動できる表現スタイルを探したい。できることなら、駅の近辺など交通の便がよく、入りやすい空間で公演を行いたい……。
そして、私たちは大きな決断を下すことにしました。
今までの劇場から離れてみよう、と。
◎朗読との出会い
その頃、私たちが創作していたのは言葉のリズムを追求するような会話劇でした。大きく身体を動かすようなものではなかったという特徴もあり、今でいうところのカフェイベントの形で、街なかにある喫茶店やバー、ギャラリーなどに企画を持ち込みました。
すると有難いことに、いくつかのお店やスペースが協力を申し出てくれたのです。
これで、立地的にも足を運びやすい会場で、開かれたイベントになると喜びました。そして何より、私たちにとって、表現が日常的な行為になるだろうと期待もしました。あとは、納得のいく表現を追求し、活動を続けていこうと。
しかし、公演を重ねていくうちに、小さなカフェやギャラリーでは、観客との距離やアプローチに違和感を覚えるようになったのです。
役者と観客、互いの視線が行き場を失ったような感覚――。
この違和感を解消するには、どうすればよいのか。
そこで私たちが選択したスタイルが「朗読」だったのです。
朗読の場合、観客は読み手を見ているようで、実際に見ているのは「イメージ」です。朗読作品を聴きながら、観客自らが映像を生み出します。そのため、イメージの妨げにならないよう、読み手側はテキストに視線を落とします。客席にじっと目を向けることはしません。そのプロセスが演劇とは大きく異なる点でもあります。
読み手と聴き手が同じ場にいながら、互いにイメージを作り上げていく。つまり、そのイメージが映画のスクリーンのような役割を果たすことになるわけです。
そのスクリーン上には様々な風景が映し出され、ズームイン、ズームアウトも自由に行われます。そこには無限の想像の世界が広がっているのです。たとえそれが、小さな空間であったとしても……いや、小さな空間だからこそ逆に活きてくるというべきでしょうか。
こうして私たちは劇場を離れたことで、「朗読」という表現に辿り着いたのでした。
◎20年後の決断、自分たちで朗読専用劇場を
それから、20年という月日が流れました。
試行錯誤を重ねながら、私たちは真剣に朗読に向き合ってきました。
あの時、私たちが下した決断は多少なりとも実を結んだという自負もあります。あの選択が間違いだったとも思いませんし、後悔もしていません。
ですが今、ふと振り返ってみると――。
私たちがこの20年の間に描き続けた未来像と、今現在の朗読を取り巻く環境の間には、大きなズレがあったと言わざるを得ません。
朗読は身体一つでも完成する表現です。今日、たった今から誰もが始められます。この気軽さによって、多くの人が取り組みやすい点はメリットであり、また、朗読が芸術や文化として育っていくためのきっかけともなるでしょう。
しかし一方で、その気軽さゆえに、表現としての価値が影を潜めていると感じる場面に出くわすときもありました。朗読が子供たちへの読み聞かせや、ボランティア活動の一環だと捉えられることも多く、聴き手側だけでなく、読み手側もそう思い込んでいる場合さえあったのです。
確かに朗読人口は増えました。ですがこのままでは、朗読が成熟するまでまだまだ時間がかかる。きちんとした基礎技術を土台にし、表現としての朗読へと昇華させることが私たちの想いなのです。
そのためには、朗読に特化した空間が必要なのではないか。
たとえ小さな空間であっても、朗読が朗読として磨かれていく場。読み手と聴き手が朗読を論じ合い、その可能性を追究し合えるような場が必要なのではないか。
そんな風に思うようになったのです。
そして今、ここで原点回帰です。
2020年7月19日(日)、朗読専用劇場rLabo.(アールラボ)を誕生させます。
【*rは朗読roudokuの頭文字】
私自身、朗読を知っていくうちに、他の芸術には代えられない独自の魅力があることに気づきました。「知る」には、たくさんの朗読を聴くことが重要です。聴く楽しさが、朗読を語る楽しさになり、新たな読み手を生むことにもつながるのです。
一人の読み手、一人の聴き手がここで出会い、互いに成長する。
アールラボは、そんな空間でありたい。
朗読という表現が更に広がりを見せ、文化として根差していく未来を願って――。
『朗読専用劇場 rLabo.オープンによせて (2020.7.6)より』