20歳になりました
10月31日で僕は20歳になりました。
ちょうど節目の年なので、これまでを振り返りたいなと思います。
社会人になって将来のことばかり考えて、不安や期待ばかりです。
前ばかり見ていると疲れるので、ちょっと過去に遡って浸りたいなと思います。笑
当時の不安とか鮮明に覚えているので、その時の自分に声かけたり、
あんなことあったな〜って思い出して、これからの人生で役立てたり出来たらいいなと思います。
皆さんも読みながら、一緒に過去を振り返ってみてください。
自己紹介
僕は宮崎県出身で、今は愛知県に住んでいます。
血液型はO型です。
4人兄弟の末っ子で小学4年生から9年間サッカーをしてきました。
文章を書くのは苦手な方ですが頑張って書いていきます。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
保育園
保育園生の頃の僕は、一言で言うと”ガキ大将”でした。
先生の言うこと聞かずに勝手に外に行って遊んだり、人のおもちゃ奪ったり、よく人を泣かせていました。
お昼寝の時間は寝らずに靴下をドーナツみたいにして投げて遊んで、先生に布団ごと廊下に出されたりしました。しかも、先生が親戚の人だったため、お母さんに全て話されていました。笑笑
保育園に鬼が来たときは押し入れに隠れて、拾った豆を友達と食べていました。
このくらいしか保育園時代の思い出はないです。
結構、やんちゃなことしてたけど親から怒られた思い出もないです。笑
意外と親は僕に甘かったのかもしれません。笑
小学校
〜担任からのお願い〜
小学校に入学し、1年生の時の担任が親にあることをお願いしていたそうです。
「真吾は自分で全部やるんで放っておいて大丈夫です。」と。
これは高校卒業する時に母から聞きました。
それを聞いて振り返ってみると、確かに親から「勉強しろ」「早く寝なさい」など言われることはありませんでした。
自分で言うのも何ですが、当時は帰宅したら真っ先に宿題を終わらせて遊びに行き、いつも9時ごろには寝ていました。結構真面目でした。笑
僕は、あまり話すような性格じゃないので家ではずっと部屋でゲームしていました。
このお願いのせいか、僕はごちゃごちゃ言われるのがとても嫌いになりました。
当たり前にわかるようなことを言われると、「わかってるわ!」って心の中で思う時もあります。そして、僕は感情がすぐ顔に出てしまうのでバレてしまいます。 どうにかしたいです。
〜サッカーとの出会い〜
僕が小学4年生の時、友達が多かったサッカーを始めようと思って親に言いました。父は同じ小学校のバレーの監督をしていたため結構熱い人でした。
簡単に入れさせてはくれず、「リフティング10回できたらいいよ」という条件が出されました。
それから帰宅してリフティング練習、ゲームの時間もリフティングの時間に変わりました。意外と10回で苦戦した記憶があります。
2週間ぐらい経って10回できるようになって合格をもらえました。
週末、サッカーに必要なものを買いに行った時はスポーツ店内で嬉しすぎて飛び跳ねてたのを覚えています。
正直、サッカーがしたいより、友達がいるからと言う理由が大きかったです。笑
入団してから、休み時間はサッカーのルールを教えてもらったりしてほとんどサッカーの話ばかりでした。
昼休みもサッカーを汗でびしょびしょになるまでやった記憶があります。
それからサッカーに夢中になりました。
僕はサッカーが向いていたのか、約半年でトップチームで出れるようになりました。
50人以上はいた中から試合に出れるようになって、試合でもっと結果を出したいと思って、休みの日もボールを持って学校のグラウンドにサッカーしに行ってました。僕は夢中になったらそれにできるだけ時間をかけるようなタイプでした。今もそれは変わっていないなと思っています。
このnoteを始めてから、常に”次は何書こうかな”って考えているし、夜遅くに”これ書いてみよう!”って思ったらパソコン開いて書いているほどです。
何か夢中になることを見つけるのは大事なことだと改めて感じました。
〜いじめ〜
担任から、「真吾は自分でやるから放っておいていい」と言われ、サッカーではすぐに試合に出れるようになり、挫折なしの生活を送っていました。
しかし、6年生の頃1人の男子が自分の悪口を言っているのを聞いてしまいました。
そして、その人の周りに2人が加わって3人から直接悪口だったり、仲間はずれにされるということがありました。
当時の担任に相談しても、「勘違いだろ」と言われ、まともに話を聞いてもらえませんでした。
