春の匂いと、一抹の寂しさと、奇妙な安心感(22日目)
大学の仲良い友達と3人で遊びに行った。
電車で隣の駅近くの店へ。ご飯を食べながら、コロナで潰れた卒業旅行のキャンセル料をなんとか取り返せないか作戦をたてた。無印、靴屋、ユニクロ、パン屋、本屋。帰りは電車は使わず散歩しながら帰った。
なんてことない1日。
でも、4月からそれぞれの場所で新しい生活がはじまる。学生から社会人にステージが変わる。
2人と別れたあとの自宅までの帰り道で、少しの寂しさを感じた。今日はわりと暖かく、春の匂いがしていたせいかもしれない。
変わっていくものの中には、もう戻ってこないものもある。多感な時期は終わり、学生という肩書きを名乗れるのもあと1ヶ月ほどだ。強制的に次のステージへ進められる。進まなければならない。
感情がこの数年で鈍くなったと感じることは多い。
「綺麗だ」「かわいい」「楽しい」「悔しい」「ムカつく」「恥ずかしい」
間違いなく、自分に揺さぶられることは少なくなった。大人になったといえば聞こえはいいが、感情が死んでいるとも言える。自分を制御出来てしまう。いや、制御する必要がないのだ。
だから、今日の帰り道の自分に少しほっとした。まだ大人になりきっていないことに。「そういう自分」はこれからも、出来たら一生残していきたいからだ。だからこそ、自分の感情の所在は常にはっきりさせておきたいと思うし、これからも見つめ続けていくだろう。
たぶん、大人でありながら、子供でもあり続けたい。欲張りな話だ。でも、これも自分らしさだ。
一抹の寂しさと、奇妙な安心感を抱えながら自宅へ向かった。学生が終わるまで、あと1ヶ月。