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第4章:どん底からの新たな挑戦〜コーチ1年目の軌跡〜

私は調子に乗っていた。
目標としていた100名&100時間コーチングを達成。パーソナルコーチングサービスmentoの審査合格率10%以下という厳しいコーチ登録審査に合格。女性のためのキャリアスクールSHElikesのコーチの仕事も決まった。
仲間と共に元々やりたいと思っていた転勤族の女性向けのキャリアコミュニティkinocomも立ち上げた。
それはこの調子でさらに仕事に本腰を入れて頑張ろう!と思った矢先の出来事だった。

↓100名&100時間コーチングへの挑戦についてはコチラ。


ベトナムでの厳しいロックダウン規制

ベトナムはコロナによる規制がとても厳しい国。

市内で数十名感染者が出た時点で、社会規制が始まった。

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まず影響を受けたのは子どもたちの教育機関。

子どもたちが幼稚園に行き始めて1ヶ月。日本でいうちょうどGW明けのタイミング。

ようやく園生活にも慣れてきた頃、幼稚園は休園となった。(もうすぐ幼稚園が休園してから8ヶ月が経とうとしているが、未だ幼稚園は休園中。)

このままでは仕事や学びに時間をかけられないと思い、必死で預け先を探してなんとか時間を確保することができ、事なきを得た。

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ただベトナムの社会規制はこれだけではなかった。

厳しい規制にもかかわらず減らない感染者。

日本でいう七夕の後、ベトナムでは外出禁止令が出された。

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外出できるのは食料の購入や医療サービスを受けるなど、「本当に必要な場合」のみ。

基本的には自宅や居住先にとどまるよう要求された。

「本当に必要な場合」に該当せずに外出する者には、罰金が課される。


規制は本当に厳しかった。

公園で体操をしていた人、ランニングをしていた人、バドミントンを楽しんでいた人が警察に連れて行かれた。


唯一の楽しみだったデリバリーすら禁止。

そしてその後さらに規制は厳しくなり、食料品の買い物さえ自由に行けなくなった。


もちろんそのような状況になると、頼みの綱だった預け先も預けられず、子どもの面倒をみながら、主人と交代で仕事をする日々が1ヶ月半ほど続いた。

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私も主人も限界に達していた。

仕事は進めたい。でも子どもの面倒もみなくてはならない。

休日があってもずっと家の中。一歩も外に出ることを許されず、同じマンションに住む人に会っても話すことは許されない。

外でいつもと違う美味しい食事を楽しむこともできなければ、気分転換にスーパーに買い物に行くこともできない。

私たちにストレスの吐き口はなかった。


私たちは何度も家族会議をした。

「このままベトナムに残って今の生活を続けるか、私と子どもたちだけ日本に一時帰国するか」

何度話しても決断ができなかった。

子どもたちにとってどちらの選択がいいのか、いつまで経っても分からなかった。


今を変えるために勇気を出した2つの挑戦

あの頃の私は相当病んでいた。

これまで転勤族でありながらも、コントロールできる範囲で頑張って、キャリアを築いてきた。

人生で初めてコントロールできることが思いつかない経験をし、頑張りたくても頑張れない。変わりたくても変われない。というそんな感じだった。


でもそれでも私はなんとか「今を変えたい」と思った。

今を変えるために勇気を出して2つの挑戦をした。


挑戦①C-1グランプリ出場

1つ目の挑戦は「C-1グランプリ」への挑戦だった。

C-1グランプリとは…?
コーチング業界で有名なエグゼクティブコーチ林健太郎さんが主催するコーチNo.1決定戦イベント。
公開型の生コーチングで誰が一番「おもしろかったか」を競い、今まで評価されてこなかった「おもしろさ」、エンタメ性を審査基準として「見せるコーチング」の技を競う大会のこと。いわゆるコーチ版M−1グランプリ。

私にとって林さんは憧れの存在だった。

YouTubeで林さんのコーチングを拝見した時、「なんだこれは!」という衝撃が走り、「私もこんなコーチングがしたい…」と思い、コーチングで悩んだ時は必ず林さんのコーチング動画を見ていた。

