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放送大学への入学を検討している話

私は、小・中・高と本当に心から勉強(特に座学系)がダメで、興味がない教科だとまったく集中ができず、授業中は常に絵を描いているか寝ているか。
宿題は絶対にやってこず、居残りで無理やりやらせたらまじで急に38度ぐらいの熱を出して強制帰宅。
歴史や数学のテストなんて、30点取れたらかなりいいほう。なんていう体たらくでした。

高校卒業後、大学は実家の金銭面としても私の興味としても行く気はなく、音楽の専門学校に音響を学びに行って、しばらくライブハウスやブライダルの音響屋をやっていました。

そんな私でも、もし自分が大学に行くようなことがあれば学びたかったことが昔からひとつだけありました。
それは、「人間の心理」です。

小学生の頃は、愛読書が「家庭の医学」だったぐらい理科系が好きで、テストは毎回100点だったのですが、年を重ねていくごとに理科の授業に算数のエッセンスが入ってきて、てんでだめになり。
植物とか生物のことをやっているときはサイコーに楽しかったのですが……。

また、私には発達障害があり(30過ぎてからわかったことですが)、言われてみれば昔からまわりの行動の真意がよくわからなくてハテナが浮かぶことがよくありました。
今でこそ、大人になって少し自分を乗りこなせるすべが見えてきたけれど、若いときは本当にメチャクチャで、ズレたことをしては冷ややかな目で見られ、いつまで子どもやってるのかと落ち込むこともたくさんありました。

そうした、「もともとそういうのが好き」というのと「苦しんできた」という経験が混ざりあった結果、「万が一自分が勉強をするとしたら心理関係がいいな」というのがありました。

そして、もうひとつ。こちらは最近になって思うようになったことですが、「福祉制度や、その望ましいあり方」について学びたいと感じることが多くなってきました。

私は「シェアアトリエ キノコファクトリーのねじろ」というのと、「患者の患者による患者のためのフリーマガジン TSURAI」っていうのをやっています。

シェアアトリエのほうは、「3時間850円でプロユースの画材が使い放題だよー!」みたいな場所です。障害のある方もない方も同じ地に足をつけて、付かず離れずたのしく過ごそうぜみたいなコンセプトがあります。
TSURAIは、私が個人で、皆様のご寄付を糧に発行しているフリーマガジンで、主に精神科・心療内科に通っている方向けに「こんな情報ほしかった!」をお届けしています。

どちらも、自分自身がADHDとうつ病持ちでしんどい思いをしてきた中で「これがほしかった」と思ったものを、ほかの誰かのために実現しようとがんばってきました。
特にシェアアトリエ「キノコファクトリーのねじろ」(以下「ねじろ」)では、「第三の居場所」であり、行きたい時に行けて行きたくないときは行かなくてよいといった場所、ガッツリ強いつながりを作るのが苦手な人でもちょっとだけ顔出すとかできる場所、認められるべきが認められる場所、そんな場所を作りたいと奔走してきて、数こそ少ないけれど、誰かの安心できる居場所として機能してこれた自負があります。

でもその中で、圧倒的に「知識と経験が足りない」と感じることが何度かありました。
人生に困っているひとがシェアアトリエに来てくれるとき、適した医療や福祉制度を紹介することでそのひとがよりよく生きていけるようになれば……という思いがありましたが、私自身がかつて福祉制度を知る機会に恵まれず、助けを求めずに生きてきていたため、帳面に書いてあることではなくて実情に即したうまい声掛けができないときがありました。

また、個々がお持ちの事情のために「全面的に甘えようとしてしまう」あるいは「思ったとおりにいかないとき攻撃的になってしまう」といった方にどう対応していったらいいか、その時とった私の対応は正解だったのか、など、心にひっかかる課題が残り続ける日々を過ごしてきました。

その中で、「福祉について、自分がいわゆる『支援者側』に回ったときのふるまいについて、多角的に勉強したい」という思いが日に日に大きくなっていっていました。

ただ、この世は金目当ての怪しいセミナーや民間資格でごった返しています。変な札は引きたくないので、信頼できそうなメディアをよく選んでかいつまんで、無料の範囲で勉強しよう、そう思っていました。

