なたと少年
風もなく雪がまっすぐに落ちてくる。
刃渡り15㎝のなたを持って、ひとりで少年は松林に入っていく。
入口から海へ続く1kmほどの砂利道は、車1台分の轍がついている。
少年はその砂利道から逸れて、松の生い茂る林の中へと入っていく。
少年は140㎝の身体を積もった雪の上に投げ出す。
少し灰色がかった空は松の樹に切り取られている。
松の枝の間をいとも簡単にすり抜けて、まっすぐ雪が落ちてくる。
少年は大きく口を開けて舌を出し、落ちてきた雪をつかまえる。
右手のなたが少年を急かす。
しばらく雪と戯れて、少年は飛び起きる。
何か大きな動物の気配がする。
少年は息を殺して、気配のした方向に慎重に進む。
雪を踏む音が邪魔だ、絶対に何かがいる。
少年は瞬きもせず、右手のなたを握りしめる。
雪の向こう側、林の奥、遠くに大きな影が動いているのが見える。
鹿より大きくて、熊より大きくて、ゆっくり動いている、一匹で。
少年は自分の存在が気づかれていないことを確認して、大きな影に合わせて動く。
松林の向こう、海に向かって歩いていく大きな影。
少年は猫になり、なたを持つ右手だけは人間のままで歩く。
気づくと松林を抜けて海辺まで来ている。
砂浜は隠れる場所がないから、少年は松林の中を横に移動して、大きな影と距離をとる。
大きな影の左側に回って、海辺にいるそれと対面する。
ニホンカモシカだ。
少年の目にはヘラジカのような大きさに見える。
ニホンカモシカは少年に気づいても悠然と砂浜を歩く。
その姿に圧倒されながらも、少年はさらに近づきたい衝動に駆られる。
少年は猫から、右手になたを持つ人間になる。
その瞬間、ニホンカモシカが少年を見る。
少年は思わず立ち止まる。
雪がまっすぐ落ちてくる。
波の音は聞こえない。
少年は緊張と興奮でますます人間になる。
高まった緊張の中、ニホンカモシカは不意に大きな躯体を翻して、松林の方へと走る。
少年はこうなったら決して追いつけないことを知っている。
少年はその場に立ち尽くし、野生のニホンカモシカを初めて見た興奮を味わう。
まっすぐ落ちる雪の中で少年は口を開け、舌を出して雪をつかまえる。
誰もいない砂浜で、少年は右手になたを持ったまま、右へ左へ跳ね回る。
轟く海と風のない空に向かって、少年は言葉にならない叫びをあげる。
右手のなたと、少年の魂が燃えている。
少年は走り出し、松林の道のない藪の中に分け入り、自分の前にある松の枝や低木をなたで払いながら進む。
今来た道を、今見た姿を、今味わった興奮をなたに込める。
少年の後ろには高さ140㎝のトンネルのような道ができる。
少年の後ろには少年の小さな足跡が雪の上に続いている。
あの先にはニホンカモシカがいる。
いつまでもニホンカモシカがいる。
少年のニホンカモシカがいる。
右手になたを持ち、魂に炎をともす少年がいる。