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【城】鶴ヶ城(会津若松城)

2023/9/17

おはようございます。こんにちは。こんばんは。ゆあんです。

城巡りの旅。今回は戊辰戦争の激戦地、会津若松城です。

実は以前にも訪問したことのあるお城でして。
屋根瓦の色がおかしい、というのが第一印象でした。
前回はもう10年以上前ですからね、そういうこともあります。

至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名しました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られるようになりました。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元されました。平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられました。

鶴ヶ城公式ホームページより

カーナビに案内されて西出丸駐車場に向かうと、そこはお城の敷地内で、虎口を車で抜けることになります。堀沿いに進んでまた石垣に挟まれた通りを抜けたらそこが駐車場。
入り口からワクワクさせてくれる造りですね。
方角的に裏門側だと思いますが。

駐車場から天守閣へ向かうとまずお城の裏側を見ることになります。

木が邪魔ですねぇ

城址公園の地図はこんな感じです。

鶴ヶ城園内マップ

天守閣の見学と本丸挟んで向かい側にあるお茶室の見学を合わせて520円。お茶室を除いた入館料も設定がありましたので案内をよくご覧ください。

逆光の鶴ヶ城

館内は天守閣の展示によくある感じですね。沿革と年表と白虎隊特集で出来てました。細かく色々展示されてるんですが、おかげで大渋滞。
時間もないのでほぼスルーです。
内部は階段しかない一方通行になっています。展示を見ながら最上階天望室へ進み、展示を見ながら降りてくるスタイル。空いてる時は良いんですが、連休などで混んでいる時は人に合わせた行動が必要でとても疲れるためご注意を。

天守閣を1階まで降りると売店があって、その出口に百名城スタンプがあります。入り口にというのはよくあるのですが、出口にスタンプは珍しいですね。

天守閣を出たら芝生の張られた本丸広場を挟んで向こう側、麟閣へ。

天正19年(1591年)千利休は豊臣秀吉の怒りにふれ、死を命じられました。それにより利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の会津城主「蒲生氏郷」は、利休の子少庵(しょうあん)を会津にかくまい、徳川家康とともに秀吉に千家の再興を願いでたのです。この時に建てたのがこの「麟閣(りんかく)」と伝えられています。
その後、少庵は許され京都へ帰って千家を再興し、現在の茶道へと伝えられています。
戊辰戦争後、城下に移築され保存されていましたが、平成になって元の場所である鶴ヶ城内へ移築復元されました。
茶室を眺めながらお茶を楽しんだり、氏郷の命日にちなんだ月例の茶会が開かれたりしています。

鶴ヶ城公式ホームページより

お茶室ではなく建物を臨む別棟もしくは野点でお茶がいただけます。入館料とは別料金ですよ。気温が高いのと旅程がおしてたのでお茶室の建物だけ眺めて終了。待ち合い側のお座敷が風通し見通し良くできていて、こちらにも炉が切られているのが印象的でした。

時間があれば、そして人気がもう少し少なければ、ゆっくり見学したのですが。残念です。人気ありすぎ!

ここまでお読みいただきありがとうございました。
それではまた。

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