まとめ 哀悼の意 (6/6)セクシー田中さん問題
「人の命」と「続作の完成」が永遠に失われる事になったセクシー田中さん事件。組織を罰する事で全ての命を平等に守り、企業利益より作品文化を尊ぶ第三者の客観報告が必要だと述べました。自己改善はネットにも必要だと述べました。
最初の問いを振り返ります。
・問1:原作者最後の言葉の意味は?〜最後の言葉「攻撃したかったわけではなくて。ごめんなさい」をどう受け止める?〜
・問2:原作者最後の瞬間は?〜他者に優しく寄り添える作者なのに、なぜ自死を選んだか?〜
・問3:原作未完への悲憤を、人はどう昇華すれば良いのか?〜関係者個人を責めたくなる自分と、どう向き合うか?〜
やっぱり、正解はありません。原作のように、そうなのです。本当に、「こう在りたい」正解を選び取るしかない。だから私は自分の頭で考えました。でも、原作未完への悲しさや怒りは、誰が謝罪しようが、どんな報告書が来ようが、奇跡的にネットが自己改善しようが、永遠に無くならない。途中で、そう気づいた。だから昇華する方法を探しました。他者を責める事に背を向けて、出来るだけ上昇を目指し、考え終えた感想が、ドラマ版最終回の最後を見た時のようなフワっとした感覚になったのが、むしろ印象的です。舞い上がった、この足が、大地にしっかり落着する。そういう未来を創っていただける方が大勢現れると幸せです。
長くなりましたが、最後までお付き合い頂いた方には感謝いたします。
以上に綴った全ての文字をもって、哀悼の意を捧げます。