思考の過程① 会話
クラスメイトの会話が飛び交う教室で孤独を感じていた。会話しているところに私もいたのだが、ポンポンと軽快に、弾むように飛び交う会話は私にとっては別次元に存在する高度知的生命体によるものに感じられた。
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実際、私は言葉を発するまでに時間がかかる自分にコンプレックスを抱えていた。幼少期、軽妙な語り口でまわりの子たちに人気があった私の幼なじみを、私は羨ましく感じていた。反射的に言葉を発する彼がまわりの子たちの人気を一身に浴びている。私はあんな風にはとても振る舞えない。
中学生になると会話によるコミュニケーションはより重要になる。軽い冗談を言い合ったりユーモアとして相手を揶揄してみたり、気の合う仲間内の暗黙のルールや内輪でしか使ってはいけないセリフなど、言葉は複雑な装いを帯びてくる。
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私は私の中を探ることを試みた。
私の中で何が起きているのか。
私は他の子たちと何か違っているのだろうか。
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私の思考の過程①「中学校の教室にて」
私がクラスメイトの発する音を耳で感知する。
私はその音を言語として認識する。
私が認識した言語は誰が発したものかを確かめる。
私は発っせられた言語が誰に向けて発せられたのかを確かめる。
発せられた客体が複数の場合、それぞれどう受け止めるかを予想する。
それぞれの客体の感情の動きを読み取る。
読み取った感情に間違いがないか注意深く探る。
それぞれの感情に配慮した上で、言葉を選び始める。
言葉を選んだらそれぞれにどう影響するかを予想する。
予想において誰かがいたむようであれば、言葉を選びなおす。
選びなおした言葉がそれぞれにどう影響するかを予想する。
誰もいたまないようであれば、言葉を音に変換する。
音程、テンポ、間の置き方、大きさを調整する。
ちょうどいいところを見つけたら、声として出力する。
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これで追いつける訳がない。でも私にはこの過程がどうしても必要だった。これをクリアしなければ言葉を発することはできなかった。発することができたのは極限まで怒っている状態の時だけだった。冷静な状態、ニュートラルな状態ではこの過程を経てからでなければ、誰にも何も言えなかった。
そんなとき、神戸連続児童殺傷事件が起こった。
当時、犯人の酒鬼薔薇聖斗と同い年の私たちは、メディアなどから「きれる14歳」と一括りにされ、学校では緊急の全校集会、学年集会が行われ、大人たちから謂れのない警戒心を抱かれたことを私は忘れない。
その後、西鉄バスジャック事件、秋葉原無差別殺傷事件など、私と同い年の彼ら彼女らが起こした事件を、他人が起こした事件だと端に寄せたことはない。
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私の中に発見した思考の過程、私の外で起こったこれらの事件は、いつの間にかどこかで結びつけられた。
以降、私はこうした事件の背景に養育の問題があることに辿り着き、その学びを15年以上続けることとなる。