ライブを直前にして、平沢進への愛を語る
(初めて平沢進のライブに行く新幹線の車中に謎の気分の高揚でこの記事を書いています)
平沢進のライブに行くのか俺は!マジか!
俺は鼓膜の寿命の半分を平沢進に捧げようと思っているぐらい平沢進の音楽が好きで、どれぐらい好きかというと一日は24時間あるがその内5時間ぐらいは彼の音楽を聴いている。実際この記事も彼の音楽を聴きながら書いている。そして彼の音楽を好きすぎるがあまり、彼の音楽を全てブロックしている。意味が分からないと思うが、どういうことかというと、彼の音楽を聴きすぎるがあまり、他の作業が手につかないのだ。家事も宿題も何も手がつかないまま、彼の音楽を聴き続けて気付いたら数時間経っていることがたくさんある。故にchromeの拡張機能で「平沢進」をブロックしている。「平沢進」という文字が存在しているページに飛ぶと強制的にブラウザバックさせられるようにしている。要はアルコール中毒者がその克服のために居酒屋のある道を避けるのと同じだ。好きすぎてもうよく分からないことになっているのである。
「大正解!大好物はヒラサワァ、あれはもうたまんねぇよなぁ!あれは人をどうにかさせるぜ、聴けば聴くほど心地よいんだ!そして4年間聴き続けたらこうなっちまった。全く…平沢のパワーってすげぇよな…。」
そしてここまで記事を見てくれている内の何人かが思っているだろうが
いや平沢進って誰やねん!!
もうこの記事は平沢進を知っている人に書いているんだけど一応平沢進を説明すると
とのことだ。他にもvocaloidを初めて映画で使った人だったり、CDの時代に率先して今では主流のデータでの音楽配信をしていたり、有名どころで言うと米津玄師が人生を変えた一曲として彼の曲「Mother」を挙げていたりする。御年67歳。
で、結局平沢進の音楽の何が凄いの?
自分でも平沢の音楽が何故凄いのか言語化したことは無かったのだけど、多分それは意外性なのではないかと思う。僕はクラッシックからヘビメタまで色々なジャンルの音楽を大量に聴くが、彼の音楽ほど意外性に富んだ音楽は他に聴いたことが無い。彼の作る音楽は常にどこでも聴いたことが無いような我々の経験の外の音楽なのだ。
パレード(一応初見向けの選曲のつもり)
彼の音楽は僕たちが日々様々な音楽を聴くことで作り上げた「これが音楽というもの」という像を容易に破壊してくる程の独創性や意外性を持っている。故に「平沢進の音楽ってどんなの?」と言われても答えられない。彼の音楽はどの音楽の系譜にも無くほぼ独立して存在しているから、何かジャンルに当てはめることが出来ない。故にファンの間では「平沢進は平沢進というジャンルだ」とよく言われている。
そしてもう一つ平沢進の音楽の大きな魅力というのが
聴いたことが無いんだけど、聴いたことがあるような感覚
何を言っているのか分からないと思うが、本当にそうなんだ。彼の音楽は初めて聴くはずなのに遠い昔からその音楽を知っているという感覚をもたらす。実際ファンの間でも「昔に絶対に聴いたことがあると思ったから、両親に確認したが平沢進を子供の頃に流したというようなことは無いと言われた」みたいな事例をよく耳にする。米津玄師もラジオで「聞いたことが無いような新しい音楽なんだけれども、でもどこかに懐かしさとか郷愁感を宿している」と表現していて、多分平沢音楽を聴いた皆が思うことなんだろう。僕もHuman-leという曲を聴いたとき強い懐かしさを覚えて「これは絶対に3歳ごろに聴いたことがある」と確信を覚えたのだが、その曲は2018年発売だった。
これは例えばあなたがアンパンマンの曲を聴いて懐かしさを感じるのとはワケが違う。それはアンパンマンの曲自体が懐かしさを備えていたわけではなく。あなたが幼い時にアンパンマンを見て、それからだいぶ時間が経って久しぶりに聴いた事実に懐かしさが備わっている。しかし平沢進の音楽はそれ自体に懐かしさが備わっている。アンパンマンのような特定の事柄に結び付くことなく、懐かしさだけを発生させることが出来る。この時恐らく人間の認知として、独立して懐かしさだけが発生することはあり得ない為、平沢の曲が懐かしいのだと、平沢の曲を昔から知っていたと錯覚するのではないかと僕は考えている。新しさと懐かしさという矛盾した両立を成しているのだ。
何ですかこの懐かしさを抽象化したようなイントロは
そして平沢進の音楽の中でまた際立つのが素晴らしい歌詞だ。
とは言っても、彼の曲の歌詞のほとんどは
全く意味不明
である。
以下、夢見る機械の歌詞の一部である。
ヴォイニッチ手稿を逆さから読んでもこんな歌詞は作れない。しかし僕は元より意味不明な文章が好きで自分で創作もしたりしていたので、この歌を見つけた時「て、天才だ…」と思った。
そして察しのよい人は気付いているかもしれないが、平沢進のファンになった暁には友達とカラオケに行くということが無くなる。当たり前だ、友達が突然知らない歌を入れたと思えば意味不明な文章を歌い続け、挙げ句にサビでこんなポーズをとる↓
このような体験は友達からすればいかなる悪夢よりも悪夢だ。平沢進のファンはそれを用意に想像できるのでカラオケで何も歌わなくなる。というか出来るだけカラオケに行かないよう立ち回る。逆に友達を辞めたい時は効果的だろう。特に「聖馬蹄形惑星の大詐欺師」を歌うと良い。
この歌は「ハァ-イッ!ハイッ!イヤハハイャァ!ハッ-!ハァ-ァ?フゥ-ゥ♪」という歌い出しで始まる。え?いやだからマジで「ハァ-イッ!ハイッ!イヤハハイャァ!ハッ-!ハァ-ァ?フゥ-ゥ♪」って歌詞で始まるんだよ聴いてみろよ。
ね?マジで「ハァ-イッ!ハイッ!イヤハハイャァ!ハッ-!ハァ-ァ?フゥ-ゥ♪」で始まったでしょ?
しかし最も不幸なのは息子の部屋から「ハァ-イッ!ハイッ!イヤハハイャァ!ハッ-!ハァ-ァ?フゥ-ゥ♪」という歌声が聴こえてくる僕の親だろう。
そしてこれだけ歌詞も音楽もぶっ飛んでいるのだから、当たり前だが
ライブも最高にぶっ飛んでいる
まず、FUJI ROCK2021でトリを務めた平沢進は宇宙服を着て舞台に登場した。
もはやファンはこの程度ではあまり驚かない。
他にもライブ中チェーンソーを振り回したり
当たり前のようにテスラコイルを楽器として使ったり
わけの分からない人がわけの分からない物に乗ってわけの分からない曲を演奏していたり
平沢進が次のライブで何をしでかすかは、コウメ太夫のフリからオチを予測するぐらい予測不可能だ。
そして今まで平沢進の作品の凄さについて語ってきたが、今度は
平沢進自身の凄さ
について語ろうと思う。平沢進はいい意味でも悪い意味でもぶっ飛んだ人間で、凄いところは沢山あるのだが、僕が一番すごいと思うのはその尋常じゃない活動量だ。
以下にここ3年ぐらいの平沢進の活動をまとめた。改めて言うが、彼は御年67歳である。
そして以下に僕のここ3年ぐらいの活動をまとめた
でも、普通人間ってこんなもんじゃないだろうか?特に大学生。彼が異常なのだ。僕のおじいちゃんだって毎日酒を飲むか犬の散歩かテレビを見るぐらいしかやってることはない。ましてや一年の内に2回ライブをして、アルバムを作ったりはしない。でもそれがおおよその年金受給者だ。彼はいかなる若者よりも若い体力と精神力を持っている。凄すぎる。
さいごに
正直彼の魅力はまだまだあるのだけれど、改めてこの文章を見返してみると67歳のおっさんに恋文を書いてるみたいで気持ち悪くなってきたし、もうすぐ東京に着きそうなのでここで終わります。
帰りなさい
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