いじめのことを親に話すことができず、仮病を使って休んだりするようになりました。
何とか1年間通えたのは、あきと君という大親友がいたおかげです。
本当に感謝しています。
卒業する時にはいじめは無くなって、内2人とは仲直りしてよく遊んだりしました。
自分は繊細なとこがあるので気にしすぎというとこもありましたが、今では周りの声なんかあまり気にならないようになりました。
中学校
そのまま僕は、地元の中学校に進学しました。
同級生は15人で、とても中のいいクラスでした。
〜ATSUSHIさんとの出会い〜
僕たちの担任であり、音楽の先生でもある吉本先生がNHK合唱コンクールに全校生徒で出場するということで応募しました。
その年の課題曲がATSUSHIさんの「桜の季節」でした。
その年で廃校になり最後ということを応募のメッセージで書いたところ、それがATSUSHIさんのところまで届いたそうです。
午後の時間は歌の練習になることが多かったため、いつものように昼休みにサッカーしたりして遊んだ後、掃除をして音楽室に全校生徒で集合しました。
その日だけいつもと違って人が多く、先生たちが少しソワソワしていたのを覚えています。
いつもならすぐに発声練習が始まるのに、その時は吉本先生の話から始まりました。メッセージが届いたことを聞かされた後、ATSUSHIさんが教室に入ってきました。
思わず涙が出てきました。正直僕はそのコンクールにあまり興味がなくダルダルやってました。
でも、吉本先生の応募で書いたメッセージを聞き、曲を作ったATSUSHIさんに会ったことで気合が入りました。
ATSUSHIさんの曲に込めた思いを聞くこともできそれまでより曲に気持ちを込めて歌えたんじゃないかなと思います。
その時の映像がNHKで放送されて、YouTubeで「桜の季節」と検索すると曲の映像で出てきます。是非、見てみてください。
〜初めての恋愛〜
保育園から中学1年生までほとんどおまじメンバーで過ごしていたためか、付き合うという感情はなく、全く恋愛をしてきませんでした。
中学1年生で廃校になり、少し離れた中学校と合併することになりました。
同級生も多くなり、新しい出会いも増えました。
僕が始めて付き合うことになったのは合併して2ヶ月後くらいだった気がします。
同じクラスの人で英語の授業でペアになったりした人でした。
放課後、他の女子から伝えられ僕はどうすればいいかわからず付き合うことになりました。(当時の彼女には申し訳ないです。)
付き合ってから何をしていいのかわからず、逆に緊張してしまって話す回数が減りました。その結果、1ヶ月も経たずに別れました。
それから学ぶことは多くて非常にいい経験になりました。
〜サッカー〜
僕は小学4年生からサッカーを始め中学校でも続けました。
1年生の頃の指導者(上玉利先生)に恵まれてより成長することができました。
当時の先生が日本代表の長友佑都選手の従兄弟で、高校時代に国見高校で全国優勝した時のキャプテンでした。
合併する前に、合併する中学校のサッカー部と合同で練習していました。
僕は上玉利先生の指導のおかげで合併した後でもスタメンを取れました。
中学3年生になって市内のちょっとした大会に出ました。
その時の試合で、フリーキックを決めたあと主審からトレセンに来いと誘われました。主審がトレセンの監督だったのです。
試合後に、先生に話をして参加することになりました。
トレセン初日、遅刻しました。
会場を間違えて、30分ほど遅刻しました。
市内の選抜を決める練習が3日あり初日で遅刻した僕は、もう選ばれないわって思いました。
いいプレーをしないと選ばれないというのが遅刻したことにより頭からなくなり、逆にいつもよりいいプレーができた気がします。
点もたくさん決めたし、アシストもしたし満足しました。
その日、俺できるわと確信して残り2日も結果を出すことができました。
同じトレセンのメンバーから褒められることもありめっちゃ楽しかったです。
トレセンの監督からは、”もっと早く出会いたかったよ”と言われかなり自信がつきました。
しばらく経って、先生から呼ばれトレセンの選考会の結果が伝えられました。
なんと、選抜の選ばれ10番でした。受からないと思っていたのでとてもびっくりしました。親に話した時もめっちゃ喜んでくれました。
市の選抜になり県内のそれぞれの選抜チームと試合して少しは結果を残せたのでよかったです。自分に自信がなかったので自信をつけれたいい経験になりました。
少し長くなってしまったので高校から現在は2章という形で後ほど出したいと思います。