【日記】若気の至りに胸焼けした1週間|2025.1.13~2025.1.19
1月13日(月) お酒は成人になってから
まっ黄色の車が駐車場に入っていった。
ここはコンビニ。随分と目立つ車だなと思っていた。
いつも通りコーヒーを買って自動扉を出ると、さっきの車の前でスーツの男性が数名、写真を取り合っていた。
あっ、今日は成人式か。祝日のスーツの集団は余計に目立つ。
いや、着慣れないスーツと若さが放つ強い違和感が目をひかれたのかもしれない。制服化したスーツからは、決して醸されない期間限定の空気感が眩しく、そして、かわいらしかった。
車だとお酒を飲みに行けないね〜と余計なお世話が頭をよぎる。
かという自分も成人したての頃は、お酒がおいしいなんて思えなかった。それから随分と月日が流れた今日、初めてのお湯割りに挑戦した。
好んで飲むお酒は、ビールにハイボール、冷えた白ワインと共通して冷たいものばかり。お酒以外の冷たい水分は全く受け付けないのだから不思議だ。年齢のせいなのか、最近の寒さのせいなのか。焼酎のお湯割で温まる夫がうらやましく、試行錯誤の末、ウイスキーをお湯割してみることにした。
適当な分量で割ったにしてはとてもおいしいかった。すこ〜しずつ飲み進める感覚が、プシュッとあけてグビっといってしまう喉ごしとは違う楽しみを与えてくれる。なんだか、大人になった気分。と、もう2回目の成人式をとうに過ぎ十二分に大人なことを棚に上げ、かぁ〜っと喉がうならせホットウイスキーを満喫した。
1月14日(火) 断れない
1日に2回も断った日。
そもそも断ることが苦手で、気乗りしない約束や無茶ぶられたタスクも、気苦労の方がめんどうで、イヤイヤながら引き受けてしまう。
ひとつ目のお断りは、日程がしばらく先のお誘い。どう考えても繁忙期真っ只中の候補日に、数分迷い、素直に状況を伝えてお断りした。こんなこと、わざわざ文章にするまではないのだが、わたしにとって即座に断れたことはめずらしい。一旦寝かせ熟成されたり、なんなら、ほんのわずかな希望をチラつかせ泳がすことさえある。今ならわかる。これはシンプルに失礼だ。
もうひとつのお断りは、仕事。2度目の打ち合わせで納期が変わり、対応が難しいことは一目瞭然だった。当初と話が違うことにうっすらと腹はたったが、いた仕方ない。その後、こちら側からお断りをした。
想定外だったのは、2案件ともにお相手の反応が好意的だったこと。自己都合でのお断りには、嫌味のひとつやふたつくらいなんて思っていた自分が恥ずかしい。考えれば考えるほど事態は拗れる。シンプルな思考は、心の中で紐が絡まることを防いでくれた。
相手の前に、自分がどうしたいのかを感じ取ろう。感情を抑えることが美徳だと教えられた古いタイプの人間は、潔い意思表示こそ人間関係をクリアにすることなんだと、やっとこ知るのだった。
1月15日(水) 芸人さんのお言葉
令和ロマンが昨年のM-1グランプリで2本目で披露したネタ中のひと言が、改めて心に沁みた今朝。
もうひとつ、我が家でブームを起こすは、
ママタルト 大鶴肥満さんのひと言。
ことあるごとに頭に浮かんで、やや困っている。
1月16日(木) 昨日・今日・明日
夫から送られてきた画像には、「昨日は昨日 大事なのは明日だ」と書かれたお寺の掲示物が写っていた。「今日はどこいった…」と返信すると「そう思った」と続けて返信がきた。
このところ、「今」に集中すること、気を向けることを心がけている。気がつけば、何かに取り掛かった瞬間、次にやることを探し、少し前のことを悔やみ反省している。お昼ごはん中に、晩ごはんの献立を考えることはザラだ。
先回りしたり反省を続けていると、1日何もやっていないという感覚がする。1日は1週間となり、やがて1年となり、生まれてずっと何もやっていない感覚さえしてくるのだ。極論だけど。