そこに、「放送大学」のことを教えてくださった方がいました。
「放送大学ってなんかBSとかで四六時中小難しいことを放送してるチャンネルよね」ぐらいの知識しかなかった私に、経験者としていろいろ教えて下さいました。

大卒がとれるほどガッツリ入らなくても、興味のある科目だけをかいつまんで取る事もできること。いろいろな科目があること。入学費と授業料は決して法外な値段ではないこと。講師陣もある程度信頼のおける人物であること。

それを教えてもらってからかなり興味を持った私は、まず放送大学の「オープンコースウェア」というものにたどり着き、その中で「地域福祉の課題と展望」という授業が公式に全公開されているのを見つけました。

https://v.ouj.ac.jp/view/ouj/#/navi/vod?ca=30292

45分間の動画が実に15回分あり、かなり興味がある分野でしたから、出願可能期間中にこれを最後まで見てちゃんと勉強できてから入学を検討しよう、と決めました。

いくら良心的な学費と言ってもタダではありませんし、うちは夫婦揃って障害者家庭。
ふたりともフルタイムで働くのは難しく、障害年金をもらってなんとか食いつないでいる日々ですから、まず「半年もしくは1年間、1週間に1科目45分間の講義を、コンスタントにちゃんと座って聴いていられるのか」というところから始める必要があると思ったのです。

ただ私には欠点かつ長所な部分がありまして、「テンションが上がると、ひたすらそれにあたっていて何ら苦痛ではない」という性質なんです。

45分15回、半年分の講義、3日間で全部見ました。

そういうことちゃうねん。

興味があると駄目です、全部見てしまいます。興味があってもなくても毎週ちゃんと見れるかが大事なのに、全部見てしまいました。どうしたことでしょう。待てない大人はダメです。

でも、その動画1シリーズさらっただけでも、「自分は知識こそ足りていないものの、やってることの方向性としてはそこまで間違っていない」ということが確認できたとともに、こまかい用語であったり、支援者の側にいる人々にも「救える人と救いきれない人がいる」という現状に強い葛藤があることを知ることができました。
だからこそただの一般市民である自分がやらなくてはならないことがある、ともう一度一念発起するきっかけにもなりました。

心理のほうは、クソ難しい院生向けのラジオしかなくて、まだ序盤にいます。まだ出願期間に少しゆとりがあるので、こちらを毎週聴くようにして、飽きないか様子を見てみたいと思います。

いろいろ調べていく中で思ったのが、「現在でも、『医療』『心理』『福祉』はけっこう切り離されているんだな、という点です。
これらは実情としてひとつの地面上にある事柄なのに、それぞれの分野のプロフェッショナルでも、ほかの分野を知ってるかどうかはその人それぞれによるところがありますよね。

私は精神・発達の患者なので精神系のことが特に気になるんですけど、この「医療」「心理」「福祉」をすべて統括できる存在っていうのは、ちゃんとした役職としてあるんでしょうか?
「すべてをある程度道案内できる人」みたいな意味で言っています。

それってもしかしたら、「障害や病気が『あたりまえの知識、道徳』として共有されるようになった先の「一般の市民、ただの隣の人」なんじゃないかなって私は思ってるんですよ。

私は思うんですが、福祉なんて特に、当たり前に多くの人が知っていかなきゃいけないことなんですよね。
当事者としても、周囲の人としても。
「お米の炊き方」「お金の管理の仕方」などと同じように、一般教養として知っておかなきゃいけないこと。

うーん、やっぱり、ちゃんとした勉強したい。
心理、福祉。
あと余力があればドイツ語(dschinghis khanの歌詞を理解したい)。

ひとごとにしたくないんですよ。
すぐとなりで困ってる人がいるかもってわかってること、ほっときたくないんですよ。

お金はちょっと工夫したら工面できそうなんです。
人生で初めて、「勉強」をがんばってみたい。

2月末まで一次募集があるみたいなので、それまで悩んでみますが、この流れだとたぶん来年の4月から放送大学生になってるような気がします。

よろしく。

また。

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キノコファクトリー
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