↓林さんのYouTubeはコチラ↓


厳しいロックダウン規制により変わり映えのない毎日を送りながら、ちょうど晩御飯の支度をしようとしていた頃、私は下記のツイートを見た。

元々私は、第1回のC-1グランプリを視聴者として見ていて、いつかは自分も挑戦してみたいと思っていた。

「挑戦したい!」気持ちと、「でも私にはまだ早いかも。みんなに見られて、もし上手くコーチングができなかったら嫌だな。」と思う気持ちが入り混じった。


そんな時に私の大好きなコーチ仲間きのぴーが、C-1グランプリに出場するという決意を示しているツイートを見た。

あの時、とっても胸がざわついたことを覚えている。

きのぴーは葛藤を乗り越えて、私より先に挑戦する決意を固めていた。

そんな仲間の決意に刺激を受けつつ、「何か変わりたい」という自分の想いを大切に、私もC-1グランプリへ出場することを決意した。


出場することを決めてからの間、ずっとみぞおちあたりが痛くて苦しかったことを覚えている。

相当な緊張感とストレスを抱えていたんだと思う。


出場メンバーが決まった。

名だたるコーチメンバーすぎて、正直「私は場違いだ〜!」って思った。やっぱり行き急いだかもみたいな。


そしてC-1グランプリ当日。

私の表情を見てください。(上から2行目、左から1列目)

どれだけ緊張していたかが伝わってきますでしょうか…?笑(ガチガチ真顔www)


結果としては私なりにやれることはやり切ったものの、グランプリにはなれなかったし、反省の残るコーチングになった。

でも林さんをはじめとするベテランコーチの方々から、直接フィードバックを頂ける二度とない貴重な機会を頂いた。

C-1グランプリへの挑戦は、間違いなく自分やコーチ人生を変える大きな出来事だった。


挑戦②日本への一時帰国を決意

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2つ目の挑戦は日本の一時帰国を決意したこと。

いつ外出禁止令が解除されるかも、子どもたちの幼稚園が再開するかも分からない、先の見えない状況は私たち家族にとってあまりに酷だった。

日に日に溜まっていくストレスを、ダメだと分かっていながらもどうしようもなく、主人や子どもたちにぶつけてしまう状況が辛すぎた。

度重なる家族会議を経て、この状態は私たち家族にとって良い選択ではないと判断し、夫をベトナムに残し、私と子どもたちだけで日本に一時帰国することになった。


決断した後も、外出禁止令が出されている中、果たして私一人で子どもたちを連れて、日本まで無事帰国できるか。子どもたちはパパに会えなくて、寂しがってしまうんじゃないかという不安や恐れがあった。

日本への一時帰国はそんな想いを乗り越えての大きな決断だった。

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実際は日本に帰国して本当によかった。

子どもたちは毎日楽しそうに保育園に通えているし、いつでも公園で遊べるし、美味しいご飯を食べることだってできる。

私も平日の日中は集中して仕事ができるし、定期的に美容室に通えるし、休日は家族で行きたい場所へ行って日頃の疲れをリフレッシュすることもできる。


改めて今当たり前だと思っていることが、人生においてどんなに大切なものだったか気づいた。

そして当たり前はいつ当たり前じゃなくなってもおかしくないと知った。


コロナによるベトナムでの厳しいロックダウン規制により、私は当たり前の大切さや幸せとは何かについて見直す機会を得た。


挑戦は人生を変える

どん底の状態からの2つの挑戦を経て感じたことは、「どんな状態であれ挑戦できることがあるし、挑戦は人生を変える」ということ。

自分が変わらないことを外部要因のせいばかりにするのではなく、自分が変えられる範囲で挑戦できることを探すことが大切。

そして挑戦した結果が成功か失敗かはどうでもよくて、挑戦するということを決めて行動に移した人だけが知れる世界があり、その気づきが変化につながると私は思う。



私にとって挑戦とは、

リスクを考えて『やらない方がいいんじゃない?』とささやく、もう一人の自分の声に打ち勝って、とりあえずやってみること

この悪魔のささやきに勝つためには、エネルギーやパワーが必要…。

挑戦するためのエネルギーやパワーの源となる手段の一つがコーチングだと思う。


私は人生を変えるために挑戦したい人を、コーチングを通じて後押ししたい。

そして私もこれからどんな逆境がやってこようとも、挑戦し続けて変化を体現し続ける人でいたい。

これが私がコーチとして、人として生きていく上で約束できること。


次回は、最終章「2022年の抱負」にて。

またお会いできることを楽しみにしています!


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