わたしは、自他共に認める心配性だ。不安を膨らませる速さと強さは、おそらく誰にも負ける気がしない。自作自演により不安に押しつぶされそうになる自分が嫌で、この数年、徐々に視点を変える訓練を積んでいる。その過程で、「今」に集中できない自分に気がついたのだ。
昨年末から、お昼ごはんのながら食べをやめている。
これも、「今」に集中する練習のひとつ。仕事に区切りをつけ、パソコンを閉じ、テーブルには食事しか乗っていない状況を作る。一口一口、しっかりと向き合って食べ進める。と言いつつ、スマホには自然と手が伸びるし、頭ではこの後何から取り掛かるかを考えているのだが、それでも、しっかり1時間かけて食事をしていることが増えた。
この調子で、仕事はもちろん、家事にしてもストレッチにしても、思考が飛んだら、今やっている動作に戻すようにしている。何が変わったかは正直わからないが、ほんの少しだけ、日々感じていた焦燥感から解放されたような気がしている。
あのお寺のひと言には、どんな真意があるのだろう。「今日」をどう捉えているのか気になることろだが、一旦おいて、密かな訓練を続けよう。
1月17日(金) 若き日の後悔
映画「ロスト・イン・トランスレーション」を観た。
公開当時(2004年らしい)、観た記憶があるのだが全く、何にも覚えていない。昨年「パーフェクトデイズ」を観た際、海外の監督が日本を舞台に描く作品のひとつとして思い出し、見返してみようと思っていたのだ。
まあ、なんとも複雑な気分。加えタバコの男女がクラブやカラオケボックスではしゃぎ、友達の家で飲んだくれる姿を見て、若き日の記憶が蘇る。
そこには、あの頃は良かった的発想は微塵もなく、ぐったりとした疲労感だけが残った。若気の至りに嫌気がさす。なんの疑いもなくノリでしていた朝帰りは一体なんだったのだろう。必要のない労力の無駄遣いを今更悔やんだ。
もうひとつ。あの当時、単館映画を見ることがファッションのひとつで、何かと観に行っていたことも思い出す。正直、どの映画も何ひとつ覚えていない。友人との”ノリ”と”同調”が何よりも大切だった、若き日の自分に胸焼けする。あ〜、もっとちゃんと自分の気持ちに寄り添えよ、わたし。
映画に残る、あの頃の新宿と渋谷の風景は想定以上にギラギラしていて、そこにいる人たちの自意識で満ちていた。あの当時、みんなわたしと同じように拗れた自意識を夜の街に放電していただのだろうか。
街や時代が変わっても、「マシュー南」(知らない人は要検索)で登場した藤井隆さんだけは全く変わっていなかった。これは、自分の気持ちにちゃんと向き合い表現してきた証なのだろうか。
それにして、歳をとってよかった。おばさんになることもと悪くないと映画を観て素直に思った。
1月18日(土) カップ麺とポテトチップ
久々、目が覚めたら10時を過ぎていた。
昨晩、急にどっと疲れ、納豆を我が身にひっくり返すという惨事に心が折れて、すべてのやる気を失った。そんなわたしに夫は優しく声をかけ、パジャマを洗濯してくれた。ありがとう。なんだかその疲れが、今朝目が覚めても抜けておらず、結局布団から出たのはさらに1時間後の11時近くだった。
こんな日は、ジャンクフードに限る。
数年ぶりにカップヌードルのシーフードとポテチという、背徳感のフルコースで1日を始める。先週末から始めた休日のヨガもせず、起きたてのまま喰らうカップ麺は心を癒すから不思議だ。
外は快晴。散歩日和。
重い腰を上げて、スーパーに行くと、一気に罪悪感が襲ってくる。
かき消すように、日が暮れた部屋でヨガをする自分が滑稽だった。
1月19日(日) すべては寒さのせい
首を上げると右側の肩甲骨までが痛い。
今日も順調に布団から出られなかった。
このところ、でかけるのが億劫。
昨日今日と、甘いものが食べたくて仕方がない。
そう、すべては寒さのせい。