見出し画像

マイクラとチキンと私の家族のお話

マイクラとチキンと私の家族のお話

我が家には家族の一員として文字通り一緒に過ごしているニワトリさん(のぬいぐるみ)がおります。
娘たちが学校に行っている時間はお留守番ですが、ご飯を食べる時、寝る時、旅行に行く時、スーパーに買い物に行く時、とにかく一緒についてきてくれます。

名前は「チキン」。

そう彼女(我が家ではメス)はマイクラがきっかけで我が家にやって来てくれた、我が家の大切な三女なのです。

きっかけは某お笑い芸人さんがやっていたゲーム実況のYoutubeでした。
ゲーム好きな私と主人はその芸人さんが実況していたマイクラにすぐに飛びつき、ほどなくして当時年小学校1年だった娘達(双子です)も少しづつプレイするようになりました。

小学校1年生が終わる頃、「1年生頑張ったご褒美で何か買ってあげるよ」と言った私に、娘達は「マイクラのチキンのぬいぐるみが欲しい!」と答えたのでした。

まあそこまでは割とよくある話なのかもしれません。

さて、我が家にやってきたチキンのぬいぐるみは、娘達の大のお気に入りになりました。
娘達は本気でチキンを家族の一員として受け入れ、ご飯を食べる時、寝る時、遊びに行く時はつねにチキンと共にいる生活が始まりました。

落書き用にお絵描きする画用紙は全てチキンの絵で埋まり、覚えたてのフェルトはお手製チキンアイテムで埋まり、お父さんのお手紙にはチキンの事(というかマイクラの事)しか書いておらず、「裸のチキンが可哀そうだ」と言って、おばあちゃんに頼んで「特別なチキンのお洋服」を作ってもらったりしました。

我が家どこで寝れば論

おばあちゃん、チキンの寸法を測り型紙を起こしたそうです。着物もリメイク後チキンに行くとは思っていなかった運命の出逢い。

さて、チキンで埋まった画用紙に若干の「追いつかなさ」を感じた私達は、娘達にお絵かき用のタブレットをプレゼントしました。このままだと狭い我が家のマンションはチキンの絵を描いた紙で埋もれて命に危険が及ぶ可能性があったからです。

家にいるおもちゃ達と全世界を旅するチキン(リーダーはチキン。いや娘達よ、宿題はどうしたのだ)

タブレットを手にしてから、タブレットの絵は「チキンちゃん」で埋まり始めました。チキンの作品は1000作品を超え、チキンが描いてない作品を探す方が難しくなってきました。というか脳みそがチキンの形になってしまっていると思われました。

コロナ下でも流行に敏感な羽柱チキン氏 (描いてる間に九九忘れてる疑惑発生)

レゴのマイクラももちろん部屋の隅っこに標準装備され(レゴのマイクラは「オーバーワールド」という名前がついているそうです)、その日の気分で触ったりほこりを被ったりしています。

もちろん原点である「マイクラ」の方にもチキンへの愛は惜しみなく降り注がれました。

娘達はチキンをメインとした「チキン町」を制作し、チキンのモニュメントやチキンのレストラン、チキンの映画館、チキンの動物園、とにかく「チキンを愛する、チキンラバーの為の、チキンの町」をひたすら制作し、その面積をひたすら拡大していきました。

チキンの魔境に埋もれるチキン達

さらにチキンちゃんを通じて「にわとり」そのものに興味が湧いてきた娘達は、ありとあらゆる「にわとりグッツ」収集にも熱を上げるようになりました。

ガチャガチャをはじめ(ニワトリ狙いでもだいたい一発で出ないんですが)、観光地にある干支的なもの(旅行に行くとだいたい道の駅とかに超いっぱいある上に水晶とかだったりするんですが)、古今東西のニワトリグッツも我が家に集結し、謎のニワトリ祭壇が出来上がりました。

みなぎる鶏愛。感じるぜ熱視線。

コロナの波に飲まれ小学校が休校になってしまった時にも、チキンは娘達が生まれて初めて作ったキャラ弁に登場し、「チキン弁当」としてドヤ顔されたりしました。

え、どこがな…と思いましたが、クリエイターの意思を尊重

ええと、チキンってなんだっけ。
あまりに家族の一員となったチキンでしたので「そういえばチキンってマイクラのキャラだった」と思い出すのに時間がかかってしまったぐらい、チキンはナチュラルに我が家の一員になってしまいました。

もちろん汚れたら一緒にお風呂に入りますし、洗濯物と一緒に干されたりもしますが、チキンは我が家の三女であり、大切な娘達の妹であるようです。

そして三女チキンはまだ小学校に通っていないらしいので、私達は学校行事となるとチキンをこっそり小学校にお連れしました。

運動会の場所取りに精を出すチキン氏

教室の後ろで私のバックからちょこっと頭を出しているチキンを発見され、元気なジャリボーイに「あれマイクラのチキンじゃね?」など言われたりした事も1回や2回ではありませんが、チキンちゃんが楽しんでくれたのならよかったです。

明日は晴れるといいチキンね

ですがあまりに一緒にいすぎて、行方不明になった事も1回や2回ではありません。時にコンビニのトイレに、スシローの椅子に、チキンは置き去り(あるいは自分の意思で居残り)になってしまい、「あの、そちらにニワトリのぬいぐるみがですね…」と電話した事なぞ数えきれません。その度無事保護されたチキンは「うえーん、チキンはもうみんなから忘れられてるチキン~悲しいチキン~」とお母さんにイタコされ、半泣きの娘の元へ帰って行きました。

MAJIで忘れられる5秒前のチキン氏

さてそんなチキンですが、我が家の家族写真にはつねにチキンがおりますので、当然年賀状の写真にもチキンは登場致します。
時に富士山登山にチャレンジし、時に金時山に登り、時に小田原城を眺めました。

哲学者な背中を披露するチキン氏

夏休みには一緒に飛行機に乗り、沖縄のビーチを堪能致しました。チキンはマイクラの世界を超え、つねに私達と人生の旅を共にするパートナーとなったのです。

天井を見上げるチキン氏

チキンといっしょにすやすや眠る娘達を見て、「この子達はいつまでチキンと一緒にいてくれるのかな」とお母さんぽい事を思ったりもしますが、私の経験上好きなものって捨てられないで一生傍にいるものですので(お母さんは任天堂、マリオフリーク)、そんな心配もいらないかなと思いながら今日もチキンちゃんと娘を眺める我が家なのでした。

チキン、有難う、うちに来てくれて。みんなチキンが大好きだよ。コロナが終わったらまた一緒に冒険しようね。

沖縄名護パイナップルパークにてカメラ目線

追伸
そんな記事を書いている私の職場のデスクにもチキンがおります。有難うチキン。
お母さん今日もお仕事頑張るよ。

長文お読み頂きありがとうございました🐣🐥🐤🐔今日あたり洗濯しようと思います🐔

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?