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アウシュビッツ強制収容所の見学予約と行き方のご紹介・ポーランドクラクフ散策
アウシュビッツ強制収容所と聞いて、知らない人はほとんどいないのではないでしょうか。日本は第二次世界大戦中、多くをドイツから学び実行してきた歴史があり、実はアウシュビッツで行われていた非人道行為の中には、私たち日本人として知っておくべきことが多く含まれています。
東洋人にとって馴染みのない場所かもしれませんが、私たち日本が戦勝国(加害国側)だった歴史の多くを学んできていない中、決して知らぬままにはせず、ぜひ機会があれば訪れてほしい場所だと強く思います。
アウシュビッツ強制収容所はどこにあるのか
無知にも私はドイツにあるものと思っていました。歴史の勉強不足です。アウシュビッツ強制収容所は、二号館であるビルケナウ強制収容所ととともに、ポーランドのクラクフという地域にあります。
ベルリンからクラクフのフライトはライアンエアーで1時間半。
合計 往復1万円ほどで訪れることができました。
クラクフってどんなとこ?
クラクフ中央駅をおりたらまずは旧市街があります。とても綺麗な地域です。
北の入り口は14世紀頃に建てられたフロリアンスカ門があり、中世の趣を感じることができます。
St. Florian's Gate
https://goo.gl/maps/yaSwmsoe6L4o6U4k6
ポーランドの京都と言われるクラクフ。
第二次世界大戦中に、ドイツ軍の司令部が置かれていたことから戦火を逃れ、昔ながらの街並を残し、現在では世界遺産に登録されています。
13世記に建てられたゴシック様式の聖マリア教会は、細かい装飾や彫刻がすばらしい内装となっており、その中央広場は多くの人で賑わい、華やかに飾られた馬車が行き交います。
St. Mary's Basilica
https://goo.gl/maps/m4abavat8RWrdPKYA
中央広場
https://goo.gl/maps/xBpmxdhtQBFb4L8E7
共産主義政権時代の福祉政策として作られたミルク・バーといわれるとレストランはとてもお値打ち価格。今もなお、庶民の台所として、国や自治体からのサポート受けながら営業しているそうです。
Smakolyki Restaurant
https://goo.gl/maps/MaFtUaSUcUWaJJPQ8
旧ユダヤ人街のカジミエシュ地区
旧市街から歩いて20分ほどのところにあるカジミエシュ地区。ここはかつて多くのユダヤ人が暮らしていた場所です。
14世紀にユダヤ教徒の保護のために作られたこの町は、ユダヤ人地区として繁栄しましたが、第二次世界大戦時のユダヤ人迫害により、長らく廃墟となっていたそうです。
ここでは多くのヘブライ文字の看板や、ユダヤ教のシンボルを目にすることができます。
今も残る歴史ある建物をレストランやカフェにリノベーションし、現在では若者に人気のスポットとして生まれ変わりました。
アウシュビッツ強制収容所へ向かう
翌日、私はクラクフからバスで1時間半のところにあるアウシュビッツビルケナウ強制収容所に向かいました。
Memorial and Museum Auschwitz-Birkenau
https://goo.gl/maps/fTjXeBJY6T2JeEjk9
博物館専任ガイドのもと、10人弱のグループで合計3時間半ほどかけて収容所内を巡ります。強制収容所はオシフィエンチムという場所に、もともとあった8つの村を強制退去させたあと建設されました。
1940〜1945年に起きたこと
1940年、まず初めに収容されたのはポーランドのユダヤ人と政治犯と呼ばれた人たちでした。
続く1942年までの間にチェコ・スロバキア・フランス・ベルギー・ユーゴスラビアなどからユダヤ人が輸送され、ガス室の運用が開始されました。
このころに日独伊軍事協定が締結され、日本は香港・マニラ・ビルマを占領します。
1943年になると、ジプシーや同性愛者も収容され始め、一部の民間企業による強制労働が活発化します。
翌年の1944年には収容者と外部のレジスタンスの情報伝達により、連合軍側に収容所の内情が漏れはじめます。この年、ハンガリーから収容人数としては最大の43万人もの人の移送が行われました。
そして1945年、旧ソ連軍の介入によりアウシュビッツは幕をとじます。
アウシュビッツ強制収容所の歴史を知る
クラクフにあるガリシアジューイッシュミュージアムで、一連の歴史を知ることができます。こちらでは、実際に移送を強いられたとある家族の苦労の連続が全て記録されています。移送と言っても実際にただ列車で送られただけではなく、それまでの間にナチの手を逃れようと、ポーランドの東側、西側に行ったり来たり。これが極寒の中行われたわけです。家族の中には老婆も含まれていました。
Galicia Jewish Museum
https://goo.gl/maps/Rq3Sy5tfHR1roVe66
アウシュビッツビルケナウ強制収容所は、墓地であり、記憶の場であり、教育の場である博物館として、それら全ての役割を果たしています。
以下のPDFでは、公式的な資料の日本語版を読むことができます。そもそもの時代背景から、現代の博物館としてのありかた、未来へのミッションまでとてもわかりやすくまとめてあるのでぜひ一度読んでみてください!
出典:
PAŃSTWOWE MUZEUM AUSCHWITZ-BIRKENAU(日本語版)
http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf
アウシュビッツ強制収容所への行き方
アウシュビッツビルケナウ強制収容所は基本無料で見学ができますが、当日入れないケースもあるようなので、ウェブサイトから予約をしてから訪問することをお勧めします。(詳しくは動画内で解説しています)
アウシュビッツビルケナウ強制収容所に行くには、クラクフ中央駅東側にあるバスターミナル2階でチケットを購入します。
カウンターで、①オシフィエンチム駅行き②希望乗車時間を伝えて購入(約 15PLN)します。
事前に現地ガイドを予約している場合遅くとも20分前までに到着できるようにしたほうが良さそうです。
バス乗り場は1階にあります。
チケットは事前購入できても席の予約ができるわけではないので、乗り込む際に並ぶ必要があります。
そのためこちらも20分ほど前には並んでおいた方が良いでしょう。
バスの時刻表
http://www.lajkonikbus.pl/krakow---oswiecim.html
過去の動画たち
1年間で上級レベルまで到達できるか大会 #1 目標設定編
https://youtu.be/YqYEmYeEqiY
35歳人妻としっぽりエア飲み語らい #2
https://youtu.be/Php48Cw-Oq0
35歳人妻としっぽりエア飲み語らい #1
https://youtu.be/jm9VPzST1yY
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https://youtu.be/YlhSvjIHLHo
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https://youtu.be/_PbFMclQUHk
【人妻の初体験】ドイツのフリーランスビザ申請方法まとめ #